このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。
00年5月25日
質問なのですが,三天使長の役割をご存知でしたら教えてください。
知恵の天使長がルーシェールで,ミカエル,ガブリエルは情の天使だとか,意の天使 だとか聞いた事があるのですが・・・。
聖書のどこかに書いてありますか?
00年6月3日
聖書のどこにもそんなことは書いてありません。「三天使長」というのも存在しません。「ルーシェール」(ルシファー)などという天使も聖書にはでてきません。
「作者よりUchidaさんへ(97年11月18日更新)」でも、この問題を取り上げましたが、その部分を以下に転写しておきます。
「ルシファー」にしても「ルーシェル」にしても、それは Lucifer というラテン語の音訳にすぎないので、どちらでもいいのですが、どちらにしても、Lucifer などという名前の天使は、聖書には(旧約聖書にも新約聖書にも)まったく登場しません。
わたしの理解によれば、「ルシファー」という言葉が、キリスト教の歴史に始めて登場するのは、西暦五世紀になってからです。つまり、ヒエロニムスが聖書をラテン語訳(The Vulgate)したとき、彼は、イザヤ書の14章12節にでてくる「輝く者(明けの明星)」を意味するヘブライ語「ヘレル(helel)」の訳として、ラテン語 Lucifer を使用したときです。
イザヤ書の14章12節における、
明けの明星、曙の子よ。
という表現における、この「輝くもの、明けの明星」を意味する「ヘレル(helel)」というヘブライ語も、また「曙=夜明け」を意味する「シャハル(shahar)」というヘブライ語も、古代カナンの神話の中に登場する神々の名前であることが知られています。したがって、上記のイザヤ書の表現は、直訳的には「シャハル神の子、ヘレル神よ」という意味でもあります。もちろん、イザヤ書の著者がそのような神々を信じていたわけはないですから、そういう古代の神話をモチーフにして、実は、バビロニア王国の衰退を嘲る歌を歌ったものです。
主(ヤーヴェ)が、あなたに負わせられた苦痛と悩みと厳しい労役から、あなたを解き放たれる日がくる。そのとき、あなたはバビロン王に対して、この嘲りの歌をうたう。と始まる14章の全体をよめば明らかにように、「明けの明星、曙の子よ」(12節)と呼ばれている者は、天使などではなく、バビロニア王(あるいはその王国)を指しています。そのことがより明らかになるのは、「捕らわれ人を解き放さず、故郷に帰らせなかった者」(17節)という表現にあります。これは、明らかに、イスラエル人をバビロニアに幽囚したバビロニアの王(ネブカドネザル王、あるいは彼に代表される王国)を指しています。そして、「天から落ちた」とか「地に投げ落とされた」という表現によって、栄光から没落してゆく、イスラエルの敵バビロニア王国の運命を嘲っているのです。無敵を誇ったバビロニアは、よく知られているように、西暦前539年に、キュロス王の率いるペルシャに滅ぼされ、ユダヤ人たちは解放されます。
ところが、この「天から落ちた」とか「地に投げ落とされた」などという部分的表現が、サタンに言及する新約聖書のいくつかの表現に非常によく似ているために、ある誤解が生じます。たとえば、ルカの福音書10章18節の「わたしはサタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」という表現や、ヨハネの黙示録九章1節の「一つの星が天から地上へ落ちてくるのが見えた」という表現や、おなじくヨハネの黙示録12章7節の「この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれる者、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされた」というような表現と似ているために、イザヤ書の「輝くもの=明けの明星」(へブライ語=helel、ラテン語訳=Lucifer)を堕天使、すなわちサタンと同一視するあやまった解釈が、ラテン語訳聖書を読んでいた中世のクリスチャンの一部の間で起こったのです。
「ルーシェール」(ルシファー)は、五世紀以降にラテン語訳聖書の誤読から生まれた、架空の(聖書に登場しない)天使です。
おたより、ありがとうございました。