佐倉哲エッセイ集

和の思想と天皇主義

--- 日本の伝統の選択 ---

佐倉 哲


「新日本憲法の必要性」において、「日本人の、日本人による、日本人のための憲法が必要だ」とわたしが主張したことに対して、友人であるKは、わたしの思想は「国粋主義」ではないかと危惧の念を示した。以下は、わたしのKへの応答の手紙である。



始めに

 日本の民主主義は和の思想を土台にすべきである、という僕の主張はまだ仮説の初期の段階です。ですから、君が批判的意見を述べてくれるのは大変僕にとっては嬉しいのです。この仮説が日本の再建の論議のなかでいくらかでも意義をもつためには、まだなすべき多くの作業が残っています。もっと多くの歴史的資料による裏付けと哲学的考察がなされなければなりません。

 友達であるという気安さからと、君が憲法に興味があるということと、そして、なによりも君の知的能力に対する信頼から、僕はまだ未熟なこの主張を君にぶつけているわけですが、迷惑かもしれませんネ。しかし出来上がった思想より、出来上がりつつある思想のほうが面白いかもしれません。


僕の思想は国粋主義か

まず、とりあえず、僕の思想は「国粋主義」(日本を壊滅的戦争に導いていったあの国粋主義)ではないか、という君の心配(?)に答えます。確かに、似ているところがあります。類似点は次の二つあるようです。

(1)自分のなかにある国家的・民族的プライドを素直に認めること。
(2)日本の伝統のなかには捨て難い価値あるものがあり、何でも西欧流でなければならぬ、という考え方に批判的である。

まず(1)ですが、これは、国粋主義者の特権ではなく、大かれ少かれ誰でも持っているものです。例えば、オリンピックなどで、自分の国の代表を応援したり、国体や高校野球で自分の県の代表を応援したり、また、母校の応援をしたりするのはこの現われでしょう。

自分の心に正直であれば、それが自然な姿だと思います。ただそういう、他より優れていることを喜ぶ自分の心を素直に認める人々と、それを素直に認めたがらない人々に分かれるだけです。後者の場合には、それは一種の自己ギマンですから、複雑な精神的倒錯(心と行動の不一致)が認められますが、これを解消するために、卓越さを追及することを道徳的悪と見なし、平等を最高の道徳的価値と見なす自己精神改造を試みます。これを国家的スケールで試みたのが共産主義革命でしょう。共産主義革命の失敗は、他より優れていることを喜ぶ自分の心を素直に認めようとしない無理が原因であった、と僕は思ってます。

僕は自分の心と反対のことを自分に認めさせようとする無理はイヤなので、国家的・民族的プライドを素直に認めることにしたのです。この点で、僕は国粋主義者(や他の多くの人々)と同じ立場にいます。


近代天皇主義とは何だったか

 次に(2)ですが、日本の伝統を愛するという点においては国粋主義者と同じ立場であっても、日本のどの伝統を愛するかという点において、僕は彼等と全く逆の立場にあります。幕末から明治、そして昭和にかけて、影響力を持っていた国粋主義は、その源流を水戸学の国体論に求めることが出来ます。その思想は、倒幕運動のバイブルとなった水戸藩士会沢正志斎の『新論』や、同じく彼の著である『暗夷問答』および『弁妄』などに明確に述べられています。彼によると、日本の国体、すなわち日本独特の国家的アイデンティティー、は万世一系の天皇制である、ということです。この思想が明治憲法や教育勅語に受け継がれていったのはよく知られている通りです。

僕は、万世一系の天皇制が日本の誇るべき伝統であるとも、それが日本の国家的アイデンティティーであるとも思いません。特に、明治憲法が制定したような絶対的天皇主義は、むしろ、日本の誇るべき伝統に完全に反逆するものである、というのが僕の立場です。ここが、僕と国粋主義者が決定的に分かれる大切なところなのです。

会沢正志斎の思想を辿れば、彼が、西欧列強のキリスト教思想(「キリシタンの邪教」「邪蘇の法」)を、裏返しにして、彼等の「神」に対して、天皇を日本国の「天」として対抗させ、殉教をも厭わぬ彼等の信仰に対して、天皇に対する忠を対抗させ、以って日本を西欧列強から護るためのイデオロギーを確立しようとしたことが明確に分かります。しかし、それでも、日本は神国であるから、命をかけてこれを護る、というのがせいぜい会沢や他の倒幕派の思想であったのですが、アジアはすべて神国日本の直接の支配下にあるべきである、などという昭和の大東亜戦争の思想は日本の思想史には全くないものです。それは、西欧植民地主義の輸入思想としか考えられません。

このように、天皇制というものは、それが日本の古い歴史的事実であるとしても、水戸学や明治憲法のような形をとり、やがて大東亜戦争の思想に結び付いて行った過程は、幕末から近代にかけての西欧列強のキリスト教思想と植民地主義の影響を考えずには理解できるとは思えません。国粋主義者の思想は、彼等の思い込みとは異なって、「国粋」ではなかったのです。僕が、西欧のマネをやめろ、というのは、実にこのような、国粋主義者の「西欧マネ」をやめろということなのです。


