佐倉哲エッセイ集

日本と世界に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。


流木さんより

00年5月29日


貿易摩擦問題について


 こんにちは。流木です。

 貿易摩擦問題についてのご見解を拝見しました。私の専門は経済学(国際マクロ経済学)なもので、一言感想を述べさせていただきます。

 結論として、「貿易黒字は悪ではなく、削減する必要などない」という点については、正しいといえます。以下、かなり簡略化して説明します。

【「貿易黒字=利益」説の誤り】

 「貿易の黒字は利益で、赤字は損失」とする見方は、アダム・スミスが200年も前に徹底的に批判した重商主義者の見解であり、今日、まともな経済学者で「黒字は利益で、赤字は損」説に同調する人たちはいません。そういう説を唱える自称専門家がいたら、その人はインチキだと断定して構いません。

 そもそも、利益(損失)とは、収入−費用であり、貿易の黒字(赤字)とは、輸出−輸入です。ここで、利益(損失)=貿易黒字(赤字)だとすれば、収入=輸出であり、費用=輸出でなければ成り立ちません。しかし、本当にそうでしょうか?米国に車を輸出して、車の代金を受け取る、一方で米国から小麦を輸入して代金を支払う。その差額を見て、車の代金として受け取った金額の方が小麦の代金として支払った金額よりも多ければ、「黒字」と呼ばれるわけです。では、小麦の代金として支払ったお金は、車の「費用」なのでしょうか?小麦で車を作っているのならともかく、いかなる意味でも小麦の代金は車の費用ではあり得ないでしょう。つまり、輸入は費用ではないのです。費用でない以上、輸出と輸入との差額である貿易の黒字や赤字も、利益や損失ではあり得ないのです。

 米国の議会関係者や一部の業界の人たちは、「米国は日本との貿易で膨大な損失を被っている」と主張していますが、彼らの主張が正しいといえるためには、日本が小麦で車を作っていることを証明する必要があります(笑)。結局、彼らは赤字とか黒字という字面にダマされて混同しているだけなのです。そして、ありもしない損失を巡って、日米両国民の貴重な税金が使われているのです。

 ポール・サミュエルソン教授(ノーベル経済学賞受賞者)の著書で経済学教科書の決定版といわれた『経済学』の中でも、「貿易黒字=利益」説は厳しく批判されていることを付言しておきます。


【「国際競争力」説の誤り】

 また、「国際競争力の強い国が黒字になる」という説も眉唾ものです。国際競争力などという言葉は、経済学の専門用語ではありませんが、仮にそれが技術が優れているとか、その国の経済に活気があるとかいう意味だと考えてみましょう(「国際競争力」を云々する人たちは、各自が勝手な意味で使っているので、明確な定義などないのです)。

 そうすると、1980年代のように、日本経済が絶好調のときには貿易の黒字が増加し、バブル崩壊後には貿易黒字が激減していないとおかしいことになります。ところが、実際には、貿易黒字(経常収支黒字ないしは貿易収支黒字)は、1980年代には対GDP比でも、絶対額でも大幅に減少しています(5%近かったものが、1990年にはほぼ1%まで低下)。また、バブル崩壊後には貿易黒字はそれ以前にも増して増加し、バブル期の2倍の1000億ドルを超えました。このような貿易黒字の増減は、国際競争力説の想定とは全く正反対なものです。つまり、国際競争力説では貿易黒字を説明不能なのです。

 ちなみに、国際競争力説への著名な経済学者からの批判としては、例えば、ポール・クルーグマン教授の著作などを参照して下さい。


【経常収支決定のメカニズム】

 実際には、貿易の黒字・赤字を決めているのは、その国の金融面なのです。貯蓄は、資金の供給であり、投資は資金の需要です。我々が銀行に貯金することは、銀行経由で誰かに資金を貸し出すことであり、投資のためには銀行から借り入れるからです。そして、この資金の需給が不一致だと、それは金利に影響を与えます。資金の供給が過剰だと金利は低下し、資金の需要が過剰だと金利は上昇します。これはものの値段の変動と同じです。

 金利が変化すると、何が起きるでしょうか?世界中でお金の移動(資金移動)が自由であれば、金利が他の国よりも高い国へは世界中から資金が流入するようになります。なぜなら、より高い金利で運用した方が財テク上有利だからです(ポートフォリオ調整)。また、もし、他国よりも金利が低くなってしまった国からは資金が引き上げられることになります。なぜなら、そんな国で資産運用をしてもムダだからです。

 このような資金の移動が為替レートに影響を与えることを忘れてはいけません。米国から日本への資金移動といっても、米国のドルが日本に流れ込んでくるわけではないのです。日本で流通するのは円です。また、米国で流通するのはドルです。

 日本の金利が低下し、日本から外国へと資金が流出するならば、そのとき、外国為替市場では円が売られてドルが買われます。円売り・ドル買い圧力です。これは円安・ドル高要因として働きます。一方で、日本の金利が上昇し、外国から日本へ資金が流入するならば、そのとき、外国為替市場ではドルが売られて円が買われます。ドル売り・円買い圧力です。これはドル安・円高要因として働きます。

 以上で準備は整いました。日本の経常収支が黒字になっているわけを説明しましょう。

 現在、日本は不況ですので、資金需給からいうと、資金がダブついています(貯蓄超過)。その結果、金利は他の国よりも低くなります。金利が低いと、資金は日本から外国へと流出しますから、その過程で円安・ドル高が進みます。円安・ドル高は日本から外国への輸出を容易にし、輸入を抑制しますから、経常収支は黒字化していくのです。「不況なのに、貿易は黒字」なのではなく、「不況だから、貿易は黒字」になるのです。

