このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。
99年5月5日
佐倉さんの御意見を読ませていただき、主権在民・民主主義を尊重する立場として、日の丸・君が代について以下に私の考えをまとめます。
日の丸・君が代に私が反対である理由を簡単に述べると、日の丸はかつて天皇の軍隊のシンボルであった負い目のある恥の旗であり、君が代は現在でも天皇の支配を讃える歌であるからです。
日の丸の旗(日章旗)は、はじめ航海上外国船との区別をつけるために使用されたとのことです。幕末の動乱期においては幕府の軍旗であったりしましたが、明治維新から現在にいたるまで、日本を外国から区別するシンボルとして使用されてきました。確かに外国と日本を区別するシンボル自体は必要な物かもしれません。
天皇のシンボルは菊花紋であり日の丸と直接関係ありませんが、問題になるのは日本のアジア侵略の際に、天皇の軍隊のシンボルとして使用されたことです。旧日本軍は決して人民の軍隊ではありませんでした。
侵略(他国を奪いつくす・殺しつくす・焼きつくす・そして強姦する)のシンボルであった旗を平気で国旗とみとめることのできる神経が私には信じられません。こんな旗を国旗とすることは日本人の低民度性を示すことであり、国際的に恥であると思います。
次に君が代についてですが、君が代の「君」が天皇でないということが公式に発表されたことがあるでしょうか。自民党の西岡は文部大臣の頃、「君が代の君は天皇のことである」という見解を述べました。それを述べた上で新学習指導要領の中で卒業式の君が代を強制したのです。君が代の「君」は未だに天皇であるという意味が強いと思われます。
ありもしないことをさもあるように思うことは迷信ではないでしょうか。部落差別が迷信であるのと同じように天皇が貴いというのも間違いなく迷信です。そんな天皇の支配を讃える歌が民主主義の国の歌として相応しいと思いません。
私は共産党員ではない(その他左翼といわれる団体にも所属していない)ので、自分では自分のことを左翼ではないと思っています。しかしながら、天皇制を廃止することは至極当然のことだと思います。日本国憲法における国家統合の象徴ということ以前に、天皇の存在は迷信の上に成り立っており、民主主義を尊重しようと思う私とその実体はまやかしである天皇とは決して相容れません。
天皇がなぜまやかしなのか。それは、現在では天皇制も数多ある宗教のひとつだからです。天皇が有り難いという全く根拠のないことを信じることは宗教ではないでしょうか。
ただし、人間としての誇りがなく、支配されても平気でいられる人の多いこの国にあっては、天皇制もまだまだ安泰ではないかと思われます。
最後に、私は教員ではありませんが、日教組が現在、日の丸・君が代を認めてしまっていることに憤りを感じます。近い将来、子供を学校に行かせることが不安です。
99年5月11日
(1)「日の丸」は侵略のシンボル?
侵略(他国を奪いつくす・殺しつくす・焼きつくす・そして強姦する)のシンボルであった旗を平気で国旗とみとめることのできる神経が私には信じられません。こんな旗を国旗とすることは日本人の低民度性を示すことであり、国際的に恥であると思います。「日の丸」は侵略のシンボルである、という主張はあきらかに事実認識としては不正確です。「日の丸」は日本という国家そのもののシンボルであって、その国家が侵略をしたことがある、というのがより正確な事実認識だと思います。したがって、「国際的に恥」なのは、国家が侵略をしたという事実であって、たまたま侵略をしたときの国家が採用していた国旗が「日の丸」だったという事実にあるわけではありません。
侵略戦争に国家のシンボルとして使用された国旗は使用すべきでない、という論理に従えば、国が失敗をする度に国旗や国名を変えなければならない、というばからしいことにもなるでしょう。国家には当然、よいところもわるいところもあり、誇らしいところも恥ずかしいところもありますが、それら全部ひっくるめた国家 -- そのような国家のシンボルが国旗です。きれいなだけの国旗などありえません。
したがって、わたしは、「日の丸」を侵略のシンボルと決めつけて、「自分たちは別なんだ」などと新しい旗をたてて批判を免れようとするよりも、よいところもわるいところも全部ひっくるめて過去を引き受けて、まっすぐに批判を受け止めるべきだと思います。どんなに新しい服をきても、中身は同じなのですから、服を着替えるだけで何か国際的に認められようなどと主張しても通じるわけがありません。むしろ「過去を隠そうとしている」「批判をかわそうとしている」と言われるのがおちなのではないでしょうか。
日本の侵略戦争についてのお気持ちには同感ですが、その気持ちを「日の丸」批判に向けることには賛同できません。
(2)「君」の意味
君が代の「君」が天皇でないということが公式に発表されたことがあるでしょうか。「君が代」の「君」は天皇ではない、と言ったわけではなく、「国家の主権者」と意味付けすればよいではないか、という提案です。このことについては、すでに、「作者より荒木さんへ」で詳しく述べました。
(3)天皇制と民主主義
民主主義を尊重しようと思う私とその実体はまやかしである天皇とは決して相容れません。「天皇」の地位は、現憲法によって、「日本国民の総意に基づく」ものとして認められているものです。
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。もし、民主主義と天皇とが相容れないとお考えでしたら、まずなすことは、憲法を改正するか、あるいは、わたしが主張しているように、新しい平和憲法を作るかして、天皇制を廃止すべきです。天皇制を定着させてしまった大きな原因は、天皇制を認める現憲法を神棚に祭り上げてきた護憲運動にあります。わたしは、お上(天皇やアメリカ軍や官僚)から頂戴した憲法を有り難がっているかぎり、日本は民主主義国家とはいえないと考えます。わたしたち民衆が、わたしたち自身の汗をながしてつくりあげる憲法でなければ、わたしたち民衆はまだ本当の主権者とは言えないからです。(日本国憲法 第一条)
(4)世界の国歌
ところで、「国際的な恥」をかかないように、現代の民主義国家を代表するイギリスの国歌を知っておくのもわるくないでしょう。
神よ、われらの恵み深い(女)王を救いたまえ われらの気高き(女)王、万歳 神よ、われらの(女)王を救いたまえ (女)王を勝ち誇らせ、幸せにし、輝かしくあらしめたまえ われらの上に長く君臨させたまえ 神よ、われらの(女)王を救いたまえ世界の国歌というものはだいたいこんなものです。世界の国歌をながめていると、もしかしたら、あの、まのぬけた、のんびりした「君が代」は、平和国家を代表するにけっこうふさわしい歌なのではないだろうか、などとも思われてきます。おお、主なる神よ、立ち上りて われらの敵を蹴散らし 彼らを陥落させたまえ 悪らつなごまかしをあばき 彼らの政策を混乱させたまえ あなたにこそわれらの希望を託します 神よ、われらの(女)王を救いたまえ ・・・
(5)最後に
わたしはとくべつに「日の丸」や「君が代」に執着があるわけではありませんが、これまで長い間「日の丸」や「君が代」を悪魔化してきた左翼イデオロギーの束縛から解放されて、もっと自由にもっと創造的に国旗や国歌について日本人が語り合えるようになればよいと願っています。
おたより、ありがとうございました。