"The Buddhist schools differed among themselves to a great degree; they have, however, one thing in common -- the denial of substance (atman)."

「各仏教学派はその教義においてそれぞれ大いなる相違を示しているが、それでも一つの共通点をもっている。それはアートマンの否定である。」

(T.R.V. Murti, The Central Philosophy of Buddhism, p26)


人間の知識や経験の届かない、形而上学的問題に関しては、ブッダは「わたしが説かないことは説かないと了解せよ」と沈黙をもって応えましたが、人間の知識や経験の届く範囲に関して、とくに人間存在については、ブッダは「わたしが説くことは説くと了解せよ」と言って、いくつかの重要な主張を残しました。アートマンについても、死後においても生残るなどという形而上学的空想問題としては沈黙を保ちましたが、経験や知覚の世界の問題としてはアートマンに関して明確に無我の主張をしました。


(1)無常の思想

ブッダの主張のなかでも、とくに重要なのは、「諸行無常」、すなわち、すべてわたしたちが経験や知覚するものは無常であるという主張です。経験世界のすべては、生まれ、変化し、滅するのであって、常住不変なるものはない、という主張です。これが無我の主張の根拠となりました。

かようにわたしは聞いた。ある時、世尊は、サーヴァッティーのジェータ林なる給孤独の園の精舎にあられた。その時、一人の比丘が、世尊のいますところにいたり、世尊を拝して、もうして言った。 「大徳よ、この世のものにて、定恒永住にして、変易せざるものがあろうか。」 「比丘よ、この世には、定恒永住にして、変易せざるものは、少しもない。」 そして、世尊は、すこしばかりの土を爪の上にのせて、かの比丘に示して言った。 「比丘よ、たったこれだけのものといえども、定恒永住にして、変易せざるものは、この世には存しないのである。」

(相応部経典22:97、増谷文雄訳「爪にのせたる土」『仏教の根本聖典』、大蔵出版、84頁)

かようにわたしは聞いた。ある時、世尊は、サーヴァッティーのジェータ林なる給孤独の園の精舎にあられた。その時、一人の比丘が、世尊のいますところにいたり、世尊を拝して、もうして言った。 「大徳よ、世間、世間と称せられるが、一体どのような意味において世間と称せられるのであろうか。」 「比丘よ、破壊するがゆえに世間と称せられるのである。比丘よ、眼は破壊する。鼻は破壊する。舌は破壊する。身は破壊する。意は破壊する。また、それらの触(感官)を縁として生ずるところの感受は、楽なるものも、苦なるものも、あるいは非楽非苦なるものも、すべて破壊するのである。比丘よ、このように、すべてが破壊し遷流するがゆえに、世間と称せられるのである。」

(相応部経典35:82、増谷文雄訳「世間は壊れる」『仏教の根本聖典』、大蔵出版、88〜89頁)

ブッダはこのように、「定恒永住にして、変易せざるものは、この世には存しない」、と主張しました。しかし、それは、古代ギリシャ哲学のように、単に「万物は流転する」というような主張ではなく、この諸行無常という経験世界の観察を、人間が経験する悲しみや苦しみと関連づけました。そこにブッダの思想の特徴があります。

つまり、ブッダは、この世のすべてのものは無常にして結局破壊にいたってしまうものに過ぎないのに、そのことを理解せずそれに執着してしまうことから人の悲しみや苦しみが生じると考えました。そのために、「定恒永住にして、変易せざるものは、この世には存しないのである」という理解を徹底すること(覚り)によって執着心をなくし、執着心が無くなればひとは苦しみから解放される(解脱)と考えたのです。


(2)無常だから無我である

ところが、すでに第一章で見たように、ブッダの思想は、死後も生残る魂、永遠不変の魂、すなわちアートマン(永遠の個我)の存在が当然のことと考えられていたウパニシャッドの宗教世界の真っただ中に生まれました。しかも、アートマンを認識することは彼らの宗教的救いの根拠となるものでした。そのために、アートマンを救いの根拠とするウパニシャッド哲学の伝統と、すべてが無常であり、そのことを理解して執着から解放されて自由になれ、という仏教の思想とが、真っ正面から対立することになります。こうして、仏典は、「無常だから無我である」、というブッダの主張を繰り返し繰り返しすることになったのだと思われます。

原始仏典の中では、無常ということがすべての教えの前提になっている。「すべては無常であり、すべては苦であり、すべては無我である」という文句は、原始仏典のいたるところでお目にかかる。・・・すべてが無常なのだから、すべては苦しみであり、そのように無常と苦にさいなまれている自分と世界の中に、絶対者としての自己、恒常・不変・自在な自我などあるわけはない、というようにである。

