佐倉さん、こんにちわ。佐倉さんは読書家ですね。引用される本の多さに、敬意を表します。わたしは、一日一時間も読書できれば、よいほうです。本の題名だけで本を買うので、少しよんで投げてしまうほんもあります。買うのは簡単ですが、読む方は時間が必要です。そんな訳で未読の本が溜まる一方なので、また書棚がほとんど一杯なので、本の置き場所が無くてこまっています。
さて、そんな読書の中で、また聖書に関する記事を見付けましたので、取り上げていただけたらさいわいです。聖書を美化する多数の意見のなかで、悪く言う意見もあっていいのではないか?と思うからです。 では、引用します。
ペインはその著書「理性の時代」のなかで次のように書いている。「聖書の半分は、わいせつな物語、肉欲にふけったらんちき騒ぎ、残酷な拷問、血も涙も無い復讐に満ちている。こういうものを読むと、神の言葉というよりは、悪魔の言葉と思った方が自然な気がするほどだ。それは人類を腐敗させ、残忍にするのに役立ってきたのである。」カール・セーガン博士はこのペインに対して次ぎのように述べています。『人はなぜエセ科学にだまされるのか』下巻、85ページ 新潮文庫
ペインは宇宙の創造者に対して深い尊敬の念を表している。ペインは、自然界をみれば創造者の存在は明らかだと言っているのだ。しかし、神を信じながら聖書の大部分は非を鳴らすことなど、当時の人々にはとうてい考えられないことだった。キリスト教の神学者たちは、ペインは酔っ払いか、気が狂っているか、堕落しているときめつけた。ユダヤ人学者ダビット・レビは信者たちに対して、ペインの本を読むのはもちろん触れることさえ禁じた。ペインは自分の見解のためにたいへんな苦労を強いられ(たとえばペインは専制政治に反対を唱えていたが、フランス革命がそんな彼の説にあまりにも合致しているというので投獄されることになった)、そのために気難しい老人になった。(同86ページ)以上カール・セーガン博士の著作から長く引用しました。ペインの立場は理神論とよばれ、無神論ではありません。念のため。このメール取り上げてくだされば、幸いです。 では、失礼します。・・・ペインは革命的小冊子「コモンセンス」の著者である。1776年1月10日に出版されたこの冊子は、わずか数カ月のあいだに50万部以上売れ、独立への根拠を与えて多くのアメリカ人を発憤させた。彼は、18世紀に最も売れた3冊の本の著者なのだ。しかし後世は、彼の社会的、宗教的立場をあしざまに言った。ペインは深く神を信じていたにもかかわらず、セオドア・ルーズベルトは彼のことを「けがわらしい無神論者」と呼んだ。おそらくペインは、ワシントンDCの記念碑に名を記されていないアメリカの革命家のなかで、最も傑出した人物だろう。(同 92ページ)
2000-12-24 SUN 平田 修
聖書を美化する多数の意見のなかで、悪く言う意見も会っていいのではないか?と思う・・・書店に置いてある聖書に関する本のなかで一番多いのは、聖書の中から都合のよいところだけをつまみ出して聖書を賛美する書です。右を見ても左を見てもそんな本ばかりですから、「[聖書を]悪く言う意見もあっていいのではないか」、とわたしも思います。