 つまり、資本収支(金融面)が為替レートに影響を与え、それが経常収支(実物面)を決定するとみるわけです。ちなみに、

  経常収支+資本収支=0

は(統計的な誤差脱漏を除けば)常に成り立ちます。経常収支が黒字の日本は、同額だけ資本収支で赤字を出しているのです。そして、経常収支の黒字は資本収支の赤字の結果なのです。

 念のためにいっておくと、資金の流出入にともなう為替レートの変動はやがては止みます。なぜなら、金利が低い国からの資金の流出はやがて資金需給を逼迫させますから、低下していた金利は上昇していきます。また、金利が高い国への資金の流入は資金需給を緩和するので、上昇していた金利は低下していきます。そして、金利が他国と同等の水準になった時点で、資金の流出入は停止することになります。


【「稼いだ黒字はどこに消えた?」論の間違い】

 よく「日本の貿易は黒字だというのに、うちの会社は赤字で苦しんでいる。一体、稼いだ黒字はどこに消えたんだ!」という話を耳にします。この話は、上記の資本収支が経常収支を決めるという経済学の標準的な学説からいえば、すっきり説明可能です。

 一方、経常収支だけで考える人々は、「稼いだ黒字はどこに消えた」という素朴な疑問に答えることができません。「日本は米国の金融奴隷に成り果てた」「マネー敗戦だ」といった議論がありますが、因果関係を逆さまに捉えているわけで、全くのナンセンスとしかいいようがありません。

 昔の人は「カネは天下の回りもの」といいましたが、この言葉は金融の本質を見事にいい当てています。お金はどこかに溜まっているのではなく、ぐるぐると全世界を駆け回っているのです。

 「日本が貿易黒字を稼ぎまくって、世界中の資金が日本に吸収されてしまう。日本は、国際金融市場に資金を還流させるべきだ」といった議論もありましたが、金融に関する完全な無知に基づくものだといえます。このような議論がIMF(国際通貨基金)の自称専門家から出てくることを、一人の経済学徒として情けなく思うものです。


【貿易黒字是正論の間違い】

 以上から明らかになりましたが、貿易黒字・赤字は損得とは関係がないので、それがいかに大きくとも誰に迷惑がかかるわけではありません。ということは、削る必要などどこにもありはしないのです。歴史的にみても、長期に渡って赤字や黒字を出しつづけた国はたくさんありますが、それで世界経済が混乱を極めたわけではありません。

 むしろ、貿易の黒字・赤字を損得と誤解したがために、アヘン戦争は起きたといえます。中国との貿易で大幅な赤字を記録していた英国が赤字解消の切り札としたのがアヘンでした。もっとも、戦争に勝ってアヘンを公然と売れるようになっても、貿易赤字は結局解消されなかったのですが。

 ちなみに、貿易黒字削減策として「市場開放」が唱えられますが、経済学的にみれば、効果はありません。個別分野の開放でその分野からの輸入が仮に増加しても、貯蓄・投資バランスが変らない限り、経常収支の黒字総額は変りません。すなわち、他の分野での輸入が同額だけ減るか、輸出が同額だけ増えるかといった変化が起こって、全体としては黒字は減らないのです。市場開放によってある分野で輸出が増えたからといって、総ての分野で市場開放をすれば貿易黒字が減ると考えるのは、「合成の誤り」の典型といえます。

 最後に、貯蓄・投資バランスがどのような状態になるのかは、短期的にはその国の景気の動向によります。日本のように、不況下の国では経常収支は黒字になるのです。しかし、景気が回復しても、黒字がなくなるわけではありません。景気の変動にともなって増減する部分を「循環的黒字」と呼べば、経済が完全雇用状態になったときになお残る黒字は「趨勢的黒字」といえます。

 不況対策をとれば、結果的に経常収支黒字は減るかも知れませんが、それはオマケでしかなくどうでもよいことです。まして景気がよい状態でさらに景気刺激(内需拡大)などして、経常収支黒字を削る必要性などありはしないのです。

 参考文献としては、東京大学経済学部を定年退官されて、現在青山学院大学国際政経学部で教鞭をとっておられる小宮隆太郎教授や須田美也子教授(学習院大学経済学部)といった方々の著作を挙げておきます。機会があれば、ご一読下さい。自称専門家と本当の経済学者との見解の相違に気づかれることでしょう。

 では。

流木




作者より流木さんへ

00年6月4日


米国の議会関係者や一部の業界の人たちは、「米国は日本との貿易で膨大な損失を被っている」と主張していますが、彼らの主張が正しいといえるためには、日本が小麦で車を作っていることを証明する必要があります(笑)。結局、彼らは赤字とか黒字という字面にダマされて混同しているだけなのです。そして、ありもしない損失を巡って、日米両国民の貴重な税金が使われているのです。

米国の行政府も「米国は日本との貿易で膨大な損失を被っている」という考えが間違っていることを知らないわけはないとわたしは思うのですが、結局、米国は日本に対して経済的に優越した立場を維持するための有利な条件を得るために、ことあるごとに、適当な理屈をつけて、このカードを、ばかな日本政府たいして使用しているのではないでしょうか。

もしかしたら、日本の政府(官僚)も、そのことを知っているのかもしれませんが、日本経済の米国経済への依存度が大きいために、このつまらぬ貿易摩擦のゲームに、いやいや、つきあわされているのかもしれません。米国が日本の自動車を買わなくなったら?と考えると、日本の政府は手も足も出なくなってしまうのでしょう。

黒字減少ではなく、日本経済の米国経済への依存度を減少(日本の自由度を増大)させることをこそ、日本経済の長期的な目標のひとつとすべきではないでしょうか。


おたより、ありがとうございました。