果たして仏教は、人間には永遠に生き続ける「魂」のようなものがあると教えたのでしょうか。仏教にとって「神」とは何なのでしょうか。仏教は神への信仰を説いたのでしょうか。本シリーズは、そのようなことなどについての、Nさんのお便りとわたしの応答です。Nさんは、仏教は「唯物論ではない」と主張され、永遠に存続する魂や神々の存在を仏教は説いたと主張されます。わたしは、仏教の「無我」の思想はそういう「永遠に存続する魂」を否定するものであり、仏教は人間の認識のとどかない形而上学的領域(神々の世界や、死後の世界など)に関する断定を知識として認めず、有神論を批判したと主張します。


さんより

97年9月20日

仏教は唯物論ではない

まず、無我は仏教では唯物論として説かれた、と佐倉さんが主張されている点ですが、私は、何の根拠もなく希望的に言っているのではないのです。まず、第一に私がひとつひとつその根拠を挙げ、ひとつひとつ考えの異なる点を指摘するという方法をとっていないのが佐倉さんにとってがまんのならないところでもあるのではないかと思います。 「ただのひと」さんも言われている、真理の純粋経験が私の基本にあるものなの です。

どうしても仏教は唯物論だと断定されているようなので、これだけは本質的な問題なので詳しくいきたいと思います。できれば私は「仏教とキリスト教、無と空と縁起と悟り」において、仏教とキリスト教の総論を提示した時点で、四諦八正道、心の五毒についてむしろ取り上げてほしかったのです。あえて、唯物論など話したくないのです。しかし、納得がいかないのならば説明申し上げるしかありません。佐倉さんが例として根拠にあげておられる内容についてお答えします。

まずアートマンとはなにかという定義についてです。当時のインド、バラモン教におけるアートマンというのは佐倉さんの言われる狭い意味のアートマンではないのです。佐倉さんが「アートマン」とは、

インドの正統的宗教であるバラモン教(後のヒンズー教)の教義にでてくる、きわめて重要な概念で、人間の個体に内在していると信じられている、肉体の崩壊後も生き残る人間の不変の本質のようなものです。
と引用されていますが、バラモン教ではその転生輪廻として動植物やあらゆる生きとし生けるものすべてに転生輪廻するという思想があります。つまり、その本質を人間とは限っていないのです。そして、本質のことのみならず、存在自体をも意味したのです。
われ(アートマン)というものはない。
また、わがものというものもない。
すでにわれなしと知らば、
何によってか、わがものがあろうか。

(相応部経典22.55 増谷文雄訳)

と引用されたものをあらためて解釈してみましょう。文章の一部分のみを解釈して答えを引き出すのは良くありません。「不変の本質」と「存在自体」をこの文面の「アートマン」、「われ」という部分と入れ替えてみましょう。
「不変の本質」と「存在自体」というものはない。また、「不変の本質」と「存在自体」の所有物というものもない。すでに「不変の本質」と「存在自体」なしと知らば、何によってか、「不変の本質」と「存在自体」の所有物があろうか。
以上の意味というのは、不変で変転しない本質、存在というのはないのだ、ましてや、そんな固定された不自由なものに所有されているものなどあるはずがない、不変であり続けるものなどないと知るなら、何の根拠があってそれに縛られることがあるのか。という意味であると理解できます。

そして、この説法は現代の日本の人に説かれた教えではなく、あくまで当時のインドの人々に説かれたものなのです。それを忘れてこの話はできません。死んで生まれ変わってどうなるかわからない転生輪廻などいらない。そんなことより真実の自分に目覚めなさい。目先のことに心を捕らわれてはならない。ということのみを伝えたかったことが分かります。これは現代の日本人ではストレートに理解できません。

