佐倉哲エッセイ集

日米経済摩擦とわたしの疑問

--- 貿易黒字は悪か ---

佐倉 哲


クリントンが大統領になってしばらくすると、次第に彼の対日貿易政策が明確となっていった。それは、米国の赤字貿易は日本の犯罪的貿易政策の結果であり、しかもそれは外圧による強制的変更を迫る以外に真の解決方法はない、とみなすリビジョニストと呼ばれる米国の新しい世代の日本観がクリントン政権の対日政策の方針の土台となったこと、を意味していた。しかしそれに対して日本は、例のように出来るだけ物事を荒立てないように小刻みに米国に妥協しアメリカをなだめようとした。しかし同時に日本でも、米国の高圧的な姿勢に「NO!を言える日本」になることを期待する声もしだいに高まり、米国の赤字貿易は米国自身の経済政策の失敗の結果である、と反論する経済学者や政治家や評論家なども増えていった。その結果、日米間の貿易摩擦が表面化し、米国ではジャパン・バッシングが、日本では嫌米傾向が台頭する事態となっていったのである。そのような状況のなかでわたしは貿易摩擦の原因とされている米国の赤字貿易や日本の貿易黒字が本当に訂正を要する悪なのかどうか疑問を持つようになっていった。以下は93年8月6日付けの米国の日系新聞「OCSNews」に掲載された当時のわたしの日米経済摩擦に関する疑問提起です。



経済学者の共通前提

日米経済関係のの摩擦は、日本の黒字貿易と米国の赤字貿易がその最大の原因であるとされ、今回の東京サミットにおける日米交渉の最大の課題も、いかに両国の間の貿易の不均衡をなくするかであった。この問題は、もう数年も前から、たとえば日米構造協議というような、実際は米国の内政干渉とも思われるような形となって現われている。

日米構造協議とは、要するに、日本の社会経済構造は外国の製品を売るのに適していない、諸外国に対して閉鎖されている不公平なものなのでそれを変えろ、という米国の要求と、それに対する日本の対応の会議であって、これが何故内政干渉でないのか、わたしには分からない。

その要求項目の中には「日本は貯蓄が消費額に対して大きすぎる、もっと消費を増やすように」というようなのがあるが、一体そのようなことが一国によって他の国に対して要求できることなのであろうか。しかも、このような協議の存在そのものが、経済学者からも政治家からもあるいはジャーナリストからさえも批判的に取りあげられないまま、現在進行中なのである。今回の東京サミットにおいても、その事態はまったく変わっていないことがはっきり示された。

納得のいかない私は、生まれて始めて経済学者たちの書いたものに目を通すことにしたのだが、そこで意外なことに気がついた。意見の根本的な相違を予期していた私は、そこで両国の経済学者たちの相違は枝葉的なものにすぎないことを発見したからである。

例えば、膨大な日本の黒字貿易と米国の赤字貿易が、両国間の関係を悪化させている原因のひとつであり、政策的訂正を要するものであるといいうような基本的な状況把握においては、彼等はまったく同意しているのである。意見の相違は、何がそのような膨大な「貿易不均衡」を生じさせる原因となったか、したがってまた、どうすればこれを解消することができるか、という点において初めて出てくるにすぎない。

そこである学者は、米国の財政赤字拡大こそが自国の持つ購買力以上の消費と輸入を拡大させたのであり、日本は悪くない、悪いのはアメリカだ、と主張する。他の学者は、85年の「プラザ合意」以降のドル・レート低下は、米国とEC諸国間における国際収支の不均衡解消をもたらしたのに対して、日米間のそれが一向に是正されないのは、日本が特殊な構造を持った国であり、その特殊構造こそが両国間の貿易不均衡の原因である、と主張する。

その他にもいろいろあるようだけれど、結局、日米間における貿易の不均衡は政策的訂正を要する好ましくない状態である、という根本的見解においては皆同じなのである。それが各意見の共通前提として暗黙に了解されているのである。


