聖書の間違い

モーセは奴隷解放者ではない

--- 奴隷が神の祝福となるとき ---

佐倉 哲


旧約聖書のなかでもっとも有名な物語はモーセがエジプトで奴隷となっていたイスラエルの民を解放し新天地カナンへと導き出した物語です。これは映画『十戒』などによって世界中でよく知られている物語となりました。そこでは、モーセは奴隷となって苦しむイスラエル人を救済する奴隷解放者として現われます。はたして本当にモーセは奴隷解放者だったのでしょうか。



イスラエル人自身が奴隷を持つことは神の恵みであった

モーセの物語はエジプトの奴隷となったイスラエル人の解放の物語であるけれど、実は、イスラエル人自身が私有財産として所有する奴隷に関しては、イスラエルの神もイスラエルの指導者も解放する意思を持っていません。逆に、イスラエル人が多くの奴隷を持つことは、他の財産と同じく、神のイスラエル人に対する恵みとされます。アブラハムも、イサクも、ヤコブも、皆、数多くの奴隷を所有しており、私有財産として売買していたのです。

創世記17:26
アブラハムの家の男子は、家で生まれた奴隷も外国人から買った奴隷も皆、共に割礼を受けた。

創世記24:35
ヤーヴェが私の主人 [アブラハム] をたいそう祝福され、羊や牛の群れ、金銀、男女の奴隷、らくだやろばなどをお与えになったので、主人は裕福になりました。

創世記26:12b-14
イサクがヤーヴェの祝福を受けて、豊かになり、ますます富栄えて、多くの羊や牛の群れ、それに多くの召使を持つようになると、ペリシテ人はイサクを妬むようになった。

創世記32:5b-6
わたし [ヤコブ] はラバンのもとに滞在し今日に至りましたが、牛、ろば、羊、男女の奴隷を所有するようになりました。


聖書の英雄ヨセフがエジプトの奴隷制度を推進した

聖書の記録によると、そもそもエジプトに奴隷制が成立したのは神のしもべであるイスラエル人ヨセフの政策によるところが大きのです。ヨセフはその才能をファラオに認められてエジプトの宰相になるのですが、宰相としての功績の一つが奴隷制を推進したことであることを、聖書は誇らしげに記録しています。

創世記47:20-21
ヨセフは、エジプト中のすべての農地をファラオのために買い上げた。飢饉が激しくなったので、エジプト人は皆自分の畑を売ったからである。土地はこうしてファラオのものとなった。また民については、エジプト領の端から端まで、ヨセフが彼らを奴隷にした。


奴隷を殺すのは罪か

さらに、モーセがシナイ山で、神からの戒律を授かったとき、神は、奴隷を殺す罪について次のように教えます。

出エジプト記 21:20-21
人が自分の男奴隷あるいは女奴隷を棒で打ち、その場で死なせた場合は、必ず罰せられる。ただし一両日でも生きていた場合は、罰せられない。それは自分の財産だからである。

つまり、二十四時間以内に死んでしまう程、自分の奴隷を棒で打つのは犯罪になるが、少なくとも二十四時間は生き延びられる程度で奴隷を棒で打ち殺すのは犯罪にならない。その理由は、奴隷はそもそも私有財産だからである、というわけです。


モーセは他民族を奴隷にすることを命じた

モーセはイスラエル人をエジプトから連れ出すことには成功するけれど、神が約束したカナンの地には自ずから入ることは出来ませんでした。その目的地を目の前にして彼は死ぬことになるからです。しかし、彼はこれから入ろうとするカナンの地を目の前にしたイスラエルの民たちに対して、その地に入ったらいかに行動すべきかを長々と説教します。それが旧約聖書の第五番目の書である「申命記」です。そのモーセの説教のなかでももっとも注意を引くのが、先住民は殺すか、さもなければ奴隷にせよ、という教えです。

申命記20:10-17
ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を勧告しなさい。もしその町がそれを受諾し、城門を開くならば、その全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせね ばならない。しかし、もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。だだし、女、子供、家畜、および町にあるものすべてあなたのぶんどり品として奪い取ることができる。あなたは、あなたの神、主が与えられた敵のぶんどり品を自由に用いることができる。このようになしうるのは、遠くはなれた町々に対してであって、次に挙げる国々に属する町々に対してではない。あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国民の民に属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。

そういうわけで、神も神のしもべモーセも奴隷制度そのものに対しては何の反対もされません。悪いのはイスラエル人が他の民族の奴隷になることであり、他の民族がイスラエル人の奴隷となることはむしろ奨励されているのです。つまりモーセは奴隷解放者ではなかったのです。