(このお便りは(1)(2)からの続きです)

佐倉さん、こんばんは。takapです。

無我論への感想の続きです。


(1)心霊主義と初期仏教は矛盾しない

いろいろな理由があって(仏教とは何の関係もない)心霊主義なるものを信じられるようになられたのだろうと思いますが、それでも、自己を向上させるとか、自己を訓練する、というようなことが人にとって意味を持つためには、必ずしも、「心霊」や「霊」というような存在を想定する必要はないことさえ了解されれば、わたしの理解する無我説がそれなりに一貫した説であることが理解していただけるのではないかと思います。
しかし、初期経典では明らかに転生輪廻に言及し、そのなかで人の為すべきこと為すべきでないことが説かれています。
「イティヴッタカ」

三二 他の世の状態
比丘たち、二つのことをそなえている人は、荷物のように運ばれて地獄へやられる。二つのことをそなえるとはいかなることか。悪い習慣と、悪い見解とをそなえることである。比丘たち、実にこの二つのことをそなえている人は、荷物のように運ばれて地獄へやられる。

三三 他の世の状態
比丘たち、二つのことをそなえている人は、荷物のように運ばれて天上界へやられる。二つのことをそなえるとはいかなることか。善い習慣と、善い見解とをそなえることである。比丘たち、実にこの二つのことをそなえている人は、荷物のように運ばれて天上界へやられる。

一五 欲
比丘たち、人々がそれによって心が拘束され、長い間迷いの生を重ね、馳せ廻り流転する由縁である心の束縛として、比丘たち、貪りの心という束縛のような束縛を、私は他に一つも見ない。比丘たち、実に貪りの心という束縛によって、人々は心が拘束され、長い間迷いの生を重ね、馳せ廻り流転する

(「ブッダの詩