天地創造で検索をかけ、佐倉さんのページに不時着しました。 山野旬というものです。「聖書の間違い」の文集に興味を持って、まず、「巨人ゴリアトを倒したのはダビデではない」をつまみ食いした後「天地創造物語の矛盾(一)」と久保有政さんとのやり取りを読ませていただいたところです。

わたし個人の意見としては、これは別に矛盾ではないでしょ、という事です。J、E、P、Dの4資料があることは聖書学の常識でしょうし、資料間で、ことに神学思想の出やすい、創造神話というような分野で、異なる話が書かれている事は、むしろ当然のことだと思います。(佐倉さんの論旨も結局そうですよね)でも、順番が違うということは、資料の違いに目を向けさせる、話のはじめには、とても良い題材ですね。そう思いました。

ところで、神の息による祝福、人間の神のように善悪を知りたいという欲求による反乱と楽園追放、ノアの洪水やバベルの塔、にもかかわらず、与えられたアブラハム契約、というJの救済史は、それこそ時代を超えて、キリスト教の救済史に繋がっていくと、考えるのですが、違うでしょうか?

まだ、読みはじめなのに感想メールなど送ってしまって、失礼いたしました。ただ、これからゆっくり、ときどき見に来させてください。勉強になります。それと、よろしければ、わたしのホームページのリンク集に入れたいのですが、ご許可をいただけますでしょうか?チェックをされるのでしたら、URLはhttp://www21.freeweb.ne.jp/diary/junspoli/ です。なるべく、ご許可をよろしくお願いします。

(1)矛盾と相違

わたし個人の意見としては、これは別に矛盾ではないでしょ、という事です。J、E、P、Dの4資料があることは聖書学の常識でしょうし、資料間で、ことに神学思想の出やすい、創造神話というような分野で、異なる話が書かれている事は、むしろ当然のことだと思います。・・・資料の違いに目を向けさせる、話のはじめには、とても良い題材ですね。
「これはいかなる盾をも貫くことの出きる優れた矛である」とある人が誇らしく主張し、「これはいかなる矛も貫くことのできない優れた盾である」とまた別の人が誇らしく主張しているとします。すると、この二つの主張は単に相違しているだけではなく、一方の主張が正しいとすると、他の主張は必然的に間違っている、そのような特殊な種類の相違です。そのように、二つの主張がどちらも真理である可能性のない、一方が真理であるなれば、他方が必ず間違っているような二つの主張がある場合、その関係を「矛盾」というわけですね。

おっしゃる通り、今日の聖書学では、「J、E、P、Dの4資料があることは聖書学の常識」であり、その資料間に相違があることも「聖書学の常識」です。しかし、わたしが指摘しているものは、単なる相違ではなく、相違の中でも、とくに、二つの資料の主張がどちらも真理である可能性のない、一方が真理であるなれば他方が必ず間違っていることになる矛盾した相違です。

そのために、「聖書は神のことばであり、いかなる誤謬も含まない」という聖書主義者の主張が崩壊することになり、さらには、神は全知全能であり、神のことばには一切の誤謬がないとすれば、「聖書はすべて神のことばである」、という主張も崩壊することになるわけです。


(2)Jと新約思想

Jの救済史は、それこそ時代を超えて、キリスト教の救済史に繋がっていくと、考えるのですが、違うでしょうか?
Jの思想のもっとも著しい特徴は、ダビデ王家を中心にしたイスラエルは、神がそれを約束したがゆえに、必ず救われる、という所にあると思います。ダビデ王家による支配は永遠である、というわけです。それに比べて、Eの思想の特徴は、神の律法を守るものだけが、神の律法を守るゆえに救われ、ダビデ王家であろうと誰であろうと、神の律法に従わないものは滅ぼされる、という預言者的思想にあると思います。

新約思想(キリスト教)は、もちろん、ユダヤ教の中から、ユダヤ教の異端として生まれたわけですから、当然、これらの伝統も多少は引き継いでいるわけですが、新約思想をもっとも特徴づけているのは、むしろ、西暦前2,3世紀にユダヤ人の間に流行し始めた、終末思想的救済史観だと思います。終末思想がなくてもユダヤ教(旧約思想)は成立しますが、終末思想がなくては新約思想は成立しないと思われるからです。(「世の終わり思想の源流」参照)


(3)リンク

自由にやってください。誰のホームページへのリンクであろうと、それが一般に公開されている限り、許可をとる法的必要はないし、いちいち許可をとらなければネットのエチケットに反するわけでもありません。一般に公開されているホームページへのリンクを禁止したりすることこそ、むしろ、言論の自由を阻む、憲法違反であり、リンクの許可をいちいち相手に求めることこそ、ネットのエチケットに反すると思います。