聖書の間違い

復活(2)

--- イエスの墓を見た女 ---

佐倉 哲


福音書の記録に依れば、イエスの死後、その墓を見に行った女性があったことを記しています。しかし、そこでその女性が見たものについて、また、その直後のその女性の行動について、福音書はきわめて矛盾した記録を残しています。



イエスの墓を見に行った女性の物語

ヨハネの福音書の記録によると、イエスの墓を最初に見に行った女性は、マグダラのマリアであった、と記録しています。そして、墓に行くと(入り口を塞いであった)石が取りのけてあるのを見て、彼女はすぐイエスの弟子であったペテロと(イエスが愛しておられたもう一人の弟子)ヨハネのところへ報告に行きます。

ヨハネによる福音書 20:1-2
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちにマグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペテロのところへ、またイエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置いてあるのか、わたしたちには分かりません。」
ところが、マルコの福音書によると、イエスの墓を最初に見に行った女性は、マグダラのマリアだけでなく、ヤコブの母マリアとサロメという三人連れです。しかも、ヨハネの記録と異なって、彼女たちは、石が取りのけてあるのを見ると、中に入って行くのです。そして、墓の中で「白い長い衣を着た若者」に、イエスが復活したことを告げられるのですが、ヨハネの記録とは、まったく逆に、彼女たちはこのことを誰にも告げようとはしないのです。おそろしかったから、というのです。
マルコによる福音書 16:1-8
安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日、朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「誰が墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げてみると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを探しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。ご覧なさい。納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペテロに告げなさい。『あの方は、あなた方より先にガリラヤへ行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
マタイの福音書によると、この物語はさらに異なっています。墓を見に行った女性は、二人のマリアです。サロメは登場しません。しかも、墓の石は彼女たちの知らないうちに取りのかれていたのではなく、墓に着いたとき、彼女たちの目前で、地震が起こり、天使が降ってきて、その天使がその石を動かすのです。そしてこの天使が、その石の上に座って、つまりマルコのように墓の中でなく、彼女たちにイエスが復活したことを告知するのです。さらに、驚くべきことに、このことを弟子たちに報告しに行く途中、死から復活したイエスが彼女たちの前に「おはよう」と言って現れるのです。
マタイによる福音書 28:1-10
さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。あなたがたは十字架につけられたイエスを探しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体のあった場所を見なさい。それから、急いで行って、弟子たちにこう告げなさい。『あの方は、死者の中から復活された。そして、あなた方より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』確かに、あなた方に伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるため走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
最後に、ルカの福音書を調べてみましょう。この記録もまた、他の福音書のどれとも一致しません。墓を見に行った女性のなかで、三人の名が挙げられています。すでに見たようにマルコの福音書も三人の女性の名を挙げていましたが、マルコと違ってルカの福音書は、二人のマリアと共にいたのは、サロメではなく、ヨハナという女性です。しかも、ルカによれば、その三人に加えて「一緒にいた他の婦人たち」をも登場させています。さらに、イエスの復活を告知したのは、一人の「若者」(マルコ)でもなく、一人の天使(マタイ)でもなく、「輝く衣を着た二人の人」なのです。(ヨハネでは、マリアはもう一度墓に戻ってきて、「白い衣を着た二人の天使」に出会います。「復活(3)」参照。)そして、その告知の言葉も、他の福音書とかなり異なっています。そして、マタイと違って、使徒に報告に行く途中で復活したイエスに出会ったりしません。
ルカによる福音書 23:56b-24:11
婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見あたらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、ふたりは言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に探すのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ。まだ、ガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして墓から帰って、十一人と他の人皆に一部始終知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話しが、たわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。
このように、イエスの死後その墓を見に行った女性に関する物語は、すべてバラバラで、福音書にまったく一致がありません。これらの相違をまとめてみましょう。


