このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。
00年2月25日
1.テモテの聖書は霊感うんぬんの箇所は、新約認定のカルタゴ公会議以前に書かれたので新約はさしていないはず。
2.出エジプトの最後のモーゼはしんだの箇所はふろくだという人がいるが根拠がない。
00年2月27日
1.「テモテの聖書は霊感うんぬんの箇所は・・・新約はさしていないはず・・・」
そうですね。新約聖書における「聖書」とは、(後代のクリスチャンが「旧約聖書」と呼ぶことになる)ユダヤ教の聖典のことを指しています。
2.「出エジプトの最後のモーゼはしんだの箇所はふろくだという人がいるが根拠がない。・・・」
「出エジプト」ではなく「申命記」のことを指しておられるのだと思いますが、この書にモーセの死や彼の死後のことについて書かれているので、そのことが、この書を含む五書がモーセによって書かれたといままで教えられてきた信者にとっては困るわけです。そのため、最後の少しの部分だけは、たとえば、ヨシュアなどによって書かれたのだろう、と考えたいわけです。そう考えれば、それが本質的にはモーセが書かれたのだ、という主張が貫けると思われるからでしょう。
問題は、それら五書にはどこにもそれらがモーセによって書かれたことなど書いてないのに、なぜかれらはモーセ著作説にこだわるのか、というところにあるでしょう。どこの馬の骨だかわからない人物によって書かれたのでは権威を感じられないからでしょうか。あるいは、イエスがそれらの書を指して「モーセの書」と呼んだので、いまさら、モーセの書ではなかったとは言えず、モーセ著作説に執着しているのでしょうか。「著者はわからない」、と正直に言えないところに、かれらの知的不誠実さがあります。
おたより、ありがとうございました。