黒字貿易や赤字貿易は訂正を要する悪か

しかし果たしてこの共通前提は正しいのであろうか。本当に日本の黒字貿易や米国の赤字貿易は訂正を要するような好ましくない状態なのであろうか。本当に一国の輸出と輸入はバランスがとれていなければならないのだろうか。私はこの答えを求めて日米の経済学者の書物を漁ったけれど、どこにも回答を見い出すことが出来なかった。いったいそれは、素人の私には見えないけれど、経済学者にとってはいかなるディスカッションも必要としないほど明晰判明な真理なのであろうか。

わたしの眼には、貿易はすべてバランスがとれているようにしか見えない。たとえ日本が米国に何百億ドルもの車を輸出し、米国からコメ一粒も買わなくても、バランスは完全に保たれているのではないか。何百億ドルかのカネが米国から日本へ移動するけれど、それと同値のモノが日本から米国へ移動するからである。

貿易に一方通行などというものはない。そもそも貿易は、それがいかなるものであっても、まず最初にバランスが取れて(両サイドが合意して)初めて成立するのである。「不均衡な貿易」などというものは存在し得ない矛盾概念ではないか。一つの貿易が成立するとき、それとは別の貿易によって埋め合わせねばならないような不都合がいったい何かの形でどこかに生まれるのであろうか。

想像してみるに、一国の輸出と輸入はバランスがとれていなければならないとか、日本は売るばかりでなくそれに見合う輸入をしなければならないとか、日本の繁栄は黒字貿易の結果である、といった主張の背後には、「一つの売買が成立するとき、富を得るのは売る側である」という考え方があるに違いない。

しかし買う側は、買わないよりは買ったほうがよいと判断して買ったのである。とすれば、原則的には売買成立によって、買った側は買う前に比べてより「豊か」になったといえるであろう。両サイドが「トク」をすると判断するのでなければ、そもそも売買というものが成立するはずがない。


富の増減は輸出入の単純差額に依存していない

わたしたちが売った側の利益だけに注意を向けて、買った側の得たものを忘れやすいのは、貨幣経済の生み出す一つのイリュージョンなのではないか。それはちょうど虫眼鏡は肉眼では見えないものを見せてくれる便利な道具であるが、同時にそれは、その凸レンズの持つ性質によって現実を歪んだ姿で写し出すという副作用を持つように、貨幣というものも物々交換では出来ないような売買の可能性を与えてくれる便利な道具であるけれど、同時にそれは「本当の富が何であるか」という複雑かつ個人的な現実を、極端に単純化、平均化して写し出すレンズの役目もしているのである。

人の富をバンク・アカウントに載っている数字の大きさで計るように訓練された習慣が「一つの売買が成立するとき、富を得るのは売る側である」という心理的イリュージョンを生む結果となったのではないか。

そのようなことなどに思いをめぐらせていると、膨大な黒字貿易の下にある日本のバブル経済崩壊や、膨大な赤字貿易の下にある米国の粘り強い経済は、「輸出はトクをし、輸入はソンをする」という単純な考え方がイリュージョンであったことを立証するものではないか、とも思われてくるのである。黒字貿易は日本人の思っているほどに日本に富をもたらしたのでもなく、赤字貿易はアメリカ人の思っているほどに米国に損害をもたらしたのでもない。

一国の富の増減は、輸出入の単純差額に依存しているのではなく、自然資源や輸出入で得たものをいかに有効に使用するか、というもっとダイナミックな要因に依存しているからである。日本の繁栄の原因を探すならその辺を研究したほうがよいであろう。

もし一国の富が輸出入の単純差額のみに依存しているなら、人類全体としては、宇宙人とでも貿易するのでなければ、その富は増えもしなければ減りもしないことになるであろう。その過去において、人類は宇宙人と貿易をした形跡はないので、石器時代から現代に至るまで、人類全体の富の増減はなかった、ということにもなるであろう。日本の輸出超過とその経済的繁栄や米国の輸入超過とその失業問題などを無造作に因果関係で結び付けるのは間違っているのではないだろうか。