佐倉哲エッセイ集

日本と世界に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。


足立@ミシガンさんより

99年8月30日

日本の国際援助について

足立@ミシガンと申します。 ミシガン州立大学の博士課程にいます。

日本の国際援助について、以前に、佐倉さんのエッセイを読み、一度、ぜひ、佐倉さんと援助について議論したく思っていました。 それから、私は神を信じられずに来たが、宗教にはいつも関心を持っているので、その分野での佐倉さんのエッセイも、ほとんど読みました。 佐倉さんの国際援助論の論旨は、欧米の、キリスト教思想に基づく援助と、日本の、助け合い思想にもとずく援助を対比し、非常に興味深く、佐倉さんの洞察に関心したことを覚えています。

ただ、実を言いますと、私は、かつて商社マンとしてODA(政府が取り扱う国際援助)の実務に携わったことがありまして、その実体験から言いますと、「助け合い」とは名ばかりで、まるでなってない援助の実態というものばかりが目に付き、巷に流布している官製のODA情報が、いかに真実とは程遠いものであるかをいやというほど実感しました。会社を辞めたのも、このような大変な矛盾を含んだODAに嫌気がさしたことが一大要因でした。

もう少し具体的に言いますと日本のODAは、まるで企業、とくに商社の独壇場だったのです。 日本のODA理念では、佐倉さんのおっしゃる通り、助けあい、つまり、日本は、途上国に良いことをしてあげて、それに対して途上国は資源なり、国連での票なりでお返しをする、という絵になっています。 国民は、そういった目的に使うのなら、ということでODA予算の出費を支持していると考えます。

しかし、実態は、「要請主義」(援助を受ける国の要請に従って援助を出す)という美名のもとに、援助の内容決定が途上国まかせになっている点に目をつけた商社が、現地の高官に多額の賄賂を掴ませ、「要請」を自社に都合のよいように自由自在に変えてしまう。援助で喜ぶのは、主に日本商社と現地の収賄役人と、その取り巻き。 本当に困っている人たちにはなかなか援助は届かない、といった具合でした。

ですから、私は、現行のようなODAでしたら、税金のムダですから、どんどん減額してよいのでは、と元納税者として考えています。 なにしろ、一般企業のひとたちが不況でこんなに苦しんでいるわけですから。 ただし、大幅に内容を改善するならば、今のように1兆円をつぎ込む価値は有るかもしれません。

これらの経緯を、私のHOMEPAGEにもしるしましたので、私は、佐倉さんのように思索も深くなく、哲学にも疎いのですが、現実を知っている人間の吐露として、よろしかったら一瞥いただければ幸甚です。

URLは http://www.msu.edu/user/adachita/ で、私の商社における談合、贈賄などの体験記録は

http://www.msu.edu/user/adachita/Odangou/od1.htm に入っています。

細々ながら、今、こういったODAを改善するための、市民運動も開始しました。ひとりで全てやっていますので、実効が出てくるとしても、まだまだ先のことと思いますけれども.それでは、佐倉さんのコメントなども、もしよければ御待ち致しております。 

それでは



作者より足立@ミシガンさんへ

99年9月6日


これは大変な告発です。そして、「やっぱりそうか」という、何とも言えない気持ちにさせられます。

ODAにしても、いま日本で流行のボランティア活動にしても、「人さまのため」という誰も批判できない美しい名目でなされているがゆえに、それらを批判的に見つめる社会の目が著しく欠けており、それらに関する甘い報道を見るたびに、わたしはいつもハラハラしています。

足立さんの蒔いた種がやがて実を結び、ODAに関係しているさまざまな人々に直接影響を与えることができるようになることを期待します。

おたより、ありがとうございました。