1.ごあいさつ

先月おたよりしました大沢清四郎です。お返事をいただきましてありがとうござい ます。

私は「唯一神は絶対王にして軍神」という佐倉さんの説を、いささか単純化して理解してしまったようです。「唯一神=絶対王=対外的には軍神(万軍の主)+対内的には治世神(契約の神)」ということですね。実に明快な定式化です。「契約」というのは訳の分からない思想なんですが、こういうふうに位置付けしてもらうことでとても見通しが良くなりました。なるほど共同体というのは、共同体として自閉することで外部を排除し、同時に外部を排除することで内部の結束を図るものですから、「対外的」、「対内的」と分けて考えるのは合理的です。

 こういう風に分かり易く説明してくれる人ってあんまりいないんですよ。クリスチャンは絶対にこういうことは考えませんし、クリスチャンじゃなければそもそもこんなことには興味がないですから。

 それで、佐倉さんの唯一神理解は見とおしが良くなったのですが、一方で私の当初の疑問は逆にますます混乱してしまいました。しつこいようですが、さらに食い下がらせてください。


2.神々は何処に行った?

 私は「軍神」=「多神教」と考えていました。私は「聖書は多神教か」というsamtsumiさんとのやり取りを読んでこのように考えたのですが、しかしこれは誤りでした。そうではなく、「軍神」は「唯一神の対外的な性格」です。しかしそうなると、「多神教」という論点は見失われてしまいます。「神々」はいったい何処に行ってしまったのですか?


3.「歴史」について

 佐倉さんは「創造神話や洪水神話やバベルの塔神話など歴史以前の物語を除いては、わたしは、エジプトやメソポタミアの宗教のユダヤ教への影響をほとんど見いだすことはできません」とおっしゃっておられますが、「歴史以前の物語」(仮にこれを「神話」と呼びます)とは、どこからどこまでですか? 「創造神話や洪水神話やバベルの塔神話」は神話なのでしょうが、それでは「歴史」は何時始まるのですか?アブラハムからですか?モーゼからですか?あるいは「歴史書」として分類されている文書からですか?

 無論これは無茶な質問です。歴史と神話が明白に区別できるはずもないし、神話と思われていた物語が史実だったということもあれば、今日の我々が歴史と信じているものが将来「20世紀の神話」と呼ばれているかもしれません。ですから、厳密にお答えいただかなくて結構です。だいたいイスラエルの歴史とはこのようなものだ、ぐらいの感じでいいです。


4.「始めから」について

 佐倉さんは「古代イスラエル人は、始めから、エジプトやメソポタミアの神々を軽べつしていたと考えられます」とおっしゃっておられます。私の問いは、それなら、「その『始め』とは何時か」、「『始め』に何があったのか」、というものです。 これはクリスチャンにとってみればまったくナンセンスなくだらない質問でしょう。「始め」はすべての始めに決まっているからです。しかし私はそのような議論をするつもりはまったくなくて、神学の問題ではなく歴史の問題として、「それは何時なのか」、「そのとき何があったのか」を問いたいのです。たとえば「それは1600年であり、徳川家康が征夷大将軍になったのだ」というような。これは「江戸幕府の『始め』」ですけど。


5.イスラエルの王たち?

 佐倉さんは「エジプトの王は自分たちを神と同一視する傾向があるようですが、イスラエルの王たちは、たとえ、ダビデやソロモンであろうと、けっして、神と同一視されるようなことにはなりません」とおっしゃっておられます。しかし、ダビデやソロモンは王ではありませんから、このセンテンスは意味が分かりません。話はむしろ逆で、イスラエルの王は自らを思いっきり神と同一視しているのではありませんか?


6.永遠に生きるのは誰か?

 佐倉さんは「失楽園の物語を見ればわかるように、永遠に生きるのは神々だけにゆるされた特権です」とおっしゃっています。この永遠に生きる神々とは、どちらの神々ですか。


7.プロブレマティック/唯一神の起源・総論〜多神教と一神教

 以上は、前回の佐倉さんのお答えの中で、私が引っかかってしまった部分です。前回のメールでは私の文章構成が混乱していて、佐倉さんにご理解いただけなかったようなのですが(ごめんなさい)、私の関心は「唯一神の起源」にあるのです。そこで今回はちょっと工夫して最初に質問だけを簡潔に列挙してみました。以下が、今回の本論です。


 上記の5つの疑問は、とりあえず佐倉さんのお答えに基づいて5つに分けて並べてみたのですが、私の中ではこれらの疑問は5つバラバラではなく、ひとつのまとまった形で問いを成しています。 まとめると以下のようなことです。

 佐倉さんの定式化に従うと、「唯一神=絶対王」とは「対外的には軍神(万軍の主)&対内的には治世神(契約の神)」です。そしてこのような「唯一神=絶対王」を頂く「古代イスラエル人」は「始めから、エジプトやメソポタミアの神々を軽べつしていた」わけです。

 では、なぜ「古代イスラエル人」はエジプトやメソポタミアの神々を軽蔑していたのでしょうか。それは、エジプトやメソポタミアの神々が「無力な偶像」だからですね。逆にいえば古代イスラエル人の神は「無力な偶像」ではなかったから、エジプトやメソポタミアの神々を軽蔑することができたわけです。

 では、「無力な偶像」ではない、とはどういうことでしょう。それは「ヤハウェ神は、具体的に、イスラエルを守る軍の指導者としての王であり、イスラエルの社会を治める政治指導者としての王である」ということで、それはつまり「戦争や治世を直接任された」ということです。つまり、「軍神」であり「治世神」であるということですね。

 では、「戦争や治世を直接任された」とはどういうことでしょうか。それは「契約の神」であるということです。ヤハウェ神は「契約」を通じてイスラエルを「具体的に」「直接」支配するわけです。

 では、ヤハウェ神が「契約の神」であるとはどういうことでしょうか。それは「唯一神」であるということです。なんせ「契約」の第一の条項に「唯一神であること」が盛り込まれているのですから、「契約神」であるということと「唯一神」であるということは切り離せないのです。

