・「魂や死後の世界観を信じない世界観に存在価値を全く認めることのできない」
立場の違いです。 その世界観から発想してみてくださいという提案です。 (どちらも無価値とはいえないと思います)
縁起の理法が死後にまで自分に影響があるという理論的説明です。 実際に死んで死後の世界に直面したら、こんな見取り図ですよと言っているのです。 ですから、参考にはしておいてくださいということです。
・「無記」の枠組みから出ている。
確認できないことは「無記」が問題が少ないし、理解しやすい。 でも、この世界観からみたらどうなりますかという提案です。 やってみているのが幸福の科学の会員です。
盲信は戒めます。内容が正しくても間違っていても。 本質面での理解が正確となり、確信の後でなくては伝えるべきではないと思います。 そして確信の後でも「相手・場所・時期」を間違えば、問題が出ます。 Webで公開するのにも閲覧者はどんな人がいるかわかりませんから注意が要ります。 批判でも推薦でもそうです。 Webは修正できても、読んだ人の気持ちを修正するのは大変ですから。
理想と現実はあり、理想だけで成立しないことや、現実を検証するだけでは不充分な こともあります。 言葉で表現する限界も考慮していなくてはならないと思います。
そこで、信じる結論にまで至らなくても、教えを参考にするのはいいのではないかと 思います。
私は検討、実践してみることから始め、どう実践したらどう影響があるかを確かめる 日々を過ごしました。 それは今も続いています。確認できないところは判断を保留し、否定はしない。 実践して実感しているところは知識・経験として活かす。 知識・経験となったものは伝える。 感謝する。
それから、考え方として補足を書いておきます。 詳細は省略していますが、必要がありましたら加えます。
幸福の科学で類似の教えを紹介する目的には、 その検証とお互いの理解にあるのではないかと思います。
確認できないところは判断を保留し、否定はしない。幸福の科学の立場で「確認できないところは判断を保留」するのは不可能ではないでしょうか。なぜなら、肯定も否定もしないのが判断保留なのに、幸福の科学の立場では、確認できなくてもいろいろ(たとえば、死後も生き残る魂の存在など)肯定しているからです。Nさんが
確認できないことは「無記」が問題が少ないし、理解しやすい。 でも、この世界観[永遠の魂の教え]からみたらどうなりますかという提案です。 やってみているのが幸福の科学の会員です。と言われているのは、まさに、確認できない事柄に関しても、幸福の科学の信者は、判断を保留しないで、積極的に肯定していることを述べられているのではありませんか。
どうなのでしょうか。たとえば、つぎのような幸福の科学の教えをNさんは、肯定しておられますか、否定しておられますか、それとも(否定も肯定もしないで)判断保留しておられますか。
(ア)「九次元にいる十人の如来の中で、残りの三人とはどういう方たちで、一体何をしているのでしょうか。・・・残りの三人のなかで最大の方、つまり、最大の力を持っている方の名は、エル・ランティと言います。・・・この方は・・・歴史的にはアラーの神と言われている方でもあります。・・・エホバとかヤーヴェなどという名前でも呼ばれてきました。・・・このエル・ランティという生命体は・・・指導霊としては、イエスを指導したり、モーゼを指導したり、あるいは、マホメットを指導したり、こういうことをしていたのは事実であります。・・・このエル・ランティの個性の一部が、近年GLAという団体の主宰者をした高橋信次という名前で、地上に肉体を持ったわけであります。」(大川隆法、『永遠の法』、第六章)
(イ)「これ[エル・ランティ]以外に有名な方としては、ゴータマ・ブッダ、釈迦牟尼仏として生命体があります。・・・巨大な生命体として、この釈迦の意識も、また、九次元にあるのです。この生命体の起源は、エル・ランティよりもさらに古く、地球における一番古い霊であります。・・・地球系霊団に関して、最高責任をもっている霊であることも、また事実であります。ですから、この方の性格が、文明の性格をつくってきたと言っても、決して過言ではない、と、このように言うことが出来るでしょう。この釈迦の生命体が、過去、ラ・ムーとして、ムー帝国に出たり、トスという名前で、アトランティス帝国に出たり、あるいは、インカの国に、リエント・アール・クラウドという名前で出たり、ギリシャの地に、ヘルメスという名前で出たりしたということは、すでにお話した通りであります。・・・この釈迦の意識、これを九次元では、エル・カンターレと言います・・・。」