そして「知の領域」の思想として引用されている内容について述べます。これは「無記の教え」の一例として広く伝わっている教えのことです。

マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないいう考え方があろうと、まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである…。
以上のように引用されています。要点はこの文章全体にあります。佐倉さんはこのうちの一部のみを取り上げて、説かない内容は空想にしかすぎないとブッダが語ったように言われます。これは正確ではありません。空想としているとは限りません。全体を要約すると以下のようになります。
「人間が死後存在してもしなくても、現に生老病死、悲嘆苦憂悩はある。死後存在するかしないかを思い煩う前に、その生老病死、悲嘆苦憂悩を征服することが最優先である。」
つまり、人間の”その時点での”知の及ばない領域についてはその人に語る必要がないということです。その人にはその人が今征服すべき問題がある。それ以外は後回しにしなさい。ということなのです。この文章の中でブッダは死後の存在について説いていません。これは説けないと言っているのとは本質的に違うのです。説かなかったのです。

「毒矢のたとえ」のさらに全体像は、毒矢が刺さって死にそうな人が、矢を抜いて治療しようとしている人に対して、誰がどういう毒を塗って矢を放ったのかその説明を聞かないと治療しては困ると言った。それに対して、今必要なのは治療するのが先だ、矢にこだわるのは後回しだと言ったという話です。

このたとえだけでもこの相手にだけ説かなかったのであって、説けなかったのではないのがわかります。

さらに他の根拠について述べます。

1、梵天勧請では悟りに至ったブッダにインドの神々が教えを嘆願。
2、「第一説法」の内容は苦集滅道の四諦八正道であった。
3、10の軍隊、大目蓮ら十大弟子、涅槃の時の言葉

1、について、無霊魂説をとったのであればどうして梵天勧請がありうるのでしょうか。この説明ができません。最初の悟りを得るときの登場する神々や悪魔の存在はどうなるのでしょうか。また天上天下唯我独尊と言ったブッダはすべての神々を指導すべき立場にあると言いました。何を神々と言ったのでしょうか。

2、以下に内容を述べます。

修行においては、中道・・・極端を離れる、両極端を否定する、そういう中道的な態度が大事だ。そして、その思想の内容としては、苦・集・滅・道の四諦である。人生の苦、迷いの生存、迷った人生、間違った人生観に基づくこの世の苦しみということを、まず見抜かなければいけない。そしてその原因を知らなければいけない。さらに、「それを滅しよう、消し去ろう。そして幸福になろう」と願わなければいけない。そのために八正道があるのだ。8つの目標、目印があるのだ。そういう方法があるのだ。これを毎日行じていくことだ。さすれば、その道は自分を調える道であろう。すなわち、八正道はまた中道でもあろう。中道のなかに入って自己を発展させていく道であろう。それが八正道であろう。
このように、仏教自体が苦・集・滅・道であり、佐倉さんの言われる苦のみの唯物論ではないことは明らかです。もし、唯物論であったら論理的に苦・集・滅・道になりません。苦のままです。征服できません。

3、これ以下、いくらでもその根拠を出すことはできます。引用されている中村元さんの訳書でも十分すぎるほど紹介されています。引用するのは結構ですがその時代や事情を無視して決めつけないで下さい。引用する場合、全体の意味がわかるように引用すべきです。

また、信仰心を理解できないのに、どうやって信仰自体を語ることができるのか 不思議に感じます。

私は理想をもって偉人は仕事をしたのだと言ったのです。同じ個性で同じことをしたとは思っていません。また、そうすべきだとも思っていません。普遍的なものがその中に流れているのではないかと言ったのです。私はそれを信じているのです。素晴らしいものを素晴らしいと言いたいと言っているのです。順番が逆なのです。偉人に私の考えを着せたいのではないのです。なんのために説かれたかという話をしているのです。方法論はそれぞれ違うのです。その偉人の考えを学びたいのです。


作者よりさんへ

97年9月28日


わたしも、仏教は果たして「永遠の魂」を主張したのか、それとも、そのような主張を否定したのか、という問題は、仏教を理解するにおいて本質的な問題だと考えており、この問題に関してNさんにご意見を述べていただいて本当に感謝しています。今回も引き続いて、なぜわたしは、仏教は「永遠の魂」という考え方を否定したと考えているか、わたしの根拠の捕捉をしたいと思います。また、巷ではあまり語られることのない、仏教による有神論批判についても少し述べてみたいと思います。


