アイデンティティーの喪失
メキシコのインディオの人々に「征服の踊り」という民族ダンスがある。それは、スペイン人がマヤ文明やアステカ文明を壊滅し、先住民を奴隷化し、メキシコにおける征服者となったこと忘れないためインディオが踊るダンスである。踊り手はスペイン人に似せた仮面をかぶり、左手に十字架、右手に剣をもって、聞く者の心をえぐるような、もの悲しいリズムにあわせて、十字架と剣を、「これを取るかそれともこれか」、というようなしぐさで交互に突き出しながら踊り歩く。これを見物するインディオの人々の顔が悲しい。私はこれを見て、いつも涙を禁じ得ない。
このやり場のないような悲しみはどこからくるのだろうか。それは、彼等を奴隷にし、彼等の文明のアイデンティティを捨てさせ、彼等を地獄に落とした、その張本人の西欧キリスト教文明が、彼等の救世主となったことである。そうわたしは思う。西欧キリスト教文明が純粋な悪であったら、インディオにもまだ救いはあったであろう。しかし精神的経済的援助を、その西欧キリスト教文明の善意に頼らざるを得なくなったとき、彼等に救いの道は閉ざされてしまったのだ。
現在、中南米のカトリック教職者たちは、インディオたちに「人間一人一人のなかにこそ神聖なものがある」ことを理解させようと努力しているという。なぜかというと、征服の過去が、現在でもインディオたちをして、スペイン文明の後継者たちに対して深い劣等感と恐怖感を抱かせている、そういう事実が歴然としてあるからだ、と説明する。しかし、これらのカトリック教職者たちは、救おうとする彼等の誠意自体がインディオの救いを妨げていることに気が付かないのである。「征服の踊り」の深い悲しみは、自己の救いの根拠を自己の文明のなかに見い出すことができなかった者の悲しみである。わたしには、そう思えてならない。
日本侵略計画の挫折
一つのキリスト教文明の輝かしい勝利は、ほとんどいつでも、他の一つの文明の悲劇であった。それはアメリカ大陸の歴史にもっとも生々しく刻まれている。しかし、考えてみれば、インディオたちは日本人の代わりに犠牲になったと言えるかもしれない。なぜなら、コロンブスは大西洋を西へ西へと航海を続ければ、やがて「黄金の国」ジパング(日本)へ着くことを信じていたからである。もし、予期しなかったこの大陸がヨーロッパと日本の間になかったら、そしてコロンブスが予定通り、日本に到着していたら、日本の歴史はどうなっていただろうか。始めてインディオの人々を見たその日、彼の航海日誌に書いたように、コロンブスは日本人を見て、やはり「容易にキリスト教徒になるであろう」とか、「彼らは良き使用人になるであろう」とか書いたであろうか。
ポルトガルとスペインは半世紀ほど遅れて戦国時代の日本にやってきた。イエズス会の日本巡管区長ガスパル・コエリヨは「(フェリペ)国王陛下の援助で日本六十六国すべてが改宗すれば、フェリペ国王は日本人のように好戦的で怜悧な兵隊をえて、一層容易に中国征服を成就することができるであろう」と軍隊の派遣を要請しているが、もっと冷静な観察眼をもっていた日本巡察師ヴァリニャーノは、一方では、日本はポルトガルの征服圏であるからスペイン人は手を出すな、とクギをさしながら、他方では、日本の「国民は非常に勇敢で、しかも絶えず訓練をつんでいる」ので征服は不可能である、などと書き残している。いずれにしても、アメリカ大陸と違って、宣教師たちの初期の華々しい成功にもかかわらず、やがて豊臣政権や徳川政権の激しいキリシタン迫害政策に出会い、彼等の日本侵略計画は完全に挫折するのである。
そして、二百年の鎖国平和のなかで、「キリスト教を否定した野蛮国」日本の文明は一つの黄金時代を迎える。近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉、菱川師宣、関孝和、青木昆陽、石田梅巌、喜多川歌麿、十辺舎一九、上田秋成、伊能忠敬、広重、滝沢馬琴、式亭三馬、市川団十郎、葛飾北斎、尾形光琳、吉田文三郎、賀茂真淵、本居宣長、平賀源内、鈴木春信、杉田玄白、与謝無村、間宮林蔵、会沢正志斎、吉田松蔭、その他多くの人々によって、日本の芸術や学問は優れて独創的な発展を経験する。
もし日本がスペインやポルトガルに征服されていたら、「日本文明」という名で現代人が思い出せるものは、あの偉大なアステカの遺跡とは比べものにならないほどみすぼらしい、城跡の石垣だけというようなことになっていたかもしれない。少なくとも、日本文明が今とは似てもにつかぬものになり果てていたことは疑う余地もない。