聖書の間違い

ダビデ物語の矛盾と混乱(2)

--- 巨人ゴリアトを倒したのはダビデではない ---

佐倉 哲


ダビデ物語のうちで、おそらくもっとも有名なものが、巨人ゴリアトとの戦いでしょう。ひとりの羊飼いの少年が連戦錬磨の戦士である巨人ゴリアトを倒す物語は、ユダヤ教やキリスト教の小さな枠を越えて、世界に普遍的にアピールする魅力的な物語です。しかし、この物語を歴史的事件として見ようとするとき、私たちは一つの問題に突き当たります。実は、旧約聖書の他の多くの物語と同様に、巨人ゴリアトを倒す物語はもう一つあって、そちらの物語によると、ゴリアトを倒したのは、ダビデ軍の兵士の一人であって、ダビデ自身ではないのです。



ダビデとゴリアト

さて、すでに「ダビデ物語の矛盾と混乱(1)」で紹介したように、サムエル記上17章によると、皆が恐れるペリシテ人の巨人戦士ゴリアトを倒したのは、当時、羊飼いであった少年ダビデであり、このことによってダビデはサウル王に召し抱えられるようになります。すこし、繰り返しになりますが、次のようにこの物語りはダビデとゴリアトについて語ります。

サムエル記上 16:14-23
ペリシテ軍は一方の山に、イスラエル軍は谷を挟んでもう一方の山に陣取った。ペリシテ陣地から一人の戦士が進み出た。その名をゴリアトといい、ガトの出身で、背丈は六アンマ半、頭に青銅のかぶとをかぶり、身には青銅五千シェケルの重さのある、うろことじの鎧を着、足には青銅のすねあてを着け、肩に青銅の投げ槍を背負って、槍の柄は機織りの巻き棒のように太く、穂先は鉄六百シェケルもあり、彼の前には、楯持ちがいた…。

ダビデは、ユダのベツレヘム出身のエフラタ人で、名をエッサイという人の息子であった。エッサイには八人の息子があった。サウルの治世に、彼は人々の間で長老であった。エッサイの年長の息子三人は、サウルに従って戦いに出ていた……。ダビデは末の子であった。年長の三人はサウルに従って出ていたが、このダビデは行ったり来たりして、サウルに仕えたり、ベツレヘムの父の羊ひつじの世話をしたりしていた……。

さて、エッサイは息子ダビデに言った。「兄さんたちに、この炒り麦一ファと、このパン十個を届けなさい。陣営に急いで行って兄さんたちに渡しなさい。このチーズ十個は千人隊の長に渡しなさい。兄さんたちの安否を確かめ、そのしるしをもらってきなさい。」

サウルも彼らも、イスラエルの兵は皆、ペリシテ軍とエラの谷で戦っていた。ダビデは翌朝早く起き、羊の群を番人に任せ、エッサイが命じたものを担いで出かけた。彼が幕営に着くと、兵は鬨の声をあげて、戦線に出るところだった。イスラエル軍とペリシテ軍は、向かい合って戦列を敷いていた。ダビデは持参したものを武具の番人に託すと、戦列の方へ走って行き、兄たちの安否を尋ねた。彼が兄たちと話しているとき、ガトのペリシテ人で名をゴリアトという戦士が、ペリシテ軍の戦列から現れて、いつもの言葉を叫んだのでダビデはこれを聞いた。イスラエルの兵は皆、この男を見て後退し、甚だしく恐れた。イスラエル兵は言った。「あの出てきた男を見たか。彼が出てくるのはイスラエルに挑戦するためだ。彼を討ち取る者があれば、王様は大金を賜るそうだ。しかも、王女をくださり、さらにその父の家にはイスラエルにおいて特典を与えてくださるということだ。」ダビデは周りに立っている兵士に言った。「あのペリシテ人を打ち倒し、イスラエルからこの屈辱を取り除く者は、何をしてもらえるのですか。いける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は、一体何者ですか。」兵士たちはダビデに先の言葉を繰り返し、「あの男を討ち取る者はこの様にしてもらえる」と言った……。