(1)アートマン否定の歴史的背景

仏教が否定した「アートマン atman」という言葉のもともとの意味(語意)は、「自分自身」"Self"、という意味で、漢訳ではしばしば「我」と訳されていますが、それが特別の宗教的意味を持つようになったのは、よく知られているように、インドの伝統的宗教であるバラモン教(後のヒンズー教)の思想によります。それは、生きている間は通常、人間の肉体の内側にあって活動しており、それは人間の肉体が亡びても亡びることなく、人間の死に際して、その肉体から離れて、他の肉体に宿ったり(転生)、宇宙の根本神(ブラフマン=梵天)と合一したりして、永遠に生き続ける「真の自己」である、というものです。このようなアートマンの考え方が明確になるのは、いわゆる「初期ウパニシャッド」の時代で、その頃の代表的バラモン教の哲学書である『チャンドガヤ・ウパニシャッド』や、前回紹介した、夢の中で活動する自己をアートマンと同一視した『ブリハッド・アーラヤヌカ・ウパニシャッド』などが完成した西暦前7〜6世紀の頃であったと言われています。

前5世紀になると、インドにはいろいろな自由思想家が登場し、このインドの正統的宗教の権威に挑戦しますが、その一人が「ブッダ=目覚めた人」という名で一般に知られている、ゴータマ族出身のシッダータです。彼の思想を中心に始まった宗教が仏教ですが、仏教の思想を特徴づける考え方の一つが、日本でもよく知られている、「無我」、つまり「アンアートマンanatman」の思想です。「アンアートマン anatman」という言葉は、「アートマン atman」に、英語の "non-" あるいは "un-" に相当する否定語の「アン an-」をくっつけてできた合成語("non-self", "un-self")です。つまり、ブッダはバラモン教の中心的教えである、アートマンの思想を真っ向から否定したわけです。ブッダの死後、仏教は複雑多岐に分裂発展し、さまざまな宗派が生まれ、また消えていきましたが、ブッダが「無我」を説いたという事実は否定されることがありませんでした。

「アートマン(我)」がすでに主張されていたからこそ、その主張の否定(無我)を主張する思想が歴史に登場したわけで、その歴史的背景を考えれば、仏教の無我の思想は、ウパニシャッドのアートマンの思想 --- つまり、人間には肉体が亡びても、それとは独立した内的自己があって、それこそが真の自己(真我)であり、死んでいく肉体から離れて永遠に生き続けるのだ --- そういう考え方を否定したことがわかります。だからこそ、その後のインド思想の歴史にもはっきりしているように、ウパニシャッドの伝統を引き継ぐ思想家と仏教徒の間で、アートマンの存在に関してさまざまな論争が繰り広げられることになります。


(2)どのようにアートマンが否定されたか

或るものが「ない」ことを確かめるには、あらゆるところを探し回って、「どこにもない」とわかったときに、それが「ない」ことがわかります。たとえば、ある本屋さんで一冊の本を探していたとします。その本屋さんにあるすべての本を一冊づつ調べて、もし、探している本がそのどれでもないとわかったとき、探している本がその本屋さんに「ない」ことがわかります。アートマンに関する仏典を読みますと、これとまったく同じ方法で、アートマンが否定されています。すなわち、人間存在を分析し、その人間のどこを調べても、人間存在にアートマンは見いだせない、と主張するのです。

仏教は、人間存在を、「色(肉身)・受(感覚)・想(思い)・行(意志・感情の流れ)・識(意識)」の五つの構成要素(五蘊)に分析します。そして、そのひとつひとつをとって、どれも、アートマンの性質(永存性)をもっていないから、人間存在にはどこにもアートマンと呼ぶべきものはない、と主張するのです。

比丘よ、またここに、一人のひとがあるとするがよい。彼は、すでに覚者を見、覚者の法を知り、覚者の法に順い、あるいはまた、すでに善知識を見、善知識の法を知り、善知識の法に順い、したがって、彼は、色(肉身)は我(アートマン)であるとも、我は色を有すとも、我が中に色有りとも、色の中に我有りとも、見ることはない…。一切は因縁の結ぶがままに有り、一切は因縁の結ぶがままに壊するものであることを、ありのままに知ることができるのである。かくのごとくにして、彼においては、色・受・想・行・識、すべて壊するものであるがゆえに、彼は、
われ(アートマン)というものはない。
また、わがものというものもない。
すでにわれなしと知らば、
何によってか、わがものがあろうか。
と知ることができるのである。