 したがって、佐倉さんが「古代イスラエル人は、始めから、エジプトやメソポタミアの神々を軽べつしていたと考えられます」と言うとき、それは「古代イスラエル人は、始めから、一神教だったと考えられます」と言っていることになります。 私はこれを信じがたいことだと思うのです。

 前回のメールでも触れておいたことですが、私はユダヤ教を非常に変な宗教だと思っています。いろいろと変だけど、「一神教」「唯一絶対の神」という考え方も、非常に不自然で、変な考え方だと思っています。おそらくそれは私が99%に属する日本人だからだと思います。日本人であり、非クリスチャンである私がユダヤ・キリスト教に関心を持つことに何らかの意義があるとすれば、それはまず、この違和感に立脚したものであるべきだと思うのです。一神教の社会で生まれた人は、もはやそれを変とも不自然とも感じないでしょうけれども、私たちはまだそれを感じる感受性を奪われていないのですから。

 99%の日本人がキリスト教を受容しないのはなぜだろうか、ということはしばしば問題になります。それは99%の日本人がキリスト教の神にある乗り越えがたい断絶を感じるのはなぜかという問いです。我々がユダヤ・キリスト教の神について感じる違和感は、それがあまりにも攻撃的で、排他的で、非寛容であるというところにあります。もちろん、ほかにもいろいろありますけど。

 これについては伝統的に「なぜならユダヤ%キリスト教の神が砂漠の神だからだ」なんていう説明がなされます。温暖な日本の神はそれを反映して温厚になるが、厳しい砂漠の神はそれを反映して厳格になるのだ、と。

 こういうことを言われると思わず納得しそうになってしまうわけですが、しかし、考えてみればこれは通りません。キリスト教の総本山はもともと温暖な神々の国だからです。こういうことを言うと、地中海と東アジアは違うから、って言われるわけですが、でも同じ温暖な東アジアの辺境国という条件下でも、隣の半島ではキリスト教はかなりしっかり根付いているわけですからやっぱりこれも通らないでしょう。

 むしろ、なんでもかんでも気候・風土のせいにしてしまう発想のほうが、日本的な宗教観に根拠を持つと考えるべきです。日本人って、私もそうですけど、「イギリスは寒いから」とか「アフリカは暑いから」とか言われるとつい納得しちゃうんですよね。

 私はこのユダヤ・キリスト教の神に対する違和感に、気候・風土に依らない説明をしたいわけです。私は遠藤周作さんの文学をあまり面白いとは思いませんが、この違和感に生涯こだわり続けた態度には非常に共感するのです。話はちょっとズレてしまうのですが、しかし遠藤周作さんは「バプテスマのヨハネは荒涼としたユダの砂漠を代表し、イエズスは温暖なガリラヤを代表する」なんてことを言っています。私はこれには共感できません。

 話を戻しますと、私は攻撃的で、排他的で、非寛容なユダヤ%キリスト教の神にすごい違和感を感じるのですが、それらはやはり彼らの神が「唯一絶対」であるということから来ると思うのです。そして私はこの「唯一絶対の神」という観念が、非常に不自然で、変だと思うわけです。

 私は、おそらく佐倉さんと同様に、神は「人間の願望が外部に投影されたもの」だと考えています。つまり神は人間の自己疎外態である、と。これはこのページの来訪者の中では異端になりますが、世間一般では常識に属する別に珍しくもない考え方です。

 人間は様々な形で願望を持つのですが、それがいつも実現できるわけではありません。そのような現実にこっぴどく拒絶され、それを改善することが出来ないような状況に陥ったとき、人は自らの能力を超えた大きなものに根拠を求めたくなってしまうのですね。神は、人間が現実に拒絶されたときに現われます。あるいは、神は人間の無力感から生まれます。

 神が、人間の自己疎外態であり、人間の現実に対する無力感から生じる「納得するための根拠」であるとすると、神は、あるいは宗教は、必然的に多神教になります。

 たとえば、日本人におなじみの「山岳信仰」というのがあります。「山」というものに霊的な力が宿っているとして畏れる、というものです(古来から日本列島には多く見られます)。また、「山」というところには「山の神」という超越的な人格的な存在が住んでいて、それが恵みをもたらしてくれたりする、という考え方です(これはアイヌなんかがそうです)。

 山は別に人間の都合で山をやってるわけではないですから、獲物を求めて山に入っても期待外れに終わることはあります。そういう場合に「山の神がお許しならなかったのだ」って考えて自分を納得させるわけです。

 まあそんなことはどうでもいいんですが、この場合、なぜ「山の神」なんてものが出てくるのかといえば、それはもちろん、「そこに山がある」という現実があり、それが人間を拒絶するからです。問題は、「そこに山がある」とはどういうことかっていうことです。

 そこに山がある、と言えるためにはそもそも人間が「山」というものを認識できるのでなければなりません。そして、それを「山」だと認識するためには、それが「平地」や「台地」ではなく、「海」や「川」でもなく、また「空」や「星」でもなく…、ということが同時に把握されているのでなければなりません。そうでなければ、神を云々する以前に、それが「山」であることができません。

 したがってこれは「人間が認識するとはどういうことか」という問題です。あるいは「世界は如何にして構成されるか」という問題です。そしてその答えは、「分節することによって」です。認識するということは、対象を分節し、区別するということで、ここから言語が生まれます。人間が言語的な生き物である以上、対象は分節されているのであり、対象を分節しなければ言語を獲得することはできないわけです。99%の日本人にとっては、これはほとんど言うまでもないような自明の事柄であり、単なる当たり前のことだと思います。

 このように、およそ人間が何事かを認識しているのならば、その対象は既に分節されたものとしてあるはずだ、と考えるなら、「山」がある以上、「平地」や「台地」や「海」や「川」や「空」や「星」や…などなどが既にあるのでなければならず、そうであるなら当然、「山」に「山の神」がいるなら「平地の神」「台地の神」「海の神」「川の神」…などなどがいることになるでしょう。かくして宗教は放っておけば多神教にならざるを得ない、と私は考えるわけです。およそ人間が何事かを認識するかぎり、あるいは人間が精神というものを持つのであるかぎり、人の心はそのイニシャル・ステップ(はじめの一歩)において常に、既に、原理的に、多神教への契機を孕んでいるわけです。 これが、神は人間が作り上げたものだという前提から来る必然的な帰結です。