(梶山雄一、『空の思想 仏教における言葉と沈黙』、8頁)

たとえば、次のような経が典型的です。
「アッギヴェッサーナよ、これをどのように思うか。人間の肉体(色)は恒常であろうか無常であろうか。」「無常です、大徳よ。」「それでは、無常なものは、苦であろうか楽であろうか。」「苦です、大徳よ。」「それでは、無常であり、苦であり、変異するものを、これは我がものである、これは我である、これは我がアートマンである、ということは正しいであろうか。」「いいえ、大徳よ。」

「アッギヴェッサーナよ、それではこれをどのように思うか。感覚(受)や思考(想)や意志(行)や意識(識)[などの人間の心の部分]は、恒常であろうか無常であろうか。」「無常です、大徳よ。」「それでは、無常なものは、苦であろうか楽であろうか。」「苦です、大徳よ。」「それでは、無常であり、苦であり、変異するものを、これは我がものである、これは我である、これは我がアートマンである、ということは正しいであろうか。」「いいえ、大徳よ。」

(マッジマニカーヤ、35:20)

ここで、「肉体(色)、感覚(受)、思考(想)、意志(行)、意識(識)」などいわれているものは「五蘊(スカンダ)」といって、初期の時代から仏教では人間存在を構成している要素と考えられていたものです。すなわち、すべての存在はさまざまな原因や条件や要素に依存して成立しているという縁起の考え方から生まれた仏教の人間観です。ブッダは人間存在を成立させている要素の一つ一つを取り上げて、そのどれも、無常であり、苦であり、変異するものであるから、そのどれも、永遠不変の存在と信じられているアートマンではありえない、と主張したのです。

これはとくに注目すべき主張です。なぜなら、ブッダは、「アートマンは存在しない」という全称命題的言明を意図的に避け、人間存在を成立させている要素の一つ一つ取り上げて、これも無常であるから(常住であるはずの)アートマンではない、あれも無常であるから(常住であるはずの)アートマンではない、というふうな仕方で、知覚し経験できる範囲内の事柄に関してのみ言及するという方法をとっているからです。しばしば、アナートマンは「無我」ではなく「非我」と翻訳すべきであるという主張が仏教学者によってなされるときがありますが、まさにそのとおりで、人間存在を成立させている一つ一つが、これも非我であり、あれも非我である、という主張がなされているわけです。

つまり、ここでも、形而上学的問題については断定的判断を下さないというブッダの態度が貫かれていることが分かります。また、これとはすこし別の形の人間分析からもおなじような主張がなされていることがありますが、いずれにしても、人間存在というものを、知覚し経験できる範囲内だけで分析しているところがブッダらしいところです。

比丘たちよ、眼は無常である。すべて無常なるものは苦である。すべて苦なるものは無我である。すべて無我なるものは『これ我がものにあらず。これ我にあらず。これわが我(アートマン)にあらず。』と、このように正しき智慧をもって、あるがままにこれを見なければならぬ。比丘たちよ、耳について言うも同じである。鼻について言うも同じである。舌について言うも同じである。身について言うも同じであり、また、意について言うも同じである。

(サンユッタニカーヤ 35:1、増谷文雄訳)

そこにないものを見ようとしたりしないで、人間存在を「あるがままに見」れば、人間存在を成立させているどの要素もすべて無常であり、アートマンの恒常不変の性質をもつものない、というわけです。


(3)あるがままに見よ

ここに出ている「あるがままにこれを見なければならぬ」という表現は、無我の思想が語られる経典の中でしばしば一緒に出てくる定型句です。

たとえば、あるとき、マハー・チュンダという弟子が、ブッダに「入門したばかりの新参の修行僧でも、自己に関する誤った見方や世界に関する誤った見方を捨てることが可能でしょうか」という質問をしたとき、ブッダは次のように答えています。

もし、自己や世界をあるがままに観察し、「これはわれに属するものではない、これはわれではない、これはわれのアートマンではない」と知るならば、自己や世界に関する誤った見方を捨てることができるであろう。

(マッジマニカーヤ 8:3)

このような「あるがままにこれを見なければならぬ」という表現には、アートマンや永遠不変の魂などの観念は、あるがままにものを観察した結果ではなく、そこに「あって欲しい」と願う人間の執着心の産物である、というブッダの批判が含意されています。自己や世界に関する誤った見方とは、いうまでもなく、自己や世界を無常であるとあるがままに観察せず、観察できない常住不変なる何者かを、存在の「背後」や「根底」に読み込もうとする見方のことです。