(相応部経典22.55 増谷文雄訳)

つまり、人間を構成している物質的部分(色)と心的部分(受・想・行・識)の、どれをとっても「すべて壊するものである」(永存性に欠けている)ことがわかるので、人間存在のどこにも、永存する「アートマン」なるものは見いだせない、というわけです。

確かに、人間存在を「ありのままに」見るかぎり、どこにも、「アートマン(永遠の魂)」なるものを見付けだすことはできません。ここにブッダの方法論が如実に現れていると思われます。アートマンを認めようとすれば、それが、ありのままの人間存在の「内部」や「背後」や「根底」などに、人間の認識から隠れて存在しているものとして想定されねばなりません。しかるに、あきらかに、ここでブッダは人間の認識の届かない領域に関する断定を知識として認めていません。「アートマン(永遠の魂)」のような人間の認識外の領域に関する断定は、知識ではないのだから、人間の抱える問題を具体的に解決するためには何の役にも立ちません。だから、「人間は死後(魂として)生き続けるのかどうか」などというような問いに対しては、ブッダは、「人間の苦を解決するには何の役にも立たない」として、「わたしが説かないことは説かないと了解せよ」と、解答を拒否するわけです。

さらにまた、ブッダは、アートマンの概念は知識ではなく、むしろ、「自己に対する執着が生んだもの "tanhavicaritani ajjhattikassa upadaya"」であり、自分が永遠に生きたいという執着が「永遠の魂」という観念を生み出したのである、と指摘しています(『アングッターラ・ニカーヤ』、p212、PTS)。アートマンの思想は、そのような執着のために、「一切は因縁の結ぶがままに有り、一切は因縁の結ぶがままに壊するものであることを、ありのままに知」ろうとせず、永遠に存在する自分を妄想している、というわけです。

このように、ブッダは、「アートマン(永遠の魂)」を説きませんでした。「永遠の魂」を信じる、などというようなことはブッダが説いたということは、とても考えられません。


(3)仏教の無神論

バラモン教・ヒンズー教の伝統の影響で、インドの思想においては、神々への信仰は大変重要な意味を持っています。しかし、他の文明と同じように、神々を信じる人々がいれば、信じない人々がいるように、インドにおいても、無神論の立場を取る思想があらわれます。そのなかに仏教があります。

初期仏教以来、仏教が無神論の立場を取り、有神論批判をおこなってきたのは、ひとえに釈尊が形而上学的問題に対してはすべて解答を与えずに黙秘したという、いわゆる捨置記(avyakrta)にもとづいている……。 仏教と同様にジャイナ教も無神論であるが、チャールヴァーカ(唯物論)をはじめインド諸哲学派のうちでも、初期のヴァイシェーシカ学派、ミーマーンサー学派、無神論的サーンキャ学派などはいずれも無神論であって、それぞれの思想的特色を有する。それらのうちでも、徹底した無神論を主張したのは、仏教と唯物論とであった。(宮坂宥勝「有神論批判」『講座:大乗仏典9 認識論と論理学』春秋社)
といわれるように、インド思想史においては、仏教は「徹底した無神論を主張した」ことで知られています。

仏教が無神論を主張したのは、すでに見たように、仏教が人間の認識の届かない領域に関する断定を知識として認めなかったことから、論理的必然と言えるでしょう。ブッダは神々への信仰や依存を説きませんでした。

ブンナカさんがたずねた。「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王族やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのか? 先生! あなたにおたずねします。それをわたしに説いて下さい。」

師(ブッダ)は答えた。「ブンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」

ブンナカさんが言った。「先生! およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に犠牲を捧げましたが、祭祀の道において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか? わが親愛なる友よ。あなたにおたずねします。それをわたしに説いて下さい。」

師(ブッダ)は答えた。「ブンナカよ。かれらは希望し、称賛し、熱望して、献供する。利益を得ることによって、欲望を達成しようと望んでいるのである。供儀に専念している者どもは、この世の生存を貪ってやまない。かれらは生と老衰をのり超えていない、とわたしは説く。」