本当に誇るべき伝統

もし天皇制が日本の国家的アイデンティティーでないとしたら、そして天皇主義が日本の誇るべき伝統ではないとしたら、一体なにが日本の国家的アイデンティティーであり、日本の誇るべき伝統なのであろうか。それが、何度でも僕は繰り返しますが、和の思想なのです。僕の意見によれば、和の思想と絶対的天皇主義とは互いに合い入れることの出来ない矛盾した思想です。

和の精神は、いままでよく、個性を犠牲にして集団に従属することである、というような言い方をされてきました。そういう習慣が日本の社会にあることは事実ですが、それは、十七条憲法の和の思想とは全く別のものであることを「発見した」ことについてはもう何度も説明しました。繰り返しますが、簡単に言えば、和が確立すれば論が可能となり、論が行われれば理による国治が可能となる、独断を止め、衆と論じ、それによって得られる理によって国を治めるべし、それが和の思想だったのです。


十七条憲法の矛盾

しかし、実は、十七条憲法は二つの原理を土台にして成立しているのです。一つは、この和の思想。もうひとつは天皇主義です。そしてこの二つの原理は矛盾しています。それが僕の十七条憲法に関する第二の「大発見」なのです。

和の思想は第一条、第十条、第十七条に書かれてあります。

「第一にいう。和をもって尊しとし、いさかいのないようにせよ。人は徒党を組むものであり、また悟ったものも少ない。(中略)しかし、上下のものが仲睦まじく、事を論じ合えば、道理が通るようになり、何事も出来ぬことはない。」

「第十にいう。心の怒りを断ち、他人が自分と違うことに対して怒ってはならない。人はそれぞれ心に想うところがあるのであり、他人が良いと思うことを自分は悪いと思ったり、自分が良いと思っても、他人はそれを悪いと思ったりする。自分だけが聖人で他人は愚人である、というわけではない。皆な凡人なのである。云々」

「第十七にいう。もの事は独断で行ってはならない。かならず衆と論じ合うようにせよ。ささいなことはかならずしも皆になからなくてもよいが、大事なことを議する場合には、あやまりがあってはならない。多くの人と相談し合えば、道理にかなったことを知りうる。」

それに対して、天皇主義は第三条に書かれてあります。

「第三にいう。天皇の詔を受けたらかならずつつしんで従え。君を天とすれば、臣は地である。天は上を覆い、地は万物を載せる。四季が正しく移り、万物を活動させる。もし地が天を覆うようなことがあれば、秩序は破壊されてしまう。それゆえに君主の言を臣下がよく承り、上が行えば下はそれに従うのだ。だから天皇の命を受けたら必ずそれに従え。従わなければ結局自滅するであろう。」

これは、明らかに、誰かが絶対的真理や正義をもっていて、それゆえそれを他に強制することが出来るという独善主義であり、そこで、必要とされるのは従順だけであり、論議の必要性もなくなります。そういう独善主義を強く否定して、衆議の必要性を説いた和の思想と完全に矛盾しています。

明らかに、十七条憲法は矛盾しているのです。なぜこのようなことが起ったのかといえば、聖徳太子の作とされる十七条憲法が、実は複数の人物の手によるものだったからです。それは、異なった思想を持つ政策ブレーンの妥協の産物だったのです。といっても、これはもちろん僕の仮説です。しかし、僕のいう思想的矛盾が認められれば、この仮説の支持者は増えてゆくでしょう。すでに、幾人かの歴史学者は、十七条憲法が聖徳太子の作であることを否定しています。


日本思想史の最大の悲劇

いずれにしても、純粋に論理だけを追えば、十七条憲法の二つの原理は矛盾しています。それでも、和の原理を第一条に置き、天皇主義を第三条に置いた事実は、この憲法の草案者たちが、和の原理を主とし、天皇主義を従とすることに、結論を下したのだ、と考えることが出来るでしょう。もし後代の日本人がこの思想の重要さに気がつき、その伝統を育んでいたら、天皇の絶対化を避けることが出来たはずです。

国粋主義者の最大の過ちは、天皇主義を日本の第一原理にしたことです。明治憲法の第一条はこのことをあまりにも明白に語っています。

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス。

国粋主義者たちのこの行為は、和の思想こそが日本の国を治めるための第一の原理であることを主張した十七条憲法の草案者たちの努力を裏切ったのです。しかも、天皇を絶対化することによって、和の意味するものを歪めてしまったのです。なぜなら、天皇主義を主とし和の思想を従とするとき、和の意味は「個の意見を抑え、上からの命令に従え」というような意味に堕落してしまうからです。これが日本思想史のなかでの最大の悲劇であったと僕は思っています。護るべき日本の伝統は和の思想であって絶対的天皇制ではない。したがって、僕の願いは、誤解されている和の原意を復活させ、十七条憲法の草案者たちが残したこのすぐれた思想を育て、さらに発展させること、すなわち、それを土台にした新しい型の民主主義を日本に建設することなのです。

その辺が僕と国粋主義者を分ける決定的なところといえるでしょう。