こうして、人間の経験や観察範囲を超えた形而上学的神秘的問題としてのアートマン問題に関しては、ブッダは沈黙しましたが、人間の経験や観察できる範囲内における人間存在に関しては、そのすべてが無常であるために、アートマンではない(非我である)、と主張しました。アートマン(永遠不変の魂)の概念が、仏教の根本的な前提である無常(すべては変滅する)の考え方と矛盾すると考えられたからです。


(4)縁起の思想

さて、無常の観察と人間苦の経験を結びつけたところに、ブッダの思想の特徴があることを指摘しましたが、この二つを結びつけたのが、じつは縁起の思想(プラティーチャ・サムットパーダ、パティッチャ・サムパーダ)だと考えられます。現代の仏教学では、この縁起の思想こそが実はブッダの悟りの内容であったと考えられていますが、縁起とは「縁って起こること」あるいは「依存して起こること」を意味します。この縁起の考え方のもっとも簡潔な表現が、次のような定型句として原始仏典のいたるところに見いだされます。

これが有ることに縁って、あれが有り、
これが生じることに縁って、あれが生じる。
これが無いことに縁って、あれが無く、
これが生じないことに縁って、あれが滅する。

(マッジマニカーヤ 79:7)

ものにはそれを成立させている原因や条件があり、もしその原因や条件がなくなれば、それは消えてしまう、という観察です。

この縁起の思想がブッダの悟りの内容であったと考えられるのは、まず何よりも、原始仏典そのものがそう書いているからですが、縁起の思想こそがブッダの発見の核であったと考えるには他にも十分な根拠があります。まず第一に、縁起の概念は無常の現象を説明します。つまり、ものごとはただ単純に「流転している」のではなく、そこには実はさまざまな依存関係が有り、ものがそれ自体で独立自存しているのではなく、さまざまな原因や条件に依存していからこそ、ものは常住ではなく無常であると、いう具合にです。この考えは、とくにナーガールジュナ(西暦150〜250頃)によって、ものは常住自存の実体(自性やアートマン)によって存在しているのではないことを主張した空の思想の根拠となりました。(「空の思想:縁起論」)

さらに、ものが常住自存の実体(自性やアートマン)によって存在しているのではなく、様々な条件に依存して生起・消滅しているのだ、という縁起の観察は、無常であるものに執着するところに苦しみの原因があり、執着から解放されると苦しみから解放されるというブッダの救済思想の根拠ともなっています。もっとも古い仏典には次のように縁起の思想が記されています。

メッタグーさんがたずねた。「先生!あなたにお尋ねします。このことをわたしに説いてください。あなたはヴェーダの達人、心を修養された方だとわたしは考えます。世の中にある種々様々な、これらの苦しみは、そもそもどこから現われ出たのですか。」

師は答えた。「メッタグーよ、そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。私は知り得るとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、執着を縁として生起する。実に知ることなくして執着をつくる人は愚鈍であり、繰り返し苦しみに近づく。知ることあり、苦しみの生起の元を観じた人は再生の素因をつくってはならない。」

(スッタ・ニパータ 1049-1051、中村元訳)

仏教の基本的な教えであるとしてよく取り上げられる「四諦」や「八正道」の考えもこの縁起の思想から出たものです。「四諦」とは「苦・集・滅・道」というふうに漢訳されますが、「苦しみ・苦しみの原因・原因の滅却・滅却の道」という意味であって、まさに縁起の思想そのものが表現されています。「八正道」とは、苦しみの原因を滅却するための道を「正しい見方、正しい言葉の使い方、正しい行動の仕方、正しい心の持ち方、等」の八つにわけて説明するためのもので、いわば縁起思想の実践論と言えます。

苦しみを成立させている原因を壊滅することによってひとは苦しみから解放されるという縁起の思想の観点に立てば、なぜ、ブッダが「信仰を捨てよ」と説いたかがよりよくわかります。信仰宗教的な世界では、苦しみから解放されるために、ひとびとは苦しみの原因や条件を分析解明することなく、神頼みの祈祷や願掛けや犠牲の儀式、あるいは呪文(マントラ)や呪術や苦行や洗浴の儀式など、すべて神秘的な力に依存していましたが、縁起の思想はそれら因果の筋道の見えないすべてのあやしげな方法を否定するからです。縁起思想の実践論である「八正道」に信仰や儀式や呪術が含まれていないのはまさにそのゆえです。人間苦が解決できないのは、神秘的力に対する信仰(祈祷や供犠)が足りないからではなく、苦しみの原因に対する無知(無明)ゆえである、というのがブッダの縁起思想でした。ブッダはこうしていわゆる信仰宗教というものを否定しました。


