こんにちは、私はY・Tといいます。 教会に来る前に不思議な神の夢をみました。 この世は闇の世なのだよ! また、自分が子供を殺すシーンを夢でもみたときには、びっくりしました。 なぜ自分は、このような夢をみてしまうのか? 全ての謎は、聖書を初めて図書館で手にした時に分かりました。 神が生きていて、今迄、聖書さえ読んだこともない自分に、神が救いょ与えてくださる為に この夢を見てきたのだと・・・。
それから。七年自分は、キリスト教に対して教会に疑問を持っています。 なぜならば、教会では、カトリック、プロテスタントでも、信じて洗礼をうけ絶えず、聖餐式をしてるもの達は、もう 完全な救いを得たということを、皆信じているのですが、歴史を見れば、免罪符のようなものがあったり、また信じる 者の中でも大阪の方で、女性を辱めるような牧師がいたというはなしです。
聖書では、確かに主・イエス様は、偽の牧師が来ることもはなしていますし、またコリントの手紙を信徒達を見ると、 主・イエスを信じた教会の使徒たちのなかで姦淫の罪を犯すものさえいた。 彼らは、皆神をしんじ、洗礼を受けたもの達だから、教会へ集ったもの達だったはずです。 しかし聖書に書かれている信徒達の中には主・イエスを信じていたのにもかかわらず、その中に偽の信徒が存在しました。 新約聖書の中にでさえ・・・。
それなのに、私達の時代の信徒達は主・イエス様を信じ、洗礼をうけたら、皆クリスチャンの方々は「おめでとう!救われてよかったねという」 聖書に書かれていることが神の言葉で、それこそが信じるに値するものならば、今の時代の教会の考え方そのものが主・イエス様の御心と 少しづれている気がします そうでなければ、免罪符が教会の中に存在するはずがないはずです この免罪符をお金で買えば、天国へ行けるといっていたけれども、お金でひとの罪があがなえるはずがないのです。
私は、信じるものは救われるということは間違いないけれども、それは神の教えを守るものとともにあるとおもいます。 罪を悔い改めないひとは、神に訪ねもとめられないだから、真の救われたものは、生きてる間ずっと、神を捜しもとめられている方 です。 しかし今の現段階で罪を犯しても、悔い改めないものは神に真に訪ねることが出来ないので罪が闇のようにそのひとにまとわりつき、 危険な状態になるようです。
救いは計画によるものですから、信じている人がどう変わるかはもっとも最後になって見ないとわかりませんが・・・。 主・イエス様を信じるものは、確かに確実にすくわれます。
(1)根拠のない思い込み
なぜ自分は、このような夢をみてしまうのか? 全ての謎は、聖書を初めて図書館で手にした時に分かりました。
・・・・ 主・イエス様を信じるものは、確かに確実にすくわれます。
「振り込め」と言われて簡単に振り込んでしまう人のような危うさがY・Tさんには感じられます。「分かる」とか「確実に」という、認識の地平の用語が、いかなる認識のための努力もなく軽々しく語られ、議論の前提もデータの分析も論理的道筋も一切なく、単に結論だけが唐突に表明されていて、しかもそのことに何の問題も感じておられないようだからです。
(2)クリスチャンが救われていない
なお、キリスト教における罪と救い、信仰と行為に関するわたしの考えは、次を参照して下さい。
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/bible/b168.html (罪とは)
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/bible/b197.html (クリスチャンが救われていない)