 こうして、神が「人間のつくったもの」であり、そうである以上放っておけば多神教にならざるを得ないと考えると、「一神教」とか「唯一神」というものは、非常に不自然で、変な考え方だということになるわけです。 そして、たとえそれが非常に不自然で変な考え方であっても、現にそういう事実があるんですから、そこには何か非常に不自然で変な発想を強いるような特殊な条件があったのだろう、と考えるわけです。したがって順序としてはまず、初発にアニミズムから発展した多神教があり、次いでそれが何らかの理由で一神教に変化する、という形でなければなりません。 しかし一神教は、多神教から自然発生的に生じてくるものではない、と私は考えます。多神教はアニミズムの発展形態かもしれませんが、一神教は多神教の発展形態ではない。そうではなくて、それらとは異なるコンテクストからやって来るのだと思うのです。


8.プロブレマティック/唯一神の起源・総論〜統合・体系化と「偶像の否定」

 世界中の宗教がそうであるように、宗教は放っておけば多神教になります。そして、それは世の中神様だらけの状態を作り出しますから、人間はとても生きづらい状況に追い込まれます。内村鑑三だったか新渡戸稲造だったか忘れましたが、神様がたくさんいてあっちを立てればこっちが立たずで困った、という話があります。たしかにそれでは困ってしまいますから、ここで神々の統合・体系化が起こります。たいていの場合、神々をランク付けして神のヒエラルキーがつくられます。そしておそらく、その神々の秩序を説明するために、ここで神話というものが要請されるのです。 仏教で考えれると、もともとインドは多神教の国でした。今もそうです。ナントカ仏とかカントカ如来とかドウトカ菩薩とか、そういうのが入り混じって収拾がつきません。そこで大日如来っていうのを持ち出してきてこの混乱を構造化し、秩序立てようとするわけです。  あるいはギリシャの場合は、周知のように最高神ゼウスを頂点にして神々が体系付けられていますし、日本神話ではアマテラスを頂点としたヒエラルキーがつくられました。

 人間がモノを考えるとき対象を分節しなければならないわけですが、そればっかりやってると世界がどこまでも断片化してしまいますから、そこでどこかで逆のベクトルが要請されるわけです。分析と総合の弁証法ですが、これも別に宗教にかぎらず、およそ人間がモノを考えるときには必ず辿る傾向です。これまた当たり前の話で、わざわざ言うまでもないことです。

 問題は、ここで為されるのが多神教における神々の統合・体系化であって、一神教化ではない、ということです。大日如来を持ち出しても、ゼウスを持ち出しても、アマテラスを持ち出しても、それで多神教が一神教になったわけではありません。整理され、体系化されても、それはあくまで多神教なのです。大日如来によるヒエラルキーはたとえば曼荼羅で表されますが、そこには大日如来を取り囲むようにして他の仏たちが描き込まれています。同様にゼウスは最高神ですが、それでアポロンやアテナやヴィーナスが廃棄されてしまうわけではありませんし、アマテラスがいればツクヨミやスサノオは要らない、ということにはなりません。それどころかアポロンやアテナはゼウスより人気者だったりしますし、日本神話ではアメノウズメノミコトという、どう考えたってたいしてありがたくもない神様が結構重要な働きをしています。 多神教の最高神はどこまでいっても最高神どまりで、一神教の唯一神はここからは出てこないのです。ゼウスやアマテラスはどうしたって唯一神にはなれない。ゼウスとヤハウェの間には、なにか決定的な断層があります。  私はそれが、「偶像の否定」だと考えるわけです。

 ギリシャの神々や日本の神々は、最高神によって体系立てられ秩序立てられますが、同時に体系・秩序によって保証されます。体系・秩序は神々を包含し、構造化しますが、その中で神々は単に上位に止揚されるだけです。その存在は認められており、否定されてはいません。ヤハウェの特殊性は、それが他の神々を包み込むのではなく、また従えるのでもなく、否定してしまうというところにあります。これがすなわち「偶像の否定」です。

 これも前回のメールで触れておいたことですが、私は一神教とか唯一神とかっていう観念の本質は「神は唯一絶対である」というテーゼにあるのではなく、「偶像の否定」にあると考えています。 これは、形式的に考えるなら、「神は唯一絶対である」という原理・原則と、そこから導かれる「偶像の否定」という効果、というふうに図式化されます。しかし、だからといってこれを「神は唯一絶対である」→「偶像の否定」、という歴史的な順序と考えるわけにはいきません。こういう考え方はトーシローの(何の?)発想であって、こういう場合、事態はむしろ逆であると考えるべきです。

 たとえばこれを「日本国憲法前文」という原理・原則と、そこから導かれる「憲法9条」という効果、という図式と対比してみれば問題はクリアーになるでしょう。「日本国憲法前文」→「憲法9条」、という図式はあくまでも形式的・論理的なものであって、間違っても歴史的な順序を反映しているわけではありません。日本国憲法を字面だけ眺めれば、「前文」のような理念がまずあって、その理念に基づいて各条が定められたかのようですが、現実には、まず「9条」があって、「前文」はそれを正当化するために後からでっち上げられたのです。言うまでもなく、初発にあったのは「9条」のほうで、またそれは理念のせいなどではまったくなく、単にアメリカさんの都合です。実質的に「平和主義」を担保するものが、憲法の理念などではなく、また間違っても国連憲章などでもなく、あくまでもアメリカの軍事力であるというのは、さっきからこればっかりで恐縮ですが、言うまでもないような当たり前のことで、既に現代の常識です(思えば湾岸戦争とは、日本にとってはこの事実を身もふたもなく露呈した事件でした)。 現実においては、往々にして理屈は後からついてくるのです。

 私は一神教・唯一神についてもこれが妥当すると考えます。すなわち、初発に「偶像の否定」がまずあって、「神は唯一絶対である」という原理・原則は後からついてくるのです。 私はそれを、たとえば次のようなテクストに見出します。