比較

ヨハネの福音書 マルコの福音書 マタイの福音書  ルカの福音書
墓を見に行った女性は、マグダラのマリアだけ マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメの三人 マグダラのマリアと「もう一人のマリア」の二人 マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして「一緒にいた他の婦人たち」
すでに、墓から石が取りのけてあった すでに、墓から石が取りのけてあった 墓に行くと、大きな地震が起き、天使が天から降りて、石をわきへ転がし、その上に座った すでに、墓から石が取りのけてあった
墓の中に入らない 墓の中に入る 入ったかどうかわからない 墓の中に入る
墓では、だれにも出会わず、石が取り除かれるのを見て、誰かが遺体を運び去ったと思い込む 墓の中に入るとすぐ「白い長い衣を着た(一人の)若者」に出会い、遺体のないことと復活を告知される 墓の外で、石を転ばしてその上に座る(一人の)天使に出会い、遺体のないことと復活を告知される 墓の中で、遺体がなくなっていることを気づき、途方に暮れているとき、「輝く衣を着た二人の人」に出会い、復活を告知される
帰る途中、特別なことは起こらない 帰る途中、特別なことは起こらない 帰る途中、復活したイエスが「おはよう」と言って現れる 帰る途中、特別なことは起こらない
ペテロとヨハネのところへ報告に行く ただ恐ろしくて「だれにも何も言わなかった」 「恐れながらも大いに喜び」急いで弟子たちに知らせるため走って行った 墓から帰って「十一人と他の人皆に一部始終知らせた」
女の報告と弟子たちの反応
女はペテロとヨハネの後を追って墓に戻ってくる 女は墓に戻ってこない 女は墓に戻ってこない 女は墓に戻ってこない
ペテロとヨハネが帰った後、泣きながら墓の外から中を覗いてみると「白い衣を着た二人の天使」が見えた。天使はなぜ泣いているのかと聞くだけ。 女(たち)は墓に戻ってこない。

すでに一回目のとき、墓の中に入って「白い長い衣を着た(一人の)若者」に出会い、遺体のないことと復活を告知されている。

女(たち)は墓に戻ってこない。

すでに一回目のとき、墓の外で「石を転ばしてその上に座る(一人の)天使」に出会い、復活を告知されている。

女(たち)は墓に戻ってこない。

すでに一回目のとき、墓の中に入ってはじめて遺体のないことに気づく、またそこで「輝く衣を着た二人の人」に出会い、復活を告知されている。

天使の質問に答えて後ろを振り向くと今度はイエスがそこ(墓の外)にいます。 女(たち)は墓に戻ってこない。

一回目の時もイエスに出会わない

女(たち)は墓に戻ってこない。

すでに一回目のとき、弟子に報告に行く帰宅途中でイエスに出会う

女(たち)は墓に戻ってこない。

一回目の時もイエスに出会わない


結論

このようにして比べて見ると、四つの福音書が全員一致するのは、マグダラのマリアがイエスの死後その墓を見に行き、墓の入り口を閉めていた石が誰かによって動かされていたのを見た、ということだけで、その他の部分は報告が全然一致しません。マグダラのマリアの他に誰か一緒に行ったのかどうか、同伴者がいたとしても、それが誰と誰であったのか、マグダラのマリアは墓の中に入ったのかどうか、マリアは一度だけ墓に行ったのかそれとも二度行ったのか、そこで天使や若者に出会ったのかどうか、それは墓の中だったのか外だったのか、一人だったのか二人だったのか、その人物(たち)が何を言ったのか、遺体がないことを知らされる前に遺体がないことを自分で見たのか、それとも遺体がないことを天使(若者)から告知され遺体がないことを確認したのか、それとも石が取り除かれているのを見ただけで遺体が盗まれたと思い込んだだけなのか、復活したイエスに出会ったのかどうか、出会ったとしたら帰り道で出会ったのかそれとも墓の外で出あったのか、また、これらのことを弟子たちに報告したのかどうか。これらのことについて、福音書は一致した回答を与えてくれません。