聖書の間違い

「母の願いの物語」の矛盾

佐倉 哲


マタイによる福音書には、イエスの弟子であったヤコブとヨハネの兄弟の母がイエスのもとにきて、彼女の息子二人をイエスの栄光の座の右と左に座らせてくれるように願い出るという有名な物語があります。しかし、マルコによるこの物語には母は登場せず、これらの福音書にはあきらかな矛盾が見られます。



マタイにおける記述

マタイには、イエスとその弟子たちがエルサレムへ行く途中、イエスの12人の弟子のうちの二人、ゼベダイの息子たち(ヤコブとヨハネ)の母が、イエスのもとに来て、次のような願いをする物語があります。

マタイによる福音書 20:20-21
そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。イエスが、「何かお望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」


マルコにおける記述

ところが、この物語は、マルコの記述によれば、かなり異なったものとなっています。願いをする母は登場せず、ヤコブとヨハネが直接、イエスの願い出ています。

マルコによる福音書 10:35-37
ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」


結論

このように、マタイの「母の願いの物語」とそれに対応するマルコの物語のあいだには矛盾があります。つまり、マタイはこの事件に関して、イエスの弟子であったヤコブとヨハネの母が息子のために願い事をしたのだと思いこんでおり、一方、マルコは二人の弟子の母がこの事件に関わっているとは思っておらず、むしろ二人が直接イエスに願い事をしたのだと思いこんでいます。

したがって、聖書というものは、一部のキリスト教信者が信じさせられているように、

会社の社長が秘書に手紙を書かせるのと同じように、神は人々に情報を書き記させた・・・
(『あなたは地上の楽園で永遠に生きられます』49頁)
というようなものではなく、むしろ、ルカが
わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を付けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。(ルカ 1:1-3)
と書き残しているとおり、聖書はきわめて人間的な伝承資料の寄せ集めにすぎないことがわかります。