 この議論を聞いていた律法学者の一人は、イエズスの巧みな答えぶりを見て、進み出て尋ねた。「すべてのおきてのうちで、どれが第一のおきてですか」。イエズスはお答えになった。「第一のおきてはこれである。『イスラエルよ、聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』。第二のおきては、『隣人をあなた自身のように愛せよ』これである。この二つのおきてよりも大事なおきてはない」。 そこで、その律法学者は言った。「先生、確かにそうです。主は唯一であり、主のほかに神はないとは、実に立派なお答えです。また、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして、神を愛すること、および隣人を自分自身のように愛することは、どんな全焼のいけにえやささげ物よりも、はるかにすぐれています」。イエズスは、その律法学者の賢い受け答えを見て、仰せになった。「あなたは神の国から遠くない人である」。(マルコ12−28〜34)

 私は始めてここを読んだときには、非常に驚いたものです。これは「キリスト教は愛の宗教」「キリスト教の根本教義は愛」という、世間一般のイメージを代表しているような箇所だと思うのですが、それがなんと、イエズスの言葉ではないわけですね。しかも、そう言われて論敵の律法学者はそれを否定してはいないし、それどころか、ルカの平行記事ではこれは律法学者のセリフになっていたりします。根本教義についても「聖書の間違い」があるわけですが、私がさらに驚いたのは、私はフランシスコ会訳を使っているのですが、ここの箇所には註がついていて、それによるとこの「第一のおきて」が『申命記6−4〜5』から、「第二のおきて」が『レビ記19−18』からの引用だというのです。

 律法学者がこれを否定していないこと、さらには、ことさらにイエズスとファリサイ派を敵対的に描こうとするルカがこれを律法学者のセリフにしていることから、この二つがもっとも重要なおきてであるということは、イエズスの独創ではなく、それ以前からのユダヤ教の常識だったと考えられます。そしてそのもっとも重要なおきてが、よりによって『申命記』、『レビ記』からの引用なのです。つまり、『出エジプト記』からではなく、いわんや『創世記』からでもないということです。第二のおきてについてはちょっと置いておきますが、そう言われてチェックしてみると確かにヤハウェは、アブラハムの召命のときも、モーゼの召命のときも、シナイ契約のときも、「私はあなたの主、あなたの唯一の主である」とは言ってないのです。「私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」などと妙に細かいことを言っておきながら、このもっとも重要なおきてについては何も語っていない。 私は不勉強なもので資料のことはよく分からないのですが(祭司資料とか、それに近いD資料とか)、『申命記』の成立はどう考えたって「十戒」よりも後でしょう。したがって「十戒」で「偶像の否定」が雄弁に語られているのに、「唯一の主」はもっと後にならないと出てこないわけで、これはやはり理屈が後からついてきたからだと思うのです。

 話はちょっと逸れてしまうのですが、佐倉さんのHPの「来訪者の声」は一通り目を通しました(けっこうな分量で大変でした)。いろんな方がいらっしゃっていろんなことを言われているわけですが、「偶像の否定」という論点はてんで人気がありません。神が唯一であり、絶対であり、万物の創造者であり…といったことには皆さん非常に多くを語られているのに(プータンさん、Wejloveさん、matsudaknhさんなどなど)、なんでそれよりも重要な(と私には思われるのですが)この論点がまるっきり無視されてしまっているのでしょうか。先に引用した新約の箇所を読んでいないクリスチャンはいないだろうと思うのですが、それが『申命記』からの引用であることに皆さんびっくりしたりはしないんでしょうか。しょうがないから私はひとりで驚いてますけど、ひとりで驚いているとバカみたいなので、佐倉さんも一緒に驚いてくれたらうれしいです。


9.プロブレマティック/唯一神の起源・総論〜「偶像の否定」の起源

 以上のように、私は「唯一神」は「偶像の否定」からやってくる、と考えます。したがって、「唯一神の起源」という私の問いの最終的な形は、「偶像の否定」の起源、「偶像の否定」という運動はどこから出てきたのか?というところに行き着くことになるのです。

 これは「神」やら「宗教」やらをいくらこねくり回しても、出てこない。現にパレスチナ以外のところからは出てきませんでした。今後も出てこないと思います。もし出てきたとしても、それはこの延長線上に出てくるのであって、たとえばマルクス主義がそうであるように、やはりユダヤ教起源でしかありえないと思います。私が問うのは、それを可能にした、おそらくは非常に特殊な、「現実的な条件」です。

 「現実的な条件」とは何か。もう一度、日本国憲法を引き合いに出してみます。「9条」は、論理的には「前文」からの帰結ですが、現実には「前文」が「9条」からの帰結です。同様に、「偶像の否定」は、論理的には「唯一神」からの帰結ですが、現実には「唯一神」が「偶像の否定」からもたらされます。そして「9条」は、「アメリカさんの都合」からもたらされました。 では、ユダヤ教においてこの「アメリカさんの都合」に相当するものは一体何なのか?これが私の問いです。


10.叩き台/イスラエルの歴史と唯一神信仰の成立

 そこでまず、イスラエルの歴史を大雑把に(すっごく大雑把ですが)並べてみます。

 (時代)        (主な登場人物)   
 (主な事件)                    (周辺諸国)
 A.神話時代      アダム、エバ、ノアなど
 天地創造、失楽園、洪水、バベルの塔など        エジプト・メソポタミア文明

