佐倉哲エッセイ集

キリスト教・聖書に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。


  ホー  キリスト  聖書の間違い  来訪者の声 

パスター・ハリーさん

00年10月11日


日本キリスト教団の牧師としての感想


佐倉さんへ。いつも、お世話になっています。数ヶ月前にこのサイトを偶然に見つけてから、ちょいちょいと遊びに来ています。わたしは20年以上、日本のプロテスタント教会の牧師をしています。

佐倉さんのサイトは、随分、たくさんの文章が詰まっているので、残念ながら全部は読んでおりません。でも、聖書に関するところは大体、読ませて頂きました。はじめは「聖書の間違い」という挑戦的な名称から、一体、何を書いているのだろうとの野次馬根性で、やってまいりました。しかし、その内容の充実には驚き、「恐れ入りました」という感じでした。一応、聖書に関してはプロを自認していたつもりなのですが、こそこそとしっぽをまいて逃げたいような思いに駆られました。これは正直なところです。また、教えられるところも多々ありまして、このサイトの密かなファンになっています。

でも、実際に、内容を細かく読んでいると、福音派と言われる聖書信仰の教会で躓いた女性の証言やそれに対する佐倉さんのコメントに疑問を感じましたし、旧約聖書の神概念は古代メソポタミヤの絶対王の概念を引きずっている等の言葉が非常に多くて、わたしにはとても奇異なものに感じました。また、キリスト教はその歴史上、人類に益するところは何一つなかった等の言葉はとても反感を覚えました。

無責任なのですが、何回か、日本の牧師の反論ないしは感想が出ないかと期待して、こちらのサイトを開いて見るのですが、日本の主だったプロテスタントの教会の牧師や神学者からの反論はほとんど無いのが現状です。わたしは引込み思案で、あまり人と議論をしたり、文章で相手の意見と自分の意見を戦わしたりというのは体験がありませんので、佐倉さんの「情容赦のない鋭い切っ先」が、自分に向かうことを考えると、逃げ出したくなってしまうような者ですが、(それでも、まあ、ネット上の事ですから)、深呼吸して、勇気を持って書いてみたいと思います。

たくさん質問はあるのですが、まず、2つの質問をしたいと思います。

1)佐倉さんの内村鑑三の理解について。
2)佐倉さんの通っていた教会の伝統について。

まず、佐倉さんの内村鑑三の理解についてどうしてもお聞きしたいと思いま す。佐倉さんは内村鑑三をよく理解しておられ、その書を愛読しておられるようです が、その中心をどのように捕らえていらっしゃいますか?それがどうしても、疑問と して残るのです。

内村の信仰の中心には「十字架の贖い」というできごとがあったことは"余はいかにしてキリスト信徒となりしか#の中でも感動的に書いてあります。1884―88年、東洋の小国日本から来た目の鋭い誇り高き青年が、古び汚れた服をまとい、銀貨七ドルと鞄にギボンの"ローマ衰亡史#五巻を入れて、アマスト大学のシーリー総長に面会を求めてやって来た。そのとき彼は25才だった。シーリー総長の人柄に感動し、入学を決意して、酷寒の地の大学の寮の一室で、南京虫に悩まされつつも、聖書を、特にエレミヤ書を愛読し、「石炭山」から石炭を両手で寮の三階まで運びながらも、信仰の真理を黙想する日々を送る。やがて1886年3月8日、十字架の贖いの確信がやってくる。その後の日記には、雷(かみなり)がなった時のことが記される。

いつもなら雷が嫌いで居ても立ってもいられないの内村が、丁度その時に、永遠の命についての黙想をしていた。彼は雷に打たれて死に横たえる自分を夢見たが、なんとそこには「平安の感動」があったと記してあります。わたしは久しぶりにこれを読んで、一人、歓声を挙げて、笑ってしまいました。若き内村鑑三の天にも昇るような喜びが文字の上に踊っていたからです。

教文館の「内村鑑三著作集」の編集者、山本泰次郎氏も言っていますが、「3月1日以降の文章は実に歴史に残る回心文学の傑作であろう」とわたしも思います。

"余はいかにして・・#の一番最後の部分で、彼は自分の留学を要約して言う。三年間の留学は、「神の御前における人間の義の発見」であった、と。彼は留学の孤独との戦いの中で、いわば、井戸の中で、人々との交わりから極力離れ、神の御前で自分の内なる罪と「がっぷり四つの戦い」をした。彼は"神の御前での自分の罪#の解決を「御子イエスの十字架」において発見した。三年間の留学で、学位証書の一枚も、家族へのお土産に持って帰らなかった。しかし、この"十字架の福音#をもって、彼は、日本の救いのために戦うこととなる。そして、以後の日本に、大きな影響を与えることになる。わたしは、この内村の体験は、ルッターの"神の義の発見#にも通ずる、明治期の日本人(あるいは日本人の典型であるサムライの子、内村鑑三)の心の奥に起こった、キリスト教との出会い、歴史の深海で起こった、霊的な分岐点であると信じている。彼の生涯はこの「十字架の贖い」という一点にすべてをかけたと言ってよいであろう。

