有本康夫です、いつもお世話さまです。 先の「イエスの弟ヤコブ」にいろいろとご指摘をいただいてありがとう ございます。それにつき反論と言うわけでは有りませんが。
パウロとエルサレム教会の関係で、ガラティア書簡と大体同時期 に書かれたと思われるコリント第1書簡から
15:7 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、
15:8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。
15:9 わたしは、神の教会(エルサレム教会)を迫害したのですから、使徒たちの中 でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。
15:10 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神 の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しか し、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。
15:11 とにかく、わたしにしても彼ら(ヤコブ達)にしても、このように宣べ伝えて いるのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。
15:12 キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの 中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。
と言う部分があり、パウロの心境と言うか、エルサレム教会の中でのスタンス と言うべきかをよく表している様な気がします。
「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」と言う部分がガラティア書簡の 「イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって 使徒とされたパウロ」に通じるのだと思います。
ルカ文書はご指摘の様に、福音書の後に書かれていて、パウロ書簡よりかなり 後にまとめられたものですから、ルカ流にアレンジされているのは間違えない と思います。 しかし、(これは私の思いこみかも知れませんが)使徒言行録16/10の「私たち は」の表現から、エルサレム会議の少し後の第2回ヨーロッパ宣教から、ルカ はパウロ達に同行しているようにも見受けられ、また第3回宣教の後のエルサ レム訪問にも同行している様子なので、パウロとエルサレム教会の関係は資料 ではなく自らの体験で把握したのではないでしょうか(勿論多くの事件やいろいろ な発言等は、資料によるでしょうが)
ヤコブが宗主でパウロは部下だと言っても、ヤコブはどこかの教団の様にカリスマ でも無いようですし、取りまとめ役程度の立場でしょうし、パウロは書簡にも書いて いるように、「イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神 と によって使徒とされたパウロ」になったわけで、ヤコブを絶対的な上司として見た のではなく、数少ない相談相手と見ていたと思うのですが。
どうも失礼しました。