(スッタ・ニパータ1043-1046、中村元訳)

どんなに一生懸命神々にお願いしても人は(生老死などの)非苦から解放されることはない、というわけです。また、神々に依存することは仏教の目的(涅槃)を達成するためにはむしろ有害である、とさえ説かれました。

あるとき世尊はコーサンビーのガンガー河のほとりに滞在しておられた。世尊は、おおきな丸太がガンガー河の流れによって運ばれているのをごらんになった。ごらんになって、比丘たちに呼びかけられた。「比丘たちよ、おまえたちにはあの大きな丸太が、ガンガー河の流れによって運ばれていくのを見なかったか。」「師よ、見ました。」

「比丘たちよ、もし丸太がこちらの岸に流れ着かず、向こう岸にも流れ着かず、中州で沈みもせず、中州に打ち上げられもせず、人によっても持ち去られず、人によらないものによっても持ち去られず、渦に巻かれることもなく、内部から腐敗していくこともないようであれば、比丘たちよ、あの丸太は海に向かい、海に流れ込み、海に入ってしまうであろう……。それと同じように、もしおまえたちも、こちらの岸に流れ着かず、向こう岸にも流れ着かず、中州で沈みもせず、中州に打ち上げられもせず、人によっても持ち去られず、(鬼神などの)人でないものによっても持ち去られず、渦に巻かれることもなく、内部から腐敗していくこともないようであれば、比丘たちよ、このようにしておまえたちも涅槃に向かい、涅槃に流れ込み、涅槃に入っていくことになるであろう……。」

「比丘よ、中州に沈むというのは、悦楽と欲望とを例えて言うのである。比丘よ、中州に打ち上げられるというのは自我(アートマン)ありと誇ることに例えて言うのである。比丘よ、人に取り去られるというのは[社会的な習俗・義務に心を奪われてしまうこと]をたとえていうのである。比丘よ、(鬼神などの)人でないものに取り去られるというのは、どういうことなのか。比丘よ、一群の神々に祈誓をかけて、純潔な生活を送り、自分はこれこれの戒により、修行により、苦行により、純潔行によって、神となりたい、あるいは神々のひとりとなりたい、と願う。比丘よ、このことが人でないものによって取り去られるということなのである……。」

(相応部35.200、『バラモン教典・原始仏典』、長尾雅人編)

このように、仏教においては、神々に依存し神々に執着することは仏教の修行を妨げるもの、として説かれました。だからブッダは「信仰を捨てよ」と説いたのです。
ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。 (スッタニパータ1146 中村元訳)
原始仏典研究の中村元氏も、仏教はもともと信仰なるものを説かなかった、と語られています。
「信仰を捨て去れ」という表現は、パーリ仏典のうちにしばしば散見する。釈尊がさとりを開いたあとで梵天が説法を勧めるが、そのときに釈尊が梵天に向かって説いた詩のうちに「不死の門は開かれた」と言って、「信仰を捨てよ」(pamuncantu saddham)という(Vinaya, Mahavagga, I, 5, 12)。この同じ文句は、成道後の経過を述べるところに出てくる(DN, XIV, 3 ,7)……。最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。 (中村元『ブッダのことば』p.430-431)
このように、仏教は、少なくともその初期には、「永遠の魂」の存在も、「神々への信仰」も否定しました。後代になって、仏教が(仏や菩薩などに対する)信仰を取り入れたのは、インドの土着信仰であるバラモン教の教えが、仏教内に浸透したからでしょう。
[後代の仏教の特質は]仏教文化が非バラモン主義を本質としながら、実際上バラモン文化のうちに引き入れられたことを示している。ブッダ自身が完全な神として礼拝の対象になったことも、バラモン主義の神観を取り入れたことに他ならない。 (佐藤圭四郎『世界の歴史6:古代インド』p.163)
仏教はもともと、永遠の魂を信ずることによって安心を得ようとしたり、神々の神秘的な力に預かって何らかの宗教的目的を達成しようとしたりするようなものではなかったと思われます。