 B.カナン時代     アブラハム                 
 約束の地へ出発、カナンで遊牧生活           エジプト中期王朝期

 C.エジプト時代    ヤコブ〜ヨセフ
 大暴れ、イスラエル成立                エジプト18王朝

 D.カナン遊牧時代   モーゼ
 エジプト脱出、放浪                  ヒッタイト滅亡、エジプト20王朝

 E.カナン定着時代   ヨシュア
 カナンに進出、先住民とバトル             ペリシテ人

 F.士師時代      デボラ〜サムソン
 カナンに定住、異民族とバトル             エジプト末期王朝

 G.統一王国時代    ダビデ、ソロモン
 ダビデ大暴れ、ソロモン大儲け             エジプト・メソポタミア弱体化

 H.分裂王国時代    エリヤ〜エレミヤ、ヨシヤ
 王国分裂、北が滅亡、預言者大暴れ           アッシリア

 I.捕囚時代      エゼキエル、イザヤ
 バビロンのほとりでシオンを思って泣く         新バビロニア

 J.第二神殿時代    ゼカリヤ、マラキ、エズラ、ネヘミヤ
 異民族支配、宗教改革で律法重視へ           アケメネス朝ペルシア

 K.マカベア時代    ユダ・マカベア
 独立を勝ち取る                    マケドニア、セレウコス朝シリア

 L.ローマ時代     イエズス、パウロ、ヨハネ
 ローマの支配、キリスト教大暴れ            ローマ
                                      
             …イスラエル滅亡

 簡単過ぎて涙が出そうですが、一応こんな感じでしょう。これが天地創造(BC50億年)からイスラエル滅亡(AD70年)までの古代イスラエル全史です。念のために断っておきますが、これは私が勝手にこう言っているだけで、聖書学でこういうふうに時代を区分しているのかどうかは知りません。間違っている可能性は大いにある、と考えてください。べつに威張ってるわけじゃないですが。

 さて、「唯一神」信仰はこのうち、どの時代に成立したのでしょうか。 先に引用したイエズスの言葉からも分かるように、律法宗教としてのユダヤ教においては唯一神信仰は当然の前提とされていますから、遅くてもエズラの宗教改革までには唯一神信仰は確立されていたはずです。したがって、K、Lのセンはないわけです。 そうなると「唯一神の起源」はA〜Jのどこかに求められるということになります。

 もしかすると自分はものすごくバカなことをしているのではないか、という気もしないではないのですが、各時代に唯一神信仰が成立することを論証してみます。念のために断っておきますが、以下の「ナントカ説」というのはすべて私が一人で考えて勝手にこう言っているだけで、たぶんこんなことをする聖書学者はいないと思います。学術的な裏付けは、1ミリもないです。

A.神話時代説(ファンダメンタル説)

 天地創造の始めから、神は唯一神であった。神はすべての始めから唯一の神であり、万物の創造主であり、絶対の、無限の存在者である。なぜなら神をそう「定義」するからであり、それがすべての「前提」だからである。『創世記』において、神が一人称を「我々」としているのは、まさにこのことの証左である。すなわち、神はすべてを超越した絶対的存在者であるから、単数と複数の区別をも超越しているのである。唯一でありながら複数というようなことを可能ならしめるようなものこそ、絶対の神なのである。これを矛盾と思うのは人間の知識が不完全だからであり、そのような自らの卑小さを恥じずに「聖書の間違い」などと語る者に対しては「どす黒い腹立ち」を禁じえない。

B.カナン時代説 (アブラハム説)

 神がアブラハムを召命したときに、唯一神信仰は成立した。多神教ならカナンには他の神が住んでいるだろうから、それをおまえに与えるなんてことは越権行為であり、こんなむちゃが言えるのは唯一神だけだからである。神が「我々」と名乗っているのは、例外的に紛れ込んだメソポタミア起源の神話である。

C.エジプト時代説(ヤコブ説)

 ヤコブが「イスラエル」の名を与えられたときに、唯一神信仰は成立した。イスラエルは一神教にきまっているから、その名を与えられるのは唯一神だけだからである。アブラハムはたしかに神の召命を受けたが、アブラハムはもともとメソポタミア出身であり、召命したのはメソポタミアの神であった。

D.カナン遊牧時代説(モーゼ説)

 モーゼの時代に、唯一神信仰は成立した。唯一神の本質は神が唯一絶対であるということではなく、「偶像の否定」にこそ存する。「偶像の否定」が語られるのはシナイ契約においてであるから、はじめに「柴」の箇所においてモーゼに現われたのが唯一神であり、それはシナイ契約でイスラエル全体の信仰となったのである。「柴」の箇所で、神は「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言っているが、それ以前の神はこういう抽象的なことを言わないので、モーゼに現れた神とは別物である。また、神はモーゼに「わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現われたが、主というわたしの名を知らせなかった」と意味不明のことを語っているが、『新共同訳』の「用語解説」によると、ここの原文は「わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブにエル・シャダイ(山の神)としてあらわれたが、YHWH(わたしはある)というわたしの名を知らせなかった」であるということになるらしい。「エル・シャダイ」は「山の神」であり、これを「全能の神」と訳すセンスは理解しがたいが、カナンの最高神が「エル」であり「神」という意味であることから、「エル・シャダイ」はカナンの神々のひとりだったと考えられる。また同じく『新共同訳』の「用語解説」によるとエルの配偶神は「アシェラ」、娘が「アシュトレト」であり、また「アシュトレト」の配偶神はかの有名なカナンの主神「バアル」である。よく似た神がメソポタミアに見られることから、これらの神々は古代オリエントに共通の神であったのかもしれないが、いずれにしてもこいつらが唯一神であるとは考えにくい。一方で、しつこいようだが『新共同訳』の「用語解説」によれば、「わたしはある」とは、空虚な神々ではない、ということにその意味があるそうなので、まさしく治世神としての唯一神であることの宣言といえる。

E.カナン定着時代説(ヨシュア説)

 モーゼに率いられてエジプトを脱出した集団が、長い時間をかけてカナンに定着していった時代に、唯一神信仰は徐々に確立されていった。実はエジプトを脱出してきたのは、後のイスラエル人のごく一部で、それ以外にも周辺のカナン遊牧民がいろいろとこの集団には加わっていた。イスラエルは部族の集合体で、それらをひとつに纏め上げるには厳格で強力な唯一神信仰が必要だったのだ。それ以前の神には、各部族が持ち寄った様々な神が入り混じっているのだ。

F.師士時代説(師士説)