彼はキリスト教の本質を「この十字架の贖い」発見し、自分の信仰を「十字架教」とまで、言ったのである。彼の著作は常にこの「十字架の贖い」を指し示していた。高弟と言われた藤井武が「十字架の贖罪」の問題で、違った論説を書いたときに、内村は彼を怒り「火鉢の火が着物のすそに燃え移ってぷすぷすと煙を上げて」いるのに、それをも忘れて、怒り続けられた。佐倉さんが時々言及される関根正雄氏(彼はこの9月9日に召された)は「内村鑑三」という本の中で、「内村にとって十字架は恐らく宇宙よりも重い事実だったのである」と記しています。

佐倉さんが、時々、「罪の許しがほしくて神を信ずる」云々の言葉は、内村が聞いたら卒倒するような言葉に響くでしょう。


2)、少し、1)を長く書いたので、第2の質問は短めに致します。佐倉さんの体験 では、教会に行かれて、クリスチャンとして生活されたことが記されているのです が、もし、よろしければ、どのような伝統を持つ教会に通われたかをお教え頂けます でしょうか?

というのは、わたしは日本キリスト教団という教会で信仰生涯を送り、 今も同じ教団におります。神学校でも、旧約聖書の学びは佐倉さんの言っているのとほとんど同じと言っていいでしょう。(勿論、それらを「聖書のまちがい」とは呼びませんが)。聖書は歴史的な背景を持つものでありますし、その成立の過程は非常に複雑です。重複や内容の違いは、その時代その時代の信仰者の魂の底からの告白であり、何にも問題はない。日本キリスト教団の神学校ではどこでも、知的誠実さをもって聖書に取り組む姿勢を持っており、佐倉さんの主張とほぼ一致しています。どなたか、大学で聖書を教えておられる方が、佐倉さんの聖書理解に、ほとんど異存はありませんが、と言っておられましたが、わたしどもも同じです。

でも、佐倉さんが、「キリスト教関係の意見」の中に、「エホバの証人」の方の文章がかなりありまして(「エホバの証人」の方ごめんなさいね)、いわゆるキリスト教の中にそれらの方々も入れておられる。これはクリスチャンでない方々に誤解を生むのではないでしょうか?佐倉さんは、「ものみの塔」と「プロテスタント教会」の違いがお分かりにならないと言うことはないと思います。時々、佐倉さんの文章を読んでいて、これらがごちゃ混ぜになっているので、びっくりすることがあります。静かに考えると、「あるいは、佐倉さんが教会に行っていたというのは、「ものみの塔」とか「統一教会」のような「とんでも」教会の一種ではなかったのか…?」なんて想像してしまう時もあります。(このような表現で傷つく方がいたらごめんなさい。)ということで、少し長くなりましたが、お返事をいただければ感謝に耐えません。





パスター・ハリーさんへ

00年10月28日


(1)躓き

実際に、内容を細かく読んでいると、福音派と言われる聖書信仰の教会で躓いた女性の証言やそれに対する佐倉さんのコメントに疑問を感じましたし・・・

福音派教会で躓いた女性に対するわたしのコメントのどの部分に疑問を感じられたのか教えてください。わたしの考えをもっとくわしく説明できるかもしれませんし、自分の間違いに気づくことができるかもしれません。

イエスの十字架による救いとは、罪からの解放(罪の力からの自由)ではなく、その約束にすぎない」というところですか。「クリスチャンも非クリスチャンも、その人間的実態は、大して変わらず、しばしば、クリスチャンよりもはるかに尊敬に値する非クリスチャンがいる」というところですか。「[救い]の約束の保証はどこにあるのかと聞けば、“新約聖書に書いてある”としか答えようがありません」というところですか。「自分が救われるという約束を信じるためには、新約聖書の権威を絶対化せざるを得ません」というところでしょうか。それとも、別の部分でしょうか。


