捕虜にされた騎兵の数

サムエル記第二8章4節に出てくる「騎兵千七百」という数と歴代誌第一1 8章4節の「騎兵七千」という数の差異は書写上の誤りのために生じたのかもし れません。ギリシャ語セプトゥアギンタ訳では、どちらの聖句も兵車1,000 台と騎手7,000人が捕らえられたことを示しています。したがって、元の読 み方をとどめているのは恐らく、歴代誌第一18章4節の方でしょう。 しかし、ダビデとハダドエゼルの戦闘に関する記述の中で一般に書写上の誤り とみなされているものは、戦争の他の面、もしくは数え方の相違を反映している だけなのかもしれない、という点にも注目できます。

イスラエルとユダの戦士の数

ある人たちはここに書写上の誤りがあると考えています。しかし、その時の 状況や数え方などが十分理解されていないのに記録に間違いがあるとするのは賢 明ではありません。この二つの記述は異なった観点から数を数えたものなのかも しれません。たとえば、常備軍の成員および(または)そのつかさたちが数えた り省かれたりしていたと考えられます。また、数え方が異なったために、ユダの 人かイスラエルの人かに関し、一部の人々の列挙の仕方に相違が生じたのかも知 れません。歴代誌第一27章にはその例と思われるものが見られます。そこには王 の奉仕のための12の組が列挙されており、ガドとアシェルを除くすべての部族の 名前に加え、レビおよびマナセの二つの半部族の名前が挙げられています。これ は当時、ガドとアシェルの部族が合併して他の頭の支配下にあったためか、ある いは述べられていない他の理由によるものなのかもしれません。

殺された戦車兵の数

戦いで殺されたシリアの兵車の御者の数が異なっているのは普通、書写上の 誤りとされており、サムエル記の兵車の御者700人というのが正確な数とみな されています。