こんにちは。

私は無神論者であり、あなたの「無神論も宗教だ」という主張に強い異議があります。あなたは、こう述べておられます。

信仰を捨てたというのは本当です。しかし、わたしは、「神はある」というのも根拠のない思い込み(信仰)であり、「神はない」というのも根拠のない思い込み(信仰)だと思っています。有神論も無神論も宗教であって、わたしはどちらの立場でもありません。人間の認識能力を超えた事柄については、肯定も否定もしないというのがわたしの立場です。わたしは、そのようなことがらについては、なにも知らないからです。知らない事柄については、沈黙するというのが、もっとも適切な姿勢だと思っています。

もちろん、あなたのおっしゃるように、「神は存在しない」ということは証明できません。「超常現象が存在しない」ということが証明できないのと同じです。一般に、否定的な事実は証明が困難です。

しかし、無神論を有神論と同じ宗教であって、根拠のない思い込みだというのは全く驚くべき主張です。

人間が全知全能であり、森羅万象を知り尽くしているのではない以上、神の不在を証明できないのは当然であります。しかし、われわれが知っているこの世界に神が存在せず(神が影響を与えたと思われる自然現象もこれまで何ら観測されず)、これまで人間が新たに獲得した知識や観測方法によって知るようになった世界(たとえば量子の世界、古生物学、宇宙)においても、神の存在の証明もそれを示唆するものもない以上、神は存在しないと推論するのは当然の科学的態度であり、信仰ではありません。もちろん、すべての限られた科学的知識がそうであるように、明日には大発見があり、神の存在が証明され、神は存在しないという科学的推論が覆されるかも知れません。明日には進化を否定する証拠が、特殊相対性理論を覆す証拠が、太陽の表面温度が低いことを証明する証拠が... しかし、これまでわれわれが知っており、無数の科学者が確かめてきた進化や特殊相対性理論を信じ、太陽の表面温度が数千度に達することを信じることは何ら「信仰」と呼ばれる類のことではありません。

神の不存在も「信仰」ではありません。これまでいかなる有神論者も神の存在を証明せず、あらゆる宗教が神の存在の証拠を提出せず(大多数の宗教は、そもそもそのような議論自体を拒否する)、われわれの知覚できる世界が神の存在によらずに科学的に研究され解釈され、神の存在が観測されたこともないのですから、神が存在しないというかなり確実な科学的推論を行うことができます。これは「信仰」ではありません。

無神論は科学であり、有神論は宗教です。

劉獨秀(a Marxist, atheist, communist, humanist)



冷戦以後、特に日本では、自分がマルキストであることを人々に隠す、(隠れキリシタンならぬ)「隠れマルキスト」となってしまう人が増えているようですが、さすがに、劉さんは、自称マルキストらしく、「無神論は科学であり、有神論は宗教です」と明言される姿勢が、とても好ましく思われます。

何が信仰(宗教)か、というのは大きな問題でありますが、一応、「認識の届かない事柄に関する根拠のない確信」ということにしておきます。そして、「認識の届かない」とは、

 (ア)観察できず、しかも、
 (イ)観察から論理的必然によって帰結もできない
ということにしておきます。そうすると、信仰(宗教)とは(ア)と(イ)の条件を両方とも満たしている事柄に関する確信、と言えるでしょう。

はたして、無神論は信仰の二つの条件を満たしている事柄に関する確信なのでしょうか。まず、わたしたちは、存在しているものの全体を観察領域内に納めていないわけですから、「神はどこにも存在しない」ということは観察からだけでは言えないことは明らかです。したがって、無神論は信仰の条件(ア)を満たします。

問題は、無神論が、果たして、観察から論理的必然によって帰結もできるのか、それともできないのか、ということになるでしょう。しかし、わたしたちのいかなる観察も、そこから、神が存在しないことを論理的に導きだすことのできるようなものではありません。したがって、無神論は信仰の条件(イ)も満たします。

このように、「神はいない」という確信は、観察できず、しかも、いかなる観察からも論理的に導出できない事柄に関する、根拠のない確信であって、無神論は一種の信仰(宗教)にすぎない、ということになります。

科学的主張は、無神論のような根拠のない信仰と違って、常に何らかの観察を根拠にしたものです。或るもの(something)が存在しないことを、観察できるデータから論理的に導出できるのは、観察できる領域内(domain)に限って(「月に生物はいない」「その図書館にあの本はない」「この冷蔵庫にビールはない」)であって、人間の観察できる領域を超越して存在している、という定義を持つ神が存在しないことを、わたしたちの観察データから論理的に導出することはできません。

無神論は、有神論と同ように、科学ではなく、宗教です。