 エジプトを脱出してカナンに定住したイスラエル人が、周辺諸民族の侵入からカナンを防衛していく過程で、唯一神信仰は成立した。実は、聖書はイスラエルがカナンを征服したと記述しているが、本当は別に征服したわけではなく、多少のいざこざはあったが、大筋においては自然に、かつごく平和的にカナンに定着していったのである。この過程でイスラエルはカナンの宗教を取り入れていったのだが、次第に周辺諸民族の襲撃に悩まされるようになった。防衛のための戦いは厳しいものであり、イスラエルはしばしば大敗を喫した。この時代に「師士」と呼ばれた指導者たちは、カナン人の宗教がイスラエル敗戦の原因であると考えるようになった。すなわち、カナンの宗教はとてもえっちな宗教だったので、師士たちはイスラエルが色ボケになって弱体化したと考えたわけである。いわば「学業の不振は生活態度の乱れが原因」という、中学校の生活指導みたいな発想であった。このような発想で、師士たちは生活指導の教師のように、カナン宗教の排斥に力を注いだ。これが「偶像の否定」であり、唯一神信仰はこのことの帰結であった。唯一神信仰とは反動形成であり、外部からの脅威と、それによってもたらされた風紀引き締めの時代精神から成立したのである。古来より人間が誇大妄想的な精神論に陥るのは、脅かされたときである。それ以前の神はアブラハムがメソポタミアから持ってきた多神教の神のなかの一人であった。

G.統一王国時代説(ダビデ・ソロモン説)

 ダビデ、ソロモンの時代に、唯一神信仰は成立した。この時代は全史を通じて酷い目にしかあってこなかったようなイスラエル人の、つかの間の黄金時代であった。王は神殿で「油を注がれる」ことによって王と承認されるのであり、このことからも分かるように王権は神に由来するものである。そのような次第で、強力な王権はさらに強力な神権に保証されなければならないので、王権の強大化に伴って、神の権威もより強力なものであることが要請されたわけである。神権の強大化は唯一神信仰をもたらし、またこの時代に、前代からの口伝の伝承が文書化された。唯一神信仰は思いあがりの産物で、王国の興隆とともに成立したのである。古来より人間が誇大妄想に陥るのは、調子に乗ったときである。それ以前の神は、アブラハムが持ってきたメソポタミアの神と、カナン土着の神と、師士時代に外部からもたらされた神の習合である。

H.分裂王国時代説(預言者説)

 預言者と呼ばれた人々の活躍した時代に、唯一神信仰は成立した。唯一神とは絶対王であるから、ダビデ、ソロモンといった王がいたということは、神が王ではなかったということであり、すなわち、その神は唯一神ではなかったということである。ソロモンの死後、王権の衰退にしたがって王に対する民衆の不満が増大し、それは預言者に代表される「おまえなんか王じゃない」という時代の気分をもたらした。この「おまえなんか王じゃない」は「神が王だ」に簡単に結びつき、ここに「神にして王」という唯一神が成立した。この時代の末期、ヨシヤ王の治世に、以上の運動の集大成としてさまざまな改革が行われたが、先に上げたチャプター(「第一のおきて」である唯一神テーゼ)を含む『申命記』はこの時代に編纂されたものである。それ以前の神は、アブラハムが持ってきたメソポタミアの神と、カナン土着の神と、師士時代に外部からもたらされた神の習合であり、ダビデやソロモンは政教分離をつらぬいたのであり、彼らの作とされる『詩篇』などの文書はすべて後代の捏造である。

I.捕囚時代説(ネブカドネザル説)

 バビロン捕囚時代に、唯一神信仰は成立した。新バビロニア帝国のネブカドネザル王は、南王国を滅ぼして、イスラエル指導者層を捕囚としてバビロンに連行した。これは古代オリエントにおいてはしばしば行われていた占領政策であり、別にネブカドネザルが特別にサディストであったわけではないのだが、そういう目にあわされたイスラエルの指導者たちにとっては楽しいものであるはずはなかった。彼らは竪琴を木に立てかけて、大いなるバビロンのほとりに座り、シオンを思って泣いた。そして泣きながらバビロニアおよびネブカドネザルを憎悪した。古来より憎悪が崇敬の裏返しであることは心理学の初歩の初歩であり、ネブカドネザルへの憎悪は同時に、そのような強力な「絶対王」に対する憧れと裏腹の関係であった。無力な捕囚の身では、せいぜいが彼らは神に祈るぐらいしかすることがなかったので、絶対王への崇敬が彼らの中で神の観念と結合し、「絶対王にして軍神」という奇怪な「唯一神」観念を生んだ。ネブカドネザルへのこのようなアンビバレントな心理が唯一神信仰の始まりであり、その証拠に『聖書』の文書化はこの時代にほぼ完成した。やがてアケメネス朝ペルシアのクロス王によってバビロニアが滅亡し、捕囚のイスラエル帰還が許されると、バビロンで発生した唯一神信仰がイスラエルにもたらされて、正式に一神教国家が成立することとなるのである。したがってバビロン捕囚期以前の神は、アブラハムが持ってきたメソポタミアの神と、カナン土着の神と、師士時代に外部からもたらされた神の習合であり、「絶対王」としての性格を併せ持った唯一神ではなかった。その証拠に、同様に王国滅亡を経験した北王国は民族としてのアイデンティティを喪失し、「失われた十部族」となって消えてしまったのであり、南王国の系統だけがアイデンティティを保ちえたのは、この時代に成立した唯一神信仰のためである。

J.第二神殿時代説(エズラ説)

 第二神殿期、エズラの宗教改革によって、唯一神信仰は成立した。バビロン捕囚からの帰還後、神殿の再建の少し後に、学士エズラが律法に基づき民衆の生活を秩序づけた。唯一神とは絶対王であり、絶対王とは(対内的には)具体的に、かつ直接に民衆を支配する「契約の神」である。したがって唯一神信仰とは、民衆の「律法を中心としたライフ・スタイル」のことに他ならない。しかしバビロンを征服したペルシア王クロスが、捕囚となっていたイスラエル人の帰還を許したとき、イスラエルに戻った彼らが真っ先にしたことは、神殿の再建であった。このことは、この時期のユダヤ教が依然としてそれ以前と同様の神殿祭儀中心の宗教であった、ということを示している。神殿祭儀の民衆の日常生活への影響はまったく具体的でも直接的でもないのであるから、このように神殿に固執する態度は神が抽象的、間接的にしか民衆を支配していなかったことの証左であり、この時期の神はいまだ「絶対王」の支配の具体性、直接性を獲得していない、と見るべきである。したがって神が「絶対王」として支配の具体性、直接性を獲得して唯一神となるのは、律法中心の信仰生活が民衆のあいだに浸透するエズラの宗教改革以後、と考えるべきである。それ以前の神はアブラハムが持ってきたメソポタミアの神と、カナン土着の神と、師士時代に外部からもたらされた神の習合であり、唯一神ではない。

