サムエル記と歴代誌はともに歴史書ですが、それらの間にはいくつかの矛盾が見られます。
捕虜にされた騎兵の数
サムエル記下の記録によれば、ダビデはツオバの王ハダドエゼルと戦い、「騎兵千七百」捕虜にしたと記していますが、歴代誌の記録は、「騎兵七千」と記述しています。
サムエル記下 8:3-4
ダビデは次に、ツオバの王、レホブの子ハダドエゼルがユーフラテスに勢力を回復しようと行動を起こしたとき、彼を討ち、騎兵千七百、歩兵二万を捕虜とし、戦車の馬は、百頭を残して、そのほかすべて腱を切ってしまった。歴代誌上 18:3-4
ダビデは次に、ハマト地方のツオバの王ハダドエゼルが、ユウフラテスに覇権を確立しようと行動を起こしたとき、彼を討ち、戦車一千、騎兵七千、歩兵二万を捕獲し、戦車の馬は、百頭を残して、そのほかはすべて腱を切ってしまった。
イスラエルとユダの戦士の数
サムエル記下の記録によれば、ヨアブの報告したイスラエルの戦士の数は「八十万人」でユダの戦士の数は「五十万」であったとなっていますが、歴代誌の記録では、それぞれ「百十万」「四十七万」となっています。
サムエル記下 24:9
ヨアブは調べた民の数を王に報告した。剣をとりうる戦士はイスラエルに八十万、ユダに五十万であった。歴代誌上 21:5
ヨアブは調べた民の数をダビデに報告した。全イスラエルには剣をとりうる男子が百十万、ユダには剣を取りうる男子が四十七万であった。
殺された戦車兵の数
サムエル記によれば、アラム軍との戦いにおいて、ダビデ軍に殺されたアラム軍の戦車兵の数は「七百」であったことになっていますが、歴代誌によれば「七千」となっています。
サムエル記下 10:17b-18
アラム軍は戦列を整えてダビデを迎え討ち、戦ったが、彼らはイスラエルの前から逃げ去った。ダビデはアラムの戦車兵七百、歩兵四万を殺し、軍の司令官ショバクもその場で打ち殺した。歴代誌上 19:17b-18
ダビデは戦列を整えてアラムを攻撃し、戦った。彼らはイスラエルの前から逃げ去った。ダビデはアラムの戦車兵七千、歩兵四万を殺し、軍の司令官ショファクも殺した。
結論
以上の例に挙げたように、「サムエル記」と「歴代誌」の記述には、聖書に収められている他の書と同じように、顕著な矛盾が見られ、聖書には誤謬があることがわかります。