(5)縁起思想と因果応報

縁起の思想によってブッダは宗教を否定しましたが、その縁起の思想によってブッダはまた唯物論も否定しました。ブッダ当時の唯物論者として有名なのはアジタという人でしたが、彼は

愚者も賢者も身体が破壊されると消滅し、死後には何も残らない。したがって現世も来世も存せず、善行あるいは悪行をなしたからとて、その果報を受けることもない。施しも祭祀も供犠も無意義なものである・・・

(中村元『インド思想史』45頁)

などと主張したと言われています。

ブッダは、神々への信仰や祭祀や供犠がなどを否定したことにおいては唯物論者アジタと同じでしたが、かれと違って、まず第一に、来世が存在しないと主張したのではなく、来世のような知覚や経験を越えた空想的事柄に関しては、肯定も否定もせず、沈黙しました。そして、第二に、アジタと異なって、因果応報の原理はこれを受け入れました。因果応報の思想はほとんどの宗教にも見られるもので、バラモン教・ヒンズー教やジャイナ教などの伝統にも色濃くあり、それは特別に仏教の思想というわけでは有りません。仏教がそれを受け入れることとなったのは縁起思想と在家仏教の発展のゆえだと考えられます。

すでにみたように、縁起思想によれば、人間の苦しみにはそれをもたらした原因や条件があり、苦しみからの解放はその原因や条件を滅却する行為によって得られる、という思想ですから、その意味において、縁起思想には因果応報のある原理がすでに内包されています。仏教は伝統的因果応報をそのまま受け入れたわけではありませんが、苦しみを作る原因や条件となる行為を避けよ、という点において、縁起思想と伝統的因果応報の考えは一致していたのです。そのために、善いことをすればよい結果が、悪いことをすれば悪い結果が生まれる、という素朴なひとびとの考えは、そのまま、縁起の思想から正当化されて認められることになったと考えられます。

初期の仏教教団では、教えの中心はニルヴァーナに達することであったが、在家の信者に対しては主として「生天」の教えが説かれた。道徳的に善い生活をしたら天に生まれるという教えである。施論・戒論・生天論の三つは在家信者に対する教えの三本柱であった。この天の原語はいろいろあるが、いずれも単数形でのみ用いられている。すなわち、天は一つであって、[後代に現れたような]天の細かな内容規定や、階層的な区別はなかったのである。誰でも能力に応じて布施を行い、道徳的に善であれば、死後に天におもむくとされたのである。この天の思想は、仏教独自のものではなく、当時のインドの一般民衆の信仰であって、仏教はそれを教義の中に取り入れたのである。ただ、仏教では、この世界に対してどこかに空間的に存在する天を考えたのではなく、あくまで、絶対の境地を天ということばを借りて表したのであるが、一般民衆は俗信のとおり、死後の理想郷に行かれると信じていたのであろう。・・・後世の大乗仏教における浄土の信仰は、この天の思想の発達した形である。浄土もまた、絶対的な境地を表現したものであり、彼岸とは完成を意味することばであったが、天の場合と同じく、一般民衆には、死後の理想郷と受け取られたのである。

(『仏教語大辞典』、東京書籍、昭和58年発行、979頁)

原因をもたぬ結果はなく、また、結果を生まぬ原因もない。このような因果の依存関係を縁起思想は説くわけですから、善行をなそうが悪行をなそうがどちらも同じ結果を生むという唯物論者の主張はブッダによって退けられることになります。こうして、存在の依存関係を無視して、ただいたずらに神秘的力に頼む宗教を否定したブッダは、おなじ理由で、来世について断定的な主張をし、また存在の依存関係を無視した唯物論も否定することになりました。形而上学的問題に対する沈黙と縁起の思想のゆえに、仏教は宗教と唯物論の両方を否定したのです。


(6)中道の思想

ブッダは「死後にも魂のようなものとして自我が永遠に生残る」という宗教の独断も、「死後は自我は生残らない」という唯物論者の独断も、どちらも沈黙をもって否定しました。このような二つの独断的見解をそれぞれ「常見」「断見」と言います。そして、そのどちらにも与しないブッダの沈黙の立場を「中道」と呼びました。