(2)絶対王の概念

旧約聖書の神概念は古代メソポタミヤの絶対王の概念を引きずっている等の言葉が非常に多くて、わたしにはとても奇異なものに感じました。

聖書の神のイメージが絶対王としてのそれであるというのはもちろん聖書そのものにあるわけですが、その絶対王のイメージはもともとメソポタミヤやエジプトの王政の概念から持ち込まれたのであろうというこの考えは、わたし自身の個人的な考えであり、本で読んだこともないし、誰かに教わったのでもありません。この考えは自分でも新しい解釈だと思っていますから、「奇異なものに感じ」られることもあるかと思います。しかし、わたし自身は、かなり合理的な解釈だと思っています。

それで、どのようにして、このような解釈がわたしに生まれてきたのかをくり返して説明します。日本には、キリスト教やユダヤ教に登場する一神教の神、厳しい神のイメージは、砂漠という過酷な環境と深い関係があるというポピュラーな考え方があることはご存知だと思います。和辻哲郎の解釈(『風土』)です。わたしの王政説は、実は、この砂漠説にチャレンジするものなのです。

人間が見えない神をイメージするためには、どうしても、自分たちが具体的に知っているものからでなければ、イメージできません。しかし、わたしには、砂漠という自然環境から聖書にあるような絶対王としてのイメージがどのようにして出てくるのか論理的に納得できないのです。はなはだ主観的な感覚論にすぎないと思います。しかし、聖書の神は、あきらかに、天において万軍を従える王宮の支配者です。ですから、地上における王宮に住む支配者たる王のイメージを理想化したものである、というのが最も自然な解釈だとわたしは思うのです。

しかも、メソポタミヤやエジプトは、人類が絶対王制を築いたおそらくもっとも古い文明であり、メソポタミヤやエジプトの王は、また、同時に神として崇められており、「王=神」の概念は、古代イスラエル人が歴史に登場するまえから、この両文明にあったものです。そして、古代イスラエル人は、たとえば、アブラハムはメソポタミアから、モーセはエジプトからといった具合に、まさに、この二つの文明ときわめて深く関りながら歴史に登場してきたのです。

さらに、聖書を見れば明らかなように、聖書における神ヤーヴェのもっとも重大な役割は、敵国であるメソポタミヤやエジプトの王と戦うイスラエルの軍神としての役目です。聖書において王(あぶら注がれた者=メシヤ)が「救い主」という意味を持っているのは、このためでしょう。神ヤーヴェのもう一つの重大な役割は、彼が支配する民が従うべき律法を与え、それを守るものを祝福し、守らないものを罰する、治世神としての役目です。しかるに、民を敵から守る「軍神=絶対王」の概念も、民に律法(たとえば、ハムラビ王の法典)を与える「治世神=絶対王」の概念も、古代イスラエル人が歴史に登場するまえから、メソポタミヤやエジプトの王政思想にすでにあったものです。

これらのことを考えると、古代イスラエル人がかれらの神を絶対王としてイメージしている事実の背景には、古代メソポタミヤやエジプトの王政の影響があると考えられるのです。わたしはこの考えを合理的な推論であると思っています。 すくなくとも、砂漠説よりははるかに説得力があると思っています。パスター・ハリーさんは、どこに「とても奇異なもの」を感じられたのでしょうか。どこに「トンデモ」部分を見いだされたのでしょうか。パスター・ハリーさんは、聖書の神の持つ絶対王としてのイメージを、その聖書を書いた古代のイスラエル人は、いったいどこから得たのだとお考えですか?


(3)キリスト教の歴史的貢献

キリスト教はその歴史上、人類に益するところは何一つなかった等の言葉はとても反感を覚えました。

これはあきらかに誤解です。わたしは、人類はキリスト教が無くてもちゃんとやっていける、とは主張していますが、「人類に益するところは何一つなかった」などと言った覚えは全くありません。

人類はキリスト教が無くてもちゃんとやっていける、とわたしが考える理由の一つは、なんどか繰り返し言っていますように、日本の歴史です。キリスト教が伝来して以来、実に450年という長い年月が経っていますが、日本におけるクリスチャンの人口はいまだにわずか1%ほどだと報告されています。わたしは、日本という国もそこに住む住人たちも、取り立てて誇りに思えるほどのものではないとは思いますが、「キリスト教国家」やその住人と比べて、それほど駄目国家、駄目人間でもない、とも思っています。日本の歴史は、そういう意味で、人類はキリスト教が無くてもちゃんとやっていけることを歴史的に実証してしまった、と考えるわけです。

わたしが、わざわざ、日本の例を取りだして、「人類はキリスト教が無くてもちゃんとやっていける」と明言するのは、もちろん、そう思っていない方々がいるからです。

神道、仏教によって育てられてきた特質をそのままのばして行けば大変なことになる。ここで一種の輸血と申しますか、新しい血を導入して体質改善をしなければならない。日本人の体質改善が行われなければ先が見えてくる。

