広島と長崎への原爆投下の意義には、少なくとも二つの重要な違いがある。そして、この違いを認識することは、米国の原爆使用の動機をより正しく理解するために大変重要なことだ、と私には思われる。原文は1995年3月3日付け米国の日系新聞「OCSNews」に掲載されたものです。
原爆正当化の問題再燃
ワシントン市のスミソニアン航空宇宙博物館で、原爆投下に使用されたB29機「エノラ・ゲイ」を展示するという予定が、大きな論議をかもし出している。この展示計画は、まるで日本を戦争の被害者とし米国を加害者とするような印象を与える、という批判に遭遇し、展示内容の変更を余儀なくされるという事件に発展していった。そのなかで、関係者や歴史学者や退役軍人などの間で「はたして原爆投下は必要だったのか」という論議が再燃していった。「原爆投下は、より多くの米国軍人や日本人の生命を救うため必要だった」という大義名分が、米国では通説となっているからである。
このような論議のなかで、広島と長崎は被爆市として、戦争や平和のシンボルとして、しばしば一緒にして考えられるのであるが、広島と長崎への原爆投下の意義には、少なくとも二つの重要な違いがある。そして、この違いを認識することは、米国の原爆使用の動機をより正しく理解するために大変重要なことだ、と私には思われる。
広島と長崎の違い
広島と長崎はどこが違うか。まず第一に、例え広島への原爆使用に「より多くの生命を救うため」という正当化が成立したと仮定しても、それが、即、長崎への原爆使用を正当化することにはならない、という点である。なぜなら、長崎への原爆使用は、広島への原爆投下からわずか二日後になされたのであって、広島に起こったことを日本人が理解する余裕を与えられないまま、第二の原爆が日本市民の頭上に投下されたからである。もし「より多くの生命を救う」のが原爆使用の動機だったのなら、なぜ日本に降伏のチャンスを与えなかったのか。長崎への原爆使用は何人の米国兵の生命を救ったのか。本当に長崎への原爆使用は必要だったのか。このような疑問が湧いてくるのである。すなわち、広島への原爆使用に比べて、長崎への原爆使用は、その正当化がはるかに困難なのである。
広島と長崎の違いは、また、投下された爆弾の種類が違っていたことにもある。広島に落とされたのはウラニウムの原爆であったが、長崎へのそれはプルトニウムの原爆であった。戦時中、アメリカ合衆国はこの二種類の原爆の製造に成功したのであるが、実は、この「原爆に二種類あった」という単純な事実が、なぜ日本に一つではなくて二つの原爆が投下されたかという最も有力な理由なのである。初期の計画では、京都と広島が攻撃対象として選ばれていたが、後に広島と長崎に変更された、などと言われているが、計画の初期の段階ですでに一つではなく二つの原爆を落とすことが決定されていたのである。すなわち、広島に加えて、二つ目の原爆使用を決定した背後には、「もう一つの原爆の成果を見る」という物理学的実験動機の存在の可能性が非常に高いのである。それは、「より多くの生命を救う」のが本当に原爆使用の動機であったのかについて、さらに大きな疑問を投げかけるものなのである。
ところで、もし長崎への原爆投下の決定が人道的な動機以外のなにものかによってなされたとなると、広島への原爆投下の決定は人道的な動機でなされた、という主張が随分怪しくなってくる。なぜなら、二つの原爆投下は、別々に決定されたものではなく、一緒に一つの計画のなかで決定されたのであり、その一方が人道的な動機で、他方はそれ以外の動機でなされた、などということはありえないからである。したがって、「原爆投下はより多くの生命を救うためであった」という一般的正当化が本当に説得力を持つためには、長崎への原爆投下もやはり「より多くの生命を救う」ために必要であったことをどうしても示さなければならないのである。
長崎への原爆投下の正当化を問い詰めよ
だから、広島と長崎を分けて考えることが大切なのである。「日本への原爆投下」が必要であったと正当化する者に対しては、彼が「長崎への原爆投下」も本当に必要だったと考えているのかどうか、問いつめなければならないのである。戦後五十年、わたしたちはまだ二つ目の原爆投下の正当性や必要性についてほとんど何も聞いていないのである。その問いの果てに、わたしたちは、生命尊重の論理ではなく、むしろ生命軽視の論理を見つけるようなことになるかもしれないのある。