始めから救世主の存在が決められていると、救世主が救世するために悪魔をつくらな くてはならなくなり、 また、一旦は悪魔の支配もしくは世界の破滅に人類は会わなければならなくなりま す。
そして天国と言う所を考えてみると、大抵の人は綺麗な花が咲き乱れ鳥たちがさえず る等の事を想像するとおもいます。 が、そんな少女漫画の様な世界がはたして本当に有るのかどうか・・
そもそもキリスト者達が言う至福とは一体何なのか、目玉から血の涙を流し続ける事 なのか、それとも、神の奇跡をただ追い求める事なのか、 彼らは基本的に、木を見て森を見ず的な所があると思います。そして人と言うものは 産まれる時に善人になるか、悪人になるかなんて決められません。
この世の全ては結果論です。またイエス・キリストはこの世の人間は全て罪人であ る、と言いましたが、もし神が人間を創ったのであれば、 人間は神の芸術作品であり、それに対するイエスの罪人という人間に対する批判的な 言葉は、一種神への批判的な言葉にもなります。
話は変わりますが、ヨハネの黙示禄もちょっとどうかなと思います。例えば聖書に出 てくる2人のアンチ・クリストや666などは、もし世界の終りの日に、 (又はそれ以前)に本当に現れたとしても、それが大昔から決められていた事なら ば、アンチや666にしてみればやらなくてはならない宿命みたいなもので、 アンチも666もその仕事をこなさなければ逆に神に対して不従順となるかもしれま せん。
そして、聖書には一時は悪魔が勝利する等の事が書かれていますが、それはもし将来 キリスト教がなんらかの危機的状況に陥った場合、それはあくまで計画であり、 予定された出来事だと言って信者を納得させ、そして又予定どうりに神が勝利するま で待てというキリスト教が危機に瀕した時の信者に対する精神的策略なのかもしれま せん。 つまりあらかじめ敵対者や危機的状況を予言する事で逆にそれらの存在をもみ潰すと いう策だとおもいます。
また、度々きかれるマリア様の出現についてですが、キリスト教信者達が集団ヒステ リーを起こして見たものか、もしくはホログラムかもしれません。 (だれがホログラムを映し出すのかは聞かれても分かりませんけど)なんとなくそん な感じがします。
聖書には一時は悪魔が勝利する等の事が書かれていますが、それはもし将来キリスト教がなんらかの危機的状況に陥った場合、それはあくまで計画であり、予定された出来事だと言って信者を納得させ、そして又予定どうりに神が勝利するまで待てというキリスト教が危機に瀕した時の信者に対する精神的策略なのかもしれません。つまりあらかじめ敵対者や危機的状況を予言する事で逆にそれらの存在をもみ潰すという策だとおもいます。そのとおりです。それは、遠い未来のことではなく、今現に起こっている迫害に耐えさせるための、創作神話だったのです。「世の終わり思想の源流」を参照してください。