(北森嘉蔵、『日本人と聖書』1995年教文館)

日本におけるもっとも著名なキリスト教神学者、北森さんがここで言う「新しい血」とは、もちろんキリスト教のことを指していることは言うまでもありません。日本人はキリスト教の血を導入して、人格改造をしなければ駄目になってしまうという考えの背後には、「クリスチャンでなければ一人前の人間とは言えない」という考えがひそかに潜んでいます。わたしが、「人類はキリスト教が無くてもちゃんとやっていける」という当たり前のことを、わざわざ明言しなければならないのは、このような考えがキリスト教者によって主張されるからです。


(4)内村鑑三の弟子

彼はキリスト教の本質を「この十字架の贖い」発見し、自分の信仰を「十字架教」とまで、言ったのである。・・・佐倉さんが、時々、「罪の許しがほしくて神を信ずる」云々の言葉は、内村が聞いたら卒倒するような言葉に響くでしょう。

これはおっしゃる通りです。それにも関らず、わたしが内村に傾倒し、自分自身を「内村の弟子である」と自称しているのにはわけがあります。それは、わたしが、内村を単なる信仰者としてではなく預言者として理解しているからです。信仰者としての内村にはまったく興味がありません。わたしが注目するのは、預言者としての内村なのです。このことについては、すでに、「作者よりMIWさんへ 質問1」と「作者より山本孝寿さんへ」で、余すところなく説明したつもりですので、そちらをごらんください。時間がありましたら、これはぜひお読みください。


(4)エホバの証人

でも、佐倉さんが、「キリスト教関係の意見」の中に、「エホバの証人」の方の文章がかなりありまして(「エホバの証人」の方ごめんなさいね)、いわゆるキリスト教の中にそれらの方々も入れておられる。これはクリスチャンでない方々に誤解を生むのではないでしょうか?

わたしは、エホバの証人の教義の多くを荒唐無稽なものと考えていますが、日本キリスト教団と同じドグマを持つ人だけをクリスチャンと呼ぶ神経も持ちあわせていません。日本キリスト教団の牧師さんと違って、わたしは、イエスをキリストと信じるものはクリスチャンである、と解釈するリベラルな立場です。だからエホバの証人もわたしの目にはクリスチャンです。

わたしが、エホバの証人の訪問を受けるようになったのは、わたしがすでにキリスト教を棄教した後です。現在に至るまで、無神論者で聖書に批判的なわたしは、それでも、しばしばかれらの訪問を受けています。わたしは、エホバの証人だからといって、門前払いにはしないのです。わたしは自分の方からおもむいてキリスト教を学ぶことなどはすでに止めていますが、「来る人も、また来る人も、福の神」という考えで、いつのまにか、わたしの本棚はエホバの証人の書物でいっぱいです。

それに、わたしの興味の中心は「聖書は神によって書かれたものであるから、いかなる誤謬もない」という聖書主義、「ファンダメンタリスト」とよばれる人々の聖書観ですから、まさに、そのような聖書観を持つエホバの証人の文献は実に有用なのです。

さらにまた、わたしはあるときエホバの証人の教義を批判する必要を感じ、わたしの理解の一部を本サイトでも述べています(「エホバの証人の終末思想」)が、批判するからには、わたしは並のエホバの証人以上にかれらの教義を研究しなければならないと思っています。

わたしの文章の中に、エホバの証人の引用が多いのは、このような理由のためです。

なお、わたしが関りを持ったキリスト教会のリストは「作者よりHiromichi Yamamotoさんへ 00年8月19日」を参照してください。伝統的な教会だけではなく、モルモン教会とか統一教会とか、すでに上記で述べたエホバの証人など、世間で問題とされている新興キリスト教団体とも、平等に付き合っていることに注意してください。

ところで、わたしがもっとも熱心なクリスチャンであった(と自分で思っている)のは、メリーランド州の Rockville という小さな町に住んでいたころです。下宿していた家のすぐ後方の小高い丘のようになったところにあったプレスビテリアン系の小さな教会です。わたしはその教会の牧師の説教を聞くのを毎週楽しみにしていました。

ニューヨークに移ってからは、いろいろな教会に行きましたが、そのうちの一つが、やはり住んでいたアパートのすぐ近くにあった Riverside Church です。この教会がわたしが定期的に通った最後の教会となりました。当時、わたしは大学で宗教学を専攻しており、将来神学者になることを考えていました。ここでユダヤ人の聖書学者アラン・シーガル教授の旧約聖書の講義に大きな影響を受けたのです。


おたより、ありがとうございます。


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