福音書の成立について、現在定説となっていることは、マタイ、ルカ、ヨハネについては自著というのが定説になっています。

さて2人の強盗についての矛盾といわれますが、果たしてマタイ、ルカ、ヨハネは一緒に強盗がイエス様をののしった場面にいたのでしょうか?弟子達はイエス様が捕らえられた時、恐ろしくなってバラバラに逃げました。それはなぜなのか、その時の弟子達の心境を考えれば容易に判断できますが、まずイエス様は当時の指導者層にとって第一級の危険人物であり、公に逮捕する事は難しいが何とか排除してしまいたい存在でした。そして行動を共にしていた弟子達も、当然危険人物として指導者層のブラックリストに入っていたでしょう。ならばイエス様が捕まったとき自分たちの危険を感じたのではないでしょうか。そして弟子達は「イエスを見捨てて、逃げてしまった。」マタイ26章56節ペテロにいたってはイエス様を呪いをかけて、知らないと言い切ったのです。

そんな弟子達が十字架の近くにいたとは考えられず、ましてイエス様と強盗の会話が聞き取れるほど近くにいたならそれこそイエス様に話しかけられたが最後、自分まで処刑されかねません。ならば彼ら弟子達は、十字架に距離を取ってその場にいた事が推測できます。十字架にイエス様が付けられていることは分かるが、彼らの前にいる群集の罵声で声までは聞き取りにくい、さてそんな状況の中で強盗が左右に付けられているが、一人がイエス様を大声で罵ったとする、続いてもう一人が何か言った。もう一人は何と言ったのか、周囲の状況、前後の流れから見て2人ともイエス様を罵ったように聞こえてもおかしくはないのではないでしょうか。

そんな状況の中で一人はイエス様の弁護をしたと記述するルカはむしろマタイやペテロより十字架に近い場所にいたと思われます。福音書は手紙とは違い、彼らがイエス様と行動を共にしてた中で見た事、聞いた事、その事実を記した文書です。ならばマタイやマルコは左右の強盗が何か言ったことはわかったが(事実)、何を言ったのかは聞き取れなかった(事実)、あるいは一人が罵ったのは聞こえたが、もう一人が何をいったのかは聞き取れなかった。故に「強盗どももイエスを罵った」と記述した。そして、より近くにいたルカは詳細を記した。と判断するのが適切です。なぜならルカは12弟子でもなく、十字架の側にいたとしてもなんら問題はないのです。

「死んだ英雄というものには、どこのくにでも、死後さまざまなおもしろい物語が付け加えられてゆくもののようです。」と書いておられますが、英雄物語にしたてあげたのならば幾つかの疑問が残ります。

(1)ルカの福音書だけが何故そう記しているのか?

仮にルカの福音書が最初に成立したとするなら、残りの福音書はルカに習って記すはずであり、またルカより前に福音書があったなら、福音書の証言性、一致性を重視してルカは他の福音書と一致させたはずではないでしょうか。英雄物語にするなら、イエス様は最後まで罵られた「悲劇の人物」だったとしたほうが人々の同情を受けられるのではないでしょうか。

(2)何故ルカが書いたのか?

ルカは異邦人であって、パウロの主治医でありました。イエス様の直弟子でもなかった事を考えた時、何故わざわざイエス様を英雄化させるように書いたのか。噂をもとに福音書を書いたとして、多くの証言を必要としたはずであり、それら証言者の全員が事実に反して同じ証言をしたとは考えられない。

(3)当時のクリスチャンの間で抹殺されなかったのか?

イエス様の処刑に関する目撃者はローマの兵隊からイスラエルの国民まで大多数の目撃者がいるにもかかわらず、なぜクリスチャンは間違っているルカの福音書を存続させ続けたのか分かりません。

(4)編纂された時点で問題視されなかったのか?

後代、反クリスチャンの追求を受けたなら食い違いが判明するにもかかわらず、まとめられた時点で福音書同志に食い違いがあるにもかかわらず、何故一致性のない福音書同志を一つにまとめたのか。当時の神学者、宗教指導者はあまり聖書を読んでいなかったのでしょうか。これらの疑問が説明出来ません。

よって、マタイやマルコの福音書に矛盾してルカの福音書があるのではなく、マタイ、マルコより詳しく内容を記しているのがルカの福音書であると結論づけられると思われます。

(1)福音書の成立

まず、福音書の成立に関してかなり初歩的な誤解があるように思います。すべて4つの福音書はイエスの時代からかなり隔たった後代の、いわゆる2世3世のクリスチャンによって書かれたものです。福音書を書いた人々はイエスと同時代の人々ではありません。彼らに述べ伝えられてきた事柄(伝承)を編集仕上げたものが福音書です。それはルカ自身が次のように証言しているとおりです。

わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を付けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。(ルカ 1:1-3)
つまり、まず目撃した人々が伝承した時代があって、それを後の代の人たちが書き留めはじめた、とルカが証言しています。そして、彼自身も、いろいろな資料を集めて「詳しき調べ」、それを「順序正しく」書いてみようと思った、と記しています。

ちなみに、現代の聖書学によれば福音書の成立年代は、いろいろ説がありますが、もっとも広く受け入れられているのは、ほぼ次のごとくです。

マルコの福音書 70年頃
ルカの福音書  80〜95年頃
マタイの福音書 80〜95年頃
ヨハネの福音書 100年頃
イエスの活動したのが28〜30年頃ですから、それから約40〜70年後に書かれたことになります。つまり、最初に言ったように、福音書は2世3世のクリスチャンによって書かれたということになります。


(2)福音書が伝えているものは何か

福音書の著者達自身が目撃者であったとしてもそうでなくても、また

彼らの前にいる群集の罵声で声までは聞き取りにくい、さてそんな状況の中で強盗が左右に付けられているが、一人がイエス様を大声で罵ったとする、続いてもう一人が何か言った。もう一人は何と言ったのか、周囲の状況、前後の流れから見て2人ともイエス様を罵ったように聞こえてもおかしくはないのではないでしょうか・・・
ということであったとしても、つまるところ、福音書には、イエスに関する事実ではなく、各福音書記述者が事実だと思い込んでいたことが書かれている、ということになります。

そして、このばあい、一方の福音書の記述者は二人の強盗がともイエスを罵ったと思い込んでおり、他方の福音書の記述者は二人の強盗のうち一人はイエスに同情的であったと思い込んでおり、二つの思い込みは事実に関して(単に異なっているだけではなく)矛盾しており、両方とも事実であることは不可能ですから、二つの福音書の記述のうち少なくとも一つはイエスの事実を間違えて伝えていることになります。

つまり、福音書にはイエスに関する歴史的事実が書かれていているのではなく、福音書の記述者の思い込みが書かれているわけです。しかも、「二人の強盗」の例のように、彼らの思い込みには事実に関する沢山の誤謬があります。このことは、事実を間違いなく書くように福音書記述者を助ける役目の聖霊はいなかったことを意味します。そこで、結局、聖書は聖霊が書いた神秘的な書物ではなく、普通の人間が書いたきわめて人間的な普通の書物だったという結論になります。