ダビデの言ったことを聞いて、サウルに告げる者があったので、サウルはダビデを召し寄せた。ダビデはサウルに言った。「あの男のことで、だれも気を落としてはなりません。しもべが行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」サウルはダビデに答えた。「お前が出てあのペリシテ人と戦うことなど出来はしまい。お前は少年だし、向こうは少年の時から戦士だ。」しかしダビデは言った。「しもべは、父の羊を飼う者です。獅子や熊が出てきて群の中から羊を奪い取ることがあります。そのときには、追いかけて打ちかかり、その口から羊を取り戻します。向かって来れば、たてがみをつかみ、打ち殺してしまいます。わたすが獅子も熊も倒してきたのですから、あの無割礼のペリシテ人もそれら獣の一匹のようにしてます。彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから。」……サウルはダビデに言った。「行くがよい。主がお前と共にあるように。」

ペリシテ人は身構え、ダビデに近づいて来た。ダビデも急ぎ、ペリシテ人に立ち向かうための戦いの場に走った。ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、石投げ紐を使って飛ばし、ペリシテ人の額を撃った。石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつ伏せに倒れた。ダビデは走り寄って、そのペリシテ人の上にまたがると、ペリシテ人の剣を取り、さやから引き抜いてとどめを刺し、首を切り落とした。……

サウルは、ダビデがあのペリシテ人に立ち向かうのを見て、軍の司令官アブネルに聞いた。「アブネル、あの少年は誰の息子か。」「王様、誓って申し上げますが、全く存じません」とアブネルが答えると、サウルは命じた。「あの少年が誰の息子か調べてくれ。」

ダビデがあのペリシテ人を討ち取って戻ってくると、アブネルは彼を連れてサウルの前に出た。サウルは言った。「少年よ、お前は誰の息子か。」「王様のしもべ、ベツレヘムのエッサイの息子です」とダビデは答えた。……サウルはその日、ダビデを召し抱え、父の家に帰ることを許さなかった。

以上が、ダビデ物語の中でももっとも有名なゴリアト打倒の物語です。


エルハナンとゴリアト

(1)ペリシテ人で、(2)ガトの出身で、(3)巨人で、(4)「ゴリアト」という名の戦士が、(5)ダビデの時代に、(6)イスラエル軍の、(7)ベツレヘム出身の戦士に、(8)打ちまかされた。そう聞けば、誰でも、ダビデを思い浮かべます。ところがサムエル記下によると、そのペリシテ人であるガト出身の巨人ゴリアトを倒したのは、ダビデ自身ではなく、エルハナンというベツレヘムの出身のダビデの家臣の一人である、というのです。

サムエル記下 21:18-22
その後、ゴブの地で再びペリシテ人との戦いがあった。このときは、フシャ人シベカイがラファの子孫の一人サフを打ち殺した。ゴブで、またペリシテ人との戦いがあったとき、ベツレヘム出身のヤアレ・オルギムの子エルハナンが、ガト人ゴリアトを打ち殺した。ゴリアトの槍の柄は機織りの巻き棒ほどもあった。別の戦いがガトでもあった。ラファの子孫で、手足の指が六本ずつ、あわせて二十四本ある巨人が出てきて、イスラエルを辱めたが、ダビデの兄弟シムアの子ヨナタンが彼を討ち取った。これら四人はガトにいたラファの子孫で、ダビデとその家臣の手によって倒された。
このような矛盾を調和化するために、「歴代誌上」の著者は後に、エルハナンが倒した相手はゴリアトではなく、ゴリアトの兄弟であった、という訂正を行います。
歴代誌上 20:5
またペリシテ人との戦いがあったとき、ヤイルの子エルハナンが、ガト人ゴリアトの兄弟ラフミを打ち殺した。ラフミの槍の柄は機織りの巻き棒ほどもあった。
このように聖書は、巨人ゴリアト打倒物語に関して、大変混乱しています。サムエル記上とサムエル記下は誰がゴリアトを倒したかに関して矛盾し、サムエル記下と歴代誌上はエルハナンが誰を打ち倒したかに関して矛盾しています。これは、おそらく、ダビデの家臣の一人の手柄にすぎなかったものが、ダビデ神格化の歴史発展の中で、巨人ゴリアト打倒の英雄物語が、ダビデ自身の手柄の物語に変わっていったものでしょう。何処の国でも、王様は神話の中で英雄化されるものです。