もともと、中道とは、「禁欲主義」と「快楽主義」の両極端の態度を批判したブッダの修業の態度を示す言葉でしたが、こうして、宗教と唯物論の「常見・断見」二つの形而上学的独断に陥らないブッダの沈黙の立場も「中道」と呼ばれるようになったわけです。

この中道思想が現代の仏教でも生きている事実は、つぎのようなダライ・ラマ14世の言葉に見受けられます。

人類は、自分たちを過激な物質主義者だとするものと、ひとえに信仰に生きるものと、二つのグループがあるように見える。そして、そこにはより深い考察が見当たらない。二つの世界、二つのキャンプがあるようなものである。仏教はそのどちらにも属さない。一面では仏教は心の科学である。宗教ではないから、どちらのグループに属することも受け入れない。他面では、仏教は非常に精神的である。瞑想などをそのうちに含んでいる。それがやはりどちらのグループに属することも許さない。仏教は二つのグループの中間に止まっている。

(『空と縁起:人間は一人ではいきられない』、大谷幸三訳、157〜158頁)

しかし、「中道」という言葉は便利で何にでも使えますが、はなはだ誤解されやすい言葉でもあります。必ずしも中間というような意味とは限らないからです。それが最初に使われた「禁欲主義」と「快楽主義」の場合に関して言えば、中間と解してもあながち間違いではないかも知れませんが、「常見・断見」二つの形而上学的独断に対する中道は、二つの見解の中間という意味ではありません。宗教も唯物論も、人間の知識の及ばぬことに関して空想的独断を犯しているということにおいては同じ立場だからです。簡単に言えば、「常見・断見」に対する中道とは、仏教が、宗教も唯物論も同じ穴のムジナとして見ていることを示す厳しい批判の言葉と言えます。


(7)解脱と無我

縁起の思想はすでに指摘したように、無常の現象を説明するものですが、それはおそらく、苦の原因と考えられる無常の現象をより深く理解しようとするブッダの努力の中で発見されたものだと推察されます。その発見は同時に、苦からの解放(解脱)の可能性の発見ともなったと推察されます。なぜなら、ものがそれ自身に内在する永遠不変の本体によって存在しているのではなく、さまざまな原因や条件や要素に依存して一時的に成立しているにすぎないとすれば、苦を成立させている条件を取り除けば苦から解放が可能となる --- そのように考えることができたからです。

後に、ナーガールジュナは、このことに関連して次のように述べています。

その善である諸事物の本体がいかなるものにもよらずに生じるならば、宗教的修行の生活はありえないであろう。道徳も非道徳もなくなるし、世間の慣行もありえない。原因を持たないものは恒常的であるから、本体を持っているものは恒常的となろう。(『廻諍論』55〜56、梶山雄一訳)
善なることやものが、原因や条件なしに恒常的に成立しているならば、人間の宗教的あるいは道徳的努力というものは無意味となってしまう、という意味です。さらにまた、
他による生起(縁起)とは、苦の生じる原因である。苦の生じる原因を否定すれば、苦の存在を否定することになる。その原因がないときに、その苦はどうして生じようか。苦を認めず、その原因を認めないことにより、苦の止滅を認めないことになる。すなわち、苦の生じる原因がないならば、何を断滅することによって止滅がありえようか。すなわち、苦の止滅がないならば、苦の止滅に至る道は何を得るためにあるのだろうか。このようにして、[ものが恒常不変の本体によって成立すると考えると、]四種の尊い真理がないことになる。(同上)
ナーガールジュナは、ここで、恒常不変の存在を認めることは、縁起を否定することであり、それは結局ブッダの四つの真理(苦・集・滅・道)を否定することになる、という批判をしています。仏教は神々に依存しない宗教として誕生しましたが、仏教はまた、伝統的に宗教的救済の根拠として考えられてきた魂のような恒常不変の実体を認めることこそが逆に宗教的道徳的実践を無意味にしてしまうものであるという主張を展開しました。

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このように、人間の知識や経験の届かない、形而上学的問題に関しては、ブッダは沈黙をもって応えましたが、人間の知識や経験の届く範囲に関しては、いくつかの重要な主張をしています。そして、それらはすべて深く無我の思想と関っていることがわかります。すなわち、無常の思想(恒常不変なものはない)、縁起の思想(ものは恒常自存していない)、空の思想(恒常不変の実体はない)、解脱思想(ものは恒常不変ではないからこそ苦からの解放が可能となる)など、ブッダの主張のすべては、自己や世界が恒常不変のアートマンや実体によって存在しているのだという考え方を否定する、無我の思想によって貫かれていると言えるでしょう。