佐倉 哲様

貴殿の「聖書の間違い」に関するHP拝見させていただき、大変参考になりました。

ご存知かも知れませんが、 http://islamway.com/english/images/library/nonmuslims.htm の「101 Clear Contradictions in the Bible」 という項目にも、同様の比較がのっております。

ちなみに私はムスリムではありません。 「自称」キリスト者です。

が、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じ神を信じていると考えております。 もちろん、とっくに教会からは追い出されました。

今後のご活躍を期待します。

カレブ

イスラム教徒(ムスリム)が聖書の間違いを指摘するというのは興味深いですね。以前にも、似たようなサイトを紹介していただいたことがあります(「2000年9月14日、ウングルさんより」)。

イスラム教とキリスト教やユダヤ教との敵対的関係の歴史を考えてみれば、イスラム教徒(ムスリム)がキリスト教やユダヤ教の聖典である聖書を攻撃の的にするのもわからないではありませんが、かれら自身のコーラン信仰にとってむしろ危険な方向ではないかと思われます。なぜなら、コーランは、旧約聖書と新約聖書を、アッラー神からの啓示の書であり、コーランはそれらを、否定するものではなく、確証するものだ、としているからです。コーランによれば、アッラーはしばしば、旧約聖書と新約聖書はアッラーが与えた啓示だと語っています。したがって、聖書が間違いであるとすると、アッラーの神の啓示には間違いがある、ということになってしまうからです。

たとえば、コーランの4:162[163]では、アッラーは

ダーウド(ダビデ)に詩編をあたえた・・・。

(『コーラン(上)』、岩波文庫、井筒俊彦訳)

と語っています。詩編の作者がダビデであるというのはもちろん古代ユダヤ人たちから伝わる伝統的解釈ですが、今日の聖書学者で詩編がダビデものであることを信じるものはほとんど誰もいません。例えば、詩編137編の「バベルの流れのほとりで」ように、明らかにダビデ時代のものとは考えられないものがあるからです。

おそらく、もともとは神の啓示だったが、その後の人間たちの手で誤りが入り込むようになったのだ、ぐらいの護教論になるのでしょうが、それでも、イスラム教徒による聖書批判は、一人の霊能者が他の霊能者を「デタラメだ」と非難するような、自らの足に弾丸を撃ち込みかねないような、危険を内包しています。