(4)仏典の中の神々

ところで、仏典の中には沢山の神々が登場します。しかし、神々の登場する仏典を読んでみると、それが信仰の対象としての神々ではないことが、すぐわかります。それらはむしろ、たとえば演劇などのなかに登場する「通行人1」とか「通行人2」のような、単なる脇役としての登場人物でしかありません。だから、仏典の物語に出てくる神々をすべて、「脇役1」「脇役2」など書き換えても、それらの物語を通して仏教が主張している内容は何も変わりません。これは、神(々)を信仰の対象とし、宗教目的を達成するにはなくてはならない実在とする他の宗教(バラモン教・ヒンズー教やユダヤ教・キリスト教など)の聖典では不可能なことです。次の二つのお経を比較してみましょう。先ず最初は、『サンユッタ・ニカーヤ』の「神々についての集成」から。

わたくしはこのように聞いた。あるとき尊師(ブッダ)は、サーヴァッティー市で、ジェータ林の園にとどまっておられた。(中略)傍らに立って、かの神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。
子ある者は子について喜び、また牛のある者は牛についてよろこぶ。
人間の喜びは、執着する依りどころによって起こる。
執着する依りどころのない人は、実に、喜ぶことがない。
(尊師いわく、)
子ある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。
人間の憂いは、執着する依りどころによって起こる。
執着する依りどころのない人は、憂うることがない。
(『神々との対話』「歓喜の園」、中村元訳、p22-23)


次は、同じく『サンユッタ・ニカーヤ』の「悪魔についての集成」から。

わたくしはこのように聞いた。あるとき尊師(ブッダ)は、サーヴァッティー市で、ジェータ林の園にとどまっておられた。そのとき、悪魔・悪しき者は尊師に近づいた。近づいてから、尊師のもとで、この詩句を唱えた。
子ある者は子について喜び、また牛のある者は牛についてよろこぶ。
人間の喜びは、執着する依りどころによって起こる。
執着する依りどころのない人は、実に、喜ぶことがない。
(尊師いわく、)
子ある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。
人間の憂いは、執着する依りどころによって起こる。
執着する依りどころのない人は、憂うることがない。
そこで、悪魔・悪しき者は、「尊師はわたしのことを知っておられるのだ。幸せな方はわたしのことを知っておられるのだ」と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。

(『悪魔との対話』「歓喜」、中村元訳、p22-23)

まったく同じブッダの教えが、一方では神と対話するもとのして、他方では悪魔と対話するものとして、書かれています。これは、どういうことかと言うと、もともとブッダの教えとして伝えられていたのは、詩句の部分だけで、それを一つの物語(お経)の中で言い伝えるためには、ブッダに語りかける登場人物を必要としたために、ある伝承ではそれを「悪魔」にし、他の伝承では「神」にしたのです。ようするに、ここで登場して、ブッダに最初の詩句をとなえかけるのは、神であっても悪魔であっても、どちらでもいいわけです。なぜなら、神や悪魔の登場は、ブッダの教えを伝えるための、いわば文学的形式(フレーム・ワーク)の一つにすぎないからです。(とくに、「菩薩」や「摩訶薩」を大量生産した大乗仏典になると、その創作性はさらに明らかになります。)

つまり、仏典に収められているさまざまな「お経」は、ブッダの教えを伝えるための文学(物語)なのです。したがって、「ウサギとカメの物語」を読んで、「西暦何年にこのウサギとカメとが競争したのか」、などと問うことがナンセンスなように、神々が登場する仏典を読んで、「だから、仏教は神の存在を信じていた」と結論をだすことはできません。

実際、仏典の中でも、もっとも古い層の属する『スッタニパータ』の第四章と第五章を見れば明らかなように、古い経典のなかでは、ブッダの対話の相手はみんな具体的な個人です。ティッサ・メッテイヤ、パスーラ、マーガンディヤ、サーリプッタ、バーヴァリ、アジタ、ブンナカ、メッタグー、ドータカ、ウパシーヴァ、ナンダ、ヘーマカ、トーデイヤ、カッパ、ジャトウカンニン、バドラーヴダ、ウダヤ、ポーサーラ、モーガラージャ、ピンギヤなど、みんな、ブッダを尋ねてきて、ブッダと言葉を交わし、ブッダの考えに惹かれ、ブッダの弟子となった具体的な人間の物語です。後代の神々の登場する物語は、それらの古い経典の問答形式をモデルとして、ブッダの教えを物語として語り伝えたと考えられます。

