聖書の記述と現代考古学上の発見との比較は大変面白いと思いましたが、その現代考古学の年代測定に関しては現在最も信憑性があるものはカーボン14によるものとおもわれますが、その年代測定にはいくつかの規則があります。
1、自然放出炭素量が常に一定に保たれていること。などが諸条件にはいりますが、現在見つかっている化石群において、上記の条件をクリアしていると言い切れる物はないと思われます。
2、被測定対象がエネルギー活動を停止して以後どのような影響もうけていないこと。
さらに、北京原人の化石が30万年前とありますが、地質学分野の地磁気の研究において地磁気の変動(同様に年数で変化するらしい)の測定結果から地球が誕生して1万〜1万5千年しか経過していない事がわかっています。では、北京原人は地球上ではなく宇宙空間に生息していたのでしょうか?
さらに、化石発掘に関して言えばアフリカにおいて100万年と測定された場所より古い地層から発見された化石が30万年と測定されたという事実もあります。親より子が先に産まれたという事でしょうか?
以上挙げればきりがないのでここまでにしますが、およそ現代の年代測定技術の結果を物差しにして聖書の年代測定を否定するにはいささか勇み足ではないでしょうか。
(1)「地球が誕生して1万〜1万5千年しか経過していない事がわかっています」?
どこからこんな珍説を持ち出されたのですか?もし本当にこんなことが「わかって」いるなら、世界中の大ニュースとなって、わざわざ、メールで知らせていただくなくても、いまごろ毎日、新聞やテレビやラジオで大騒ぎになっていることでしょう。
考えてもみてください。地球の誕生は約46億年前である、というのが今日の定説なのです。そして、バクテリア類の登場が約35〜20億年前。葉緑素を持つランソウ類の登場(つまり酸素の登場)が今から約26億年前。核をもった細胞をもつ生物の登場が約20億年前。大型生物が登場するカンブリア紀の始まりが約5億7千年前。動植物が陸上に進出したり、両生類が現れるのが約4億年前。恐竜が現れるのが約2億年前。恐竜が絶滅するのが約6千5百万年前。日本列島がほぼ現在のような形をもつようになったのが約8百万年前から百万年前。ナウマン象を狩りした古代日本人(馬場壇遺跡)が約14万年前。縄文土器を作った人々が約1万年前・・・。
それにもかかわらず、「地球が誕生して1万〜1万5千年しか経過していない事」がぜんぜんニュースにならないのは、その主張の根拠が世界の科学者たちを説得する力がまったくないこと、ある特殊な信仰グループの中だけに出回っているあやしげな文献の主張に過ぎないこと、を示しています。
(2)カーボン14年代測定の問題
「自然放出炭素量が常に一定に保たれていること」というのは、おそらく、炭素14による年代測定の原理が大気中の炭素14の量が一定であることを前提にしていることを指しておられるのだと思います。これも、しばしば、創造科学などの出版物で宣伝されていることですが、彼らの無知を示しています。現代の炭素14年代測定技術は、大気中の炭素14の量が一定であることを前提にしてはいません。
Radiocarbon age estimates must be corrected for the fact that the amount of 14C in the atomosphrere has not been constant. (p. 59)
(大気中の炭素14の量が一定ではないという事実に沿って、炭素14年代の測定は計算されなければならない。)Robert J. Wenke, "Patterns in Prehistory: Human's first three million years"
「被測定対象がエネルギー活動を停止して以後どのような影響もうけていないこと」というのも、おかしな条件だと思います。というのは、対象物がどんな影響を受けていようが、想定されている法則(半減期5730年)にしたがって炭素14が一定の割合で減少すれば、ちゃんと測定できるのですから。おそらく、外物が付着して、その対象自体の炭素ではなく付着した外物の炭素を測定してしまうミスのことを指したことなのかもしれません。もしそうだとすると、これはほとんど言いがかりのようなものです。まず第一に、この種のミスは、ある特定の判断にはあるかもしれませんが、サンプルが多くなるにしたがって、統計的にはほとんど無視できることになるからです。第二に、1970年代に開発された「加速器質量分析」という画期的な技術が(ア)きわめて少量のサンプルから、(イ)不純物を取り除いて精度の高い結果を出すことが可能になったからです。
いずれにしても、カーボン14年代測定の方法は、それによってノーベル賞をうけたウイラード・リビーによって1940年代に発見されて以来、世界中で数えきれないほどの量の測定に使用されていますが、その基本的原理は否定されるどころか、ますます、重要な年代測定法として確立されています。
(「作者より匿名希望さんへ」参照。 )
(3)古い地層から発見されたものがより新しいものとして測定される
どんな科学実験においてもいくつかのアブノーマルな結果というものは出るものであって、別に特別なことではありません。むしろ、理論値と実験値がいつでもどこでもまったく一致するということのほうが例外といえるでしょう。
大切なことは、アブノーマルな結果が(1)果たして測定の前提となっている基本的な原理が間違っていることを示すものなのか、それとも(2)技術的な限界によるものだったのか、それとも(3)人間的な測定ミスだったのか、ということを特定することです。
いまのところ、現代の年代測定法として使われている様々な方法(炭素14法、フィッション・トラック法、熱ルミネッセンス法、カリウム・アルゴン法、年輪、など)の基本的な原理が間違っていたという公式の報告をわたしは知りません。(これも、もしそうだとすると、世界的な大問題になっていて、いまごろ世界のニュースをさわがせていることでしょう。)すると、問題は(2)か(3)ということになりますが、もっと具体的な資料を示していただかないと、なんとも言えません。とくに、この場合ですと、測定方法は炭素14ではなく、別の方法がとられていたはずです。(炭素14方法は、半減期が5730年ですから、1万年ぐらい前までのものしか測定できない。)この測定はだれがどの科学誌にいつ発表したものですか。
現代の年代測定結果を絶対化するのも困りものですが、アブノーマルな結果だけをあちこちから引っ張り出してきて、だから現代の年代測定はまったくデタラメであるかのごとく言い触らすのもあまり感心できるものではありません。
(4)聖書は否定されてはいけない?
およそ現代の年代測定技術の結果を物差しにして聖書の年代測定を否定するにはいささか勇み足ではないでしょうか。わたしたちが現在もつ最も信頼できる方法で年代を測定するのは当然です。将来それが間違っていることが主張される時が来たとしても、それは現在持っている方法よりもより信頼できる方法が発見されたときにのみなされるのであって、それぞれの時代がもっている最上の方法で年代を決定するということにおいては変わるものではありません。
聖書の記述を否定する結果の出る科学技術はいつまでも否定し続ける、そのくせ、聖書の記述と一致する報告はどんなにあやしげなものであろうと安易に飛びつく。こんな姿勢はどこから来るのでしょうか。すでに信じているドグマをもっとながく信じ続けるための努力に過ぎないのではないでしょうか。真理を知るための努力ではなく、ドグマに固執させる聖書信仰がはたして神の願う道なのかどうか、わたしには怪しく思われます。