 以上です。

 さて、それではこれらの説のうちで一番説得力のあるのはどれでしょうか。佐倉さんのHPではA説が人気のようですが、信仰を持たない者は横っ腹で大笑い、です。 私は、既に述べたように唯一神は「偶像の否定」から来ると考えますから、、聖書を素直に読めば、やはり唯一神の成立はモーゼに求めるべきだと考えてD説、聖書は後代に編纂されたものなので記述の順序としてモーゼに拘る必要はないとするならE説、F説を採ります。

 また、モーゼに唯一神の成立を見るなら、それ以前に古代イスラエル人が長くエジプトに居住していたことを見逃すわけにはいきませんから、当然私はアートン信仰との関係を疑います。古代イスラエル人がエジプト滞在中にアマルナ時代を経験しているなら、それがユダヤ教に持ち込まれたことは十分に考えられることだからです。そして、そのように考えると、「一神教」、「王としての神の性格」、「軍神としての神の性格」、「治世神としての神の性格」、「偶像の否定」、「死後の世界の否定」、というユダヤ教の特徴は、すべてアートン信仰において既にあったものですから(私は当初「軍神」だけは出てこないと考えて、これを多神教の名残と考えていたわけですが、佐倉さんの等式に従えば「軍神」は「絶対王」から出てくることになります)、ここに関連を見ないわけにはいきません。なにより、そう考えると、これらの特徴がすべて「現実的な諸条件」に裏付けられることになり、私としては非常にしっくりくるわけです。

 「唯一神=絶対王=軍神&治世神」とする佐倉さんなら、どうお考えになるでしょうか。私としてはH説、I説、J説に佐倉さんのこの等式を応用してみたつもりなのですが。


11.結び

 私は大略、以上のように考えています。そして同時に、自分はなにかとんでもない勘違いをしており、以上のようなことはすべてデタラメな、間違った、奇怪な妄想にすぎないのではないか、とも疑っています。私は、端的に言えば「ユダヤ教はエジプトのパチ物である」と考えていて、当然こんな説はあまり支持されているとは思えませんから、これが奇怪な妄想、いわゆる「トンデモ系」なのではないかとも思うのです。私は他人に迷惑をかけなければトンデモでも一向に構わないと考えますが、自分がトンデモなのはイヤなのです。私がトンデモならやはり、それは修正されるべきだと思っています。

 私は間違っているのでしょうか。もし私が間違っているなら、どこが、どう間違っているのでしょうか。私はなにかを勘違いして、変な筋道で間違った結論を引き出しているのでしょうか。それとも、結論以前に、私の問題設定(プロブレマティック)自体がナンセンスなのでしょうか。私は、もし間違っているなら間違ったままにはしておきたくないので、それを佐倉さんの博識に頼んでご教示願いたいのです。私の問題意識、それに対する結論をご理解頂いた上で、はじめに挙げた質問とも併せて、佐倉さんのご意見をお聞かせください。

むろんそれでは佐倉さんにメリットがありませんから、できることなら私も佐倉さんの考えを批判的に検討して差し上げたいと考えています。しかしながらなにぶん私は勉強不足なので、的外れのことばかり書いているようでしたら申し訳なく思います。


(1)「神々」はいったい何処に行ってしまったのですか?

御使い(天使)になったのです。

わたしが旧約聖書における「神々」というとき、創世記の第三章で、ヤーヴェ神が「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった」と「我々」と語っている、その「我々」のことですが、それは、ヤーヴェ神、および、彼に使える者たち、すなわち、聖書で「神の子たち」「御使い」などと呼ばれている天界の存在として、聖書に現れるようになる存在のことです。著名な御使いは「ガブリエル」や「ミカエル」や、神に反逆した御使い「サタン」などがいます。もともと、イスラエルの神・軍神としての神は、人間は見ることのできない超越神(理想神)であるために、人間との通信を担う御使いの観念は取り入れやすかったのでしょうが、天界における神と御使い(神々)の関係は、地上における王宮における君主とその家来のイメージがそのまま投影されたものです。この意味で、ユダヤ教は唯一神の宗教であるとともに、いまでも「神々」の宗教です。


(2)「歴史以前の物語」とは、どこからどこまでですか?

「歴史以前の物語」とは、創世記の2章から11章までに収められている、神話的物語(天地創造、失楽園、ノアの洪水、バベルの塔、等々)の集成のことを指して使いました。12章以降は、アブラムの召命からはじまるイスラエルの歴史物語になっています。しかし、11章までの部分は、イスラエル民族に関する物語(王としての神)ではなく、人類の始まりに関する神話物語(創造主としての神)です。この部分は、メソポタミアの古代文明の神話などを受け継いだものだと思います。

ユダヤ教成立順序としては、先に(おそくとも部族連合時代には)、王としての神・イスラエルの神の観念があり、後に(おそらく統一王国時代あるいはその直後)に、歴史以前の物語にあるような創造の神・人類の神の観念が、取り入れられたのだと思います。つまり、もともと軍神・治世神としての性格しかもっていなかったイスラエル民族の神が、イスラエル民族そのものの存在よるはるか以前にメソポタミアの古代文明の神話のなかにあった、創造の神・人類の神としての性格を、後に、持つようになったのだ、と思います。

「歴史以前の物語」(創世記11章以前)で、神が「我々」と自己言及したりして、多神教の性格を示唆する記述があるのも、それらが多神教世界のメソポタミアの古代文明の神話を受け継いだ事情があるためかもしれません。ところが、イスラエルの民族神・王としての神は、唯一の絶対王の性格を持つために、メソポタミアの古代文明の多神教的性格は、イスラエルの宗教に取り入れられときに、抜き落とされ、その他の「神々」は、ユダヤ教としては、ヤーヴェに仕える者(天界における御使い・天使)と同一視されるようになったのだと思います。