しかし、仏典に出てくるさまざまな神々の存在を、多くの人がそのまま素朴に信じていたのも事実でしょう。そして、仏教はそのような素朴な迷信は無視していたと思われます。それは、たとえば、日本でも、つい最近まで、河童や天狗の存在を素朴に信じていた人がいたのと同じであって、そのような素朴な迷信は無害であると判断されたからでしょう。仏教の無神論とは、むしろ、人々が神々を信仰の対象としてそれらに依存するようになることに対する批判です。したがって、仏典においては、神々の出てくる物語には、それらの神々が信仰の対象にならないように、特別の仕掛けがしてあるのです。それが仏典に出てくる神々の最大の特徴です。つまり、それらの神々は、バラモン教やキリスト教の神々と違って、まさに、日本の河童や天狗のように、信じていてもいなくても、人々の生活には特別に関係のない存在として登場しています。


(5)仏教の積極的有神論批判

仏教は「本来、黙秘すべき形而上学的問題は経験的認識の埒外におかれるべきものであるが、たとえば当面の神の存在については、積極的に否認する態度に転じた」(宮坂宥勝、同上)と言われるように、とくに、大乗仏教(中観派や論理学派)は積極的に有神論を批判しました。

中観派の論者(アーリャ・デーヴァ、ピンガラ、チャンドラ・キールティ、バーヴァヴィヴェーカ、シャーンティ・デーヴァ、など)による有神論批判の論拠は、基本的にナーガールジュナの縁起論にあります。縁起(プラティーチャ・サムットパーダ「依って起こる」の意)論とは、すべてはさまざまな原因や条件に依存して存在している、という主張ですが、中観派の論者は、神の存在を認めることは、原因や条件なしに存在する存在を認めるという誤りが起こる、という批判を展開しました。

仏教論理学派の論者(ダルマ・キールティ、シャーンタラクシタ、カマラシーラ、ジュナーナシュリミトラ、ラトナキールティ、など)による有神論批判は、ヒンズー教の論理学派(ニヤーヤ学派)の神の存在の証明に対する反論という形であらわれます。たとえば、ダルマ・キールティはその『量釈論』において、神のように、永遠なる覚知を有する存在は、人間に経験上認識できないものであるから、「比喩において成立しないか、または[証因が]疑わしい」、それゆえ、ニヤーヤ学派の神存在証明は成立しない、という批判を展開しました。

このように有神論を積極的に批判する仏教の論者が数多く現れました。また、逆に、このような論争の中で、有神論を証明したり保護したりする論者は仏教側からはあらわれません。このことは、「仏教は神への信仰を教えるものである」という主張がきわめて疑わしいことを示しています。なお、仏教の有神論批判の研究は日本でも数多くなされています。つぎのようなものが参考になると思います。

山口益『山口益仏教学文集』下巻、春秋社
宮坂宥勝『インド古典論』上巻、筑摩書房
平川彰・梶山雄一・高崎直道編集『講座・大乗仏教9 認識論と論理学』春秋社


結論

仏教は唯物論ではありませんが、唯物論と同様に、「永遠の魂」の存在や「神」への信仰は否定しました。その否定の根拠として仏教はつぎのような理由をあげています。すなわち、人間の認識の届かない領域に関する断定は知識と認められないこと、また、そのような断定は知識ではないので、人間を非苦から解放するという宗教的目的(涅槃・解脱)に役立たないこと、そして、すべては縁起によって生成変滅しているという経験的事実(無常)にそぐわないことなどです。スリランカの仏教哲学者グナパラ・ダルマシュリ氏は、最近の著で「もし、永遠の魂や神の存在が証明されれば、仏教思想は根本的に誤っていることが証明されることになる(Gunapala Dharmasiri, "A Buddhist Critique of the Chrstian Concept of God", Lake House Investments Ltd., p211)」と言われ、ブッダの思想と「永遠の魂」や「神」の概念とは根本的に相容れないものであることを明確にされています。わたしもその通りだと思います。

おたより、ありがとうございました。