(同上)
(ウ)「大川隆法総裁とは、地球系霊団の最高大霊である主エル・カンターレが、地上に下生された存在であり、過去、その意識の一部が、インドで釈尊として、ギリシャでヘルメスとしてお生まれになったことがあります。今回ご降臨された大川隆法総裁は、そのご本体意識であります。」
(「大川隆法総裁ご紹介」、宗教法人幸福の科学総本山本部)
(エ)「諸々の比丘、比丘尼たちよ。我[大川隆法]はここに再誕す。我が再誕を喜べ。我が再誕に気づけ。・・・我は、あなたがたの永遠の師である。永遠の師の、その後ろに続くことが、弟子の使命であるということを、ゆめゆめ忘れてはならない。」
(大川隆法、『ブッダ再誕 縁生の弟子たちへのメッセージ』、16、53頁)
(オ)「地上に覚者[大川隆法]あるときに、その覚者に対する信仰を忘れてはならない。・・・その権威を畏れなければならない。その権威を信じなければならない。その権威に従わなければならない。この権威を否定し、忌み嫌い、この権威を自分の理解の範囲内で解釈しようとする者は、ことごとく間違いの淵のなかに投げ入れられる。それは宇宙の仏を否定することと同じ。・・・そうした代理人が地上に降りてゆく時には、その者の考えにすべてを合わせてゆくことが正しい行為であるのだ。これが信仰の根本であるということを、私は繰り返し繰り返し言っておく。」(同上、310〜312頁)
(カ)「信仰は、百パーセントを求める。それは、仏はすべてであるからだ。仏はすべてであるからこそ、百パーセント信じなければ、すべてを得ることはできない。たとえ、九十九年の人生を信仰に生きても、最後の一年において、間違いたる唯物論者となっていきたならば、その者、必ずやまた地獄に堕ちん。」(同上、317頁)
(キ)「『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』の三部作同様、霊的啓示で書かれた本書・・・」(大川隆法、『釈迦の本心』、旧版へのまえがき)
このほかにも、大川さんの教えには、Nさんがどのような判断(肯定・否定・保留)をしておられるのかをお聞きしたいものが、無数にあります。わたしは、いまのところ、Nさんのいう「判断保留」とは、「大川さんの教えに関して確認できないものは肯定も否定もしない」という立場ではなく、「大川さんの教えに関して確認できないものは肯定はするが、否定はしない」という立場ではないのか、と疑っているのです。
[幸福の科学の会員は]独裁主義・思想的奴隷ではありません。政治的指導者の主張に対して、わたしたちが、賛成できることしか口に出来ず、賛成しかねることに関して公に語りあうことが禁止されているならば、わたしたちは奴隷状態にあるといえるでしょう。独裁者は反論を許しません。奴隷に甘んじたくなければ、わたしたちは、独裁者を倒すか、国外に脱出するほかありません。
わたしが、大川さんの姿勢を「独裁主義」と判断し、幸福の科学の信者の方の大川さんの教えに対する姿勢を「思想的奴隷」と判断したのは、大川さんがご自分を「最高大霊である主エル・カンターレが、地上に下生された存在」「地上の覚者」と主張しておられ、信者に対して、「その権威を信じなければならない」「その権威に従わなければならない」「疑ってはならない」「決して何も批判してはならない」「百パーセント信じなければならない」ことを要求し、かつ、本サイトに寄せられる信者の方も、信仰とは百パーセント信じることであるということだからだでした。
もし、幸福の科学の信者の方が大川さんに対して「思想的奴隷」でなければ、当然、膨大な量に上る大川さんの教えのなかには、「どう考えてもこれは間違っている」とか「確認は出来ないが、かなりあやしい」といったふうに、否定的に判断する部分もあるはずです。いままで大川さんの教えを学ばれてきて、Nさんご自身が、「どう考えてもこれは間違っている」とか「確認は出来ないが、かなりあやしい」と判断されている大川さんの教えのいくつかを例に挙げて戴けたら、わたしの判断は間違っていることがあきらかになります。わたしはわたしの判断(独裁主義・思想的奴隷)が間違っていることを望むものです。