(3)その『始め』とは何時か

聖書のどこを見ても、形を持つ異教の神々に対する軽べつ的傾向が満ちており、この点に関しては、段階的発展を示唆するような記述は、聖書のどこにもみられない、ということです。もちろん、聖書以前については、何とも言えませんが。


(4)イスラエルの王たち

ダビデやソロモンは王ではありませんから、このセンテンスは意味が分かりません。話はむしろ逆で、イスラエルの王は自らを思いっきり神と同一視しているのではありませんか?
「ダビデやソロモンは王ではありません」とはどういうことなのでしょうか。「ユダの人々はそこに来て、ダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした」(サムエル記下2:4)のではなかったでしょうか。また、「祭司ザドクは天幕から油の入った角をもって出て、ソロモンに油を注いだ」とき人々は「ソロモン王、万歳」(列王記1:39)と祝ったのではないでしょうか。イスラエルの統一王国を築いたのは彼らだったのではないでしょうか。

たとえば、エジプトの王やローマ帝国の王が自分自身を神と同一視するすような仕方で、王を神と同一視するような記述は、すくなくとも聖書のどこにも見ることはできません。むしろ逆に、聖書は、たとえば、イスラエル最初の王(サウル)を立てた物語のように、王と神はきわめてはっきりと区別されているようにおもわれます。

イスラエルの長老は全員集まり、ラマのサムエル(「ヤーヴェの預言者」)のもとに来て、彼に申し入れた。「・・・今こそ、ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください。」 裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った。そこでサムエルは主に祈った。主はサムエルに言われた。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。・・・いまは彼らの声に従いなさい。・・・」サムエルは王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えた。彼はこう告げた「・・・こうして、あなたたちは王の奴隷となる。あなたたちは、自分の選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない。」民はサムエルの声に聞き従おうとせず、言い張った。「いいえ。我々にはどうしても王が必要なのです。我々もまた、他のすべての国民(異邦人)と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかうのです。」サムエルは民の言葉をことごとく聞き、主に耳に入れた。(サムエル記上8:4〜21)
ここにあるのは、イスラエルに王を立てることそのものが神(真の王)への反逆である、という考えです。そして現実に立てられたイスラエルの王政は、神の意志に反して、民の執拗な要求にしたがってしかたなく許されたものだった、という言い訳がなされているわけです。


(5)永遠に生きる神々とは、どちらの神々ですか

上記でもあげたように、ヤーヴェが人間と比べて「我々」と呼んだ者たち(後の、神とその御使いたち)のことです。


(6)イスラエルの歴史と唯一神信仰の成立

取り上げられている問題はたいへん大きな問題であって、わたしにはとても答えられるようなものではありません。ただ、絶対王としての神への信仰は、おそくとも、統一王国以前の、部族連合(師士時代)時代には成立していたと考えられます。

たとえば、つぎの引用は、旧約聖書のなかで最も古い層に属すると言われる「デボラの歌」(士師記5章)ですが、これは部族連合時代のある戦いに関する戦勝の歌です。

イスラエルにおいて民が髪を伸ばし
進んで身を捧げるとき
ヤーウェをほめたたえよ。

諸々の王よ、聞け
君主らよ、耳を傾けよ。
わたしはヤーウェに向かって歌う。
イスラエルの神、ヤーウェに向かって
わたしは賛美の歌をうたう。

ヤーウェよ、あなたがセイルを出で立ち
エドムの野から進みゆかれるとき
地は震え
天もまた滴らせた。
雲が水を滴らせた。
山々は、シナイにいます神、ヤーウェの御前に
イスラエルの神、ヤーウェの御前に溶け去った。
・・・
王たちはやって来て、戦った。
カナンの王たちは戦った
メギドの流れのほとり、タナクで。
だが、銀を奪い取ることは出来なかった。
もろもろの星は天から戦いに加わり
その軌道から、シセラと戦った。
・・・
ヤーウェの御使いは言った。
「メロズを呪え、その住民を激しく呪え。
彼らはヤーウェを助けに来なかった。
勇士とともにヤーウェを助けに来なかった。」

女たちの中で最も祝福されるのは
カイン人へベルの妻ヤエル。
天幕にいる女たちの中で
最も祝福されるのは彼女。
水を求められて
ヤエルはミルクを与えた。
貴人にふさわしい器で凝乳を差し出した。
彼女は手を伸ばして釘を取り
職人の槌を右手に握り
シセラの頭に打ち込んで砕いた。
こめかみを打ち、指し貫いた。
彼女の足下に、シセラは
かがみ込み、倒れ、伏した。
彼女の足下に、彼は
かがみ込み、倒れた。
かがみ込み、そこに倒れて息絶えた。
・・・
このように、ヤーウェよ、あなたの敵がことごとく滅び、
ヤーウェを愛する者が日の出の勢いを得ますように。
この戦勝の歌は、多くの点で、エジプト王やアッシリア王の勝利の賛歌の形式と一致していると言われています。(Robert G. Boling, "Deborah", The Anchor Bible Dictionary, v2)エジプト王やアッシリアの王の代りに、ここでは、神(すなわちイスラエルの王)が勝利をもたらしすものとして讚えられています。これは、イスラエルの神が、エジプトやメソポタミアの王からイメージされたことの一つの具体的な例なのですが、
ヤーウェの御使いは言った。
「メロズを呪え、その住民を激しく呪え。
彼らはヤーウェを助けに来なかった。
勇士とともにヤーウェを助けに来なかった。」
というような所を読んでいますと、もしかしたら、まだイスラエルが王を持つことのなかった部族連合の結束を固めるために、ヤーヴェの神だけへの忠誠が要求され、見えない軍神が唯一神の性格を持つようになっていったのではないか、などと想像されます。


(7)その他

その他、沢山の重要な問題を取り上げられていますが、とても一度には取り扱えませんので、機会がありましたら、また、コメントさせていただきます。