私はまだこのホームページの全ての議論とそれに対する応答を読み終えた訳ではありませんが、既に読み取れた事は、佐倉さんは神の存在を否定してはおられないが、聖書が神の書かれたメッセージであるという主張を否定しておられる。それは私にとってはまことにユニークな宗教観(と言って差し支えなければですが)であると思います。それはそれで尊重しましょう。

ところがですが、最近現れた「バイブルコード」という問題が今世界の聖書研究者を震撼させております。佐倉さんのホームページにとってこのバイブルコードの問題はそれを否定するにしても、否定しきれないとしても少なくとも一度は詳細な検討を加えてみる必要があるものと思えます。インターネットのサーチでバイブルコード(BIBLE CODES)を検索されて、とりあえず情報をお集めになる事をお勧めします。私も関心を持って見ている所です。バイブルコードのコンセプトはどうも大多数のキリスト教会では不評のようですが、もしこれが正しければ聖書に対するコンセプトが根本的に(ラジカルに)刷新されてしまうと思います。是非研究してみてください。

(1)人間が神聖化されるとき

佐倉さんは神の存在を否定してはおられないが、聖書が神の書かれたメッセージであるという主張を否 定しておられる・・・。
そんなところです。人間が神聖化されるとき、「果たして本当にそうか」という強い疑問がわたしにはわき起こってくるのです。

聖書を神の書物であると思い込むと、それを書いた人々やそれを理解したと思う人を神の代弁者にします。どんなに「他人の自由を尊重する」などと口では言っていても、また、どんなに謙虚な態度を装っていたとしても、人間が神の代弁者となるとき、彼(女)は必ずその考え方を人に押し付けます。それは、神の存在を「知っている」と思い込んでいる信者も同じです。


(2)バイブルコードについて

バイブルコードの基本原理(からくり)については「作者よりBEANさんへ」ですでに述べておりますが、それは、間違いというよりも、単なるあそび(あるいはコンピュータ・プログラミングの練習)にすぎないと思います。