聖書の間違い

天地創造物語の矛盾(三)

--- 人類始祖アダム創造の矛盾 ---

佐倉 哲


年代や登場する人物の年齢などの聖書の記述が正しいとすると、日本の縄文人はアダム創造以前に存在していたことになり、創世記の創造物語の信憑性が否定されます。



アダムは六千年前

聖書によれば、人類始祖としてのアダムが創造されたのはおよそ六千年前のことになります。これは、アダムから始まる聖書の登場人物の年齢を継ぎ足して、歴史的に知られている事件(例えば、ソロモン神殿の建設の年など)の年代から、逆計算してゆくと、約六千年という期間が得られるのです。

創世記 2:4-7
ヤーヴェ神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。 ヤーヴェ神が 地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出 て、土の面をすべて潤した。 ヤーヴェ神は土(アダマ)の塵でアダム(ひと)を形づくり、その鼻に息を吹き入れられた。アダム(ひと)はこうして生きる者となった。

創世記 5:1-5
これはアダムの系図の書である。.....
アダムは930年生き、そして死んだ。



縄文人は一万年以上前

ところが、よく知られているように、現代考古学の発見によれば、人類はそれよりはるか昔に存在しています。日本で発見されたものだけをみても、最も古い人骨は約一万七千年前のものと推定されています。沖縄県の港川の石灰岩採石場で四体以上発見された「港川人骨」です。これは猿の化石でも、類人猿の化石でもなく、れっきとした人類の化石であって、その特徴から見て縄文人の祖先である、と考えられていますが、もしそうだすれば、それは日本人の祖先である、ということにもなります。

北京原人の化石は約三十万年前にも さかのぼり、エチオピアで発見されたアファール猿人は四百万年前にもさかのぼるります。そこまでさかのぼらなくても、わたしたちに馴染みの深い縄文土器の最も古いものは約一万年前のものが発見されているのです。長崎県泉福寺洞窟 出土の豆粒文土器です。また、百隻ほどの縄文時代の丸木舟も発見されていますが、そのなかで最も古いものは、千葉県加茂遺跡出土のもので、八千年前にさかのぼります。その他、石皿、矢じり、摩り石、石錐、石斧、釣針などの道具 だけでなく、耳飾りや腕飾りなどの装飾品など六千年以上も前からの縄文時代からのものが無数に発見されているのです。そうすると、日本人の祖先は、神がアダムを造るより何千年も前に存在していたということになってしまい、聖書の記述の信憑性が否定されてしまいます。