聖書の間違い

聖書伝承の不完全性 (2)

--- なぜマルコ伝の最終章が信頼できないか ---

佐倉 哲


聖書が最初に書かれたとき神の聖霊が働いたかどうか知る由もないが、聖書が現代人の手に渡るまでの伝承過程では神の聖霊が働いたとはとうてい考えられない。発見される聖書の写本の内容が一致しないので、どれがオリジナルの内容かわからないからです。たとえば、ある写本ではマルコによる福音書の最終章は8節で終わるけれで、他の写本では19節まで続くのもあるからです。



復活したイエスが顕現する部分は後から加えられた

現在日本でもっとも普及している日本聖書協会の「改訳版」のマルコによる福音書の最終章(第16章)を注意深くみると、ある一つの異常さが発見されます。それは、9節から19節までの復活したイエスが顕現する物語の部分が括弧で囲まれていることです。「改訳版」はこれに何の説明もしていませんが、実は、この部分がもともと聖書の一部であったかどうかが大変疑わしいからです。むしろ、この部分は後からつけ加えられたものある、というのが現代聖書学の定説です。というのは、現代聖書学が「長い結び」と呼ぶ9節から19節までのこの部分は4世紀以後の写本にしか存在せず、それ以前の古い写本には全くないものだからです。

しかも、この「長い結び」とは別の「短い結び」と呼ばれている仕方でつけ加えた写本も発見されているのです。つまり、マルコによる福音書の最終章の終わり方には写本によって、大きく分けて三つの異なった終わり方があるのです。ひとつは、8節で終わる。これがもっとも古い写本(例えば、シナイ写本、バチカン写本1209号など)の終わり方です。二つ目は「長い結び」で終わる写本です。そして三つ目は「短い結び」で終わる写本です。例えば、8世紀のレギウス写本(Codex Regius, L 019)には、地域によって(現在「長い結び」と「短い結び」と呼ばれている)二種類の異なった結びが流布していたことが記されています。日本聖書協会の新共同訳版『聖書』(1987)では、「結び一」と「結び二」として、「長い結び」を先に、「短い結び」をその後に続けています。ちなみに、8世紀のレギウス写本は、「短い結び」を先に、「長い結び」をその後に続けています。日本聖書協会の改訳版『聖書』(1955)では、「短い結び」が訳出されていません。

こういう状態ですから、たとえば、聖書を完全な神の言葉として信じることを強調するある教団(エホバの証人)の解説書にさえ、この問題については次のような説明がなされています。

しかしながら、16章8節の後にしばしばつけ加えられる長い結びや短い結びは、信憑性のあるものとはみなされていません。シナイ写本、バチカン写本1209号など、たいていの古代写本の中にこれらは含まれていません。4世紀の学者であるエウセビオスとヒエロニムスは、信憑性のある記録が、「恐れに満たされていたのである」という言葉で終わっているという点で一致しています。これ以外の結びは、この福音書の唐突な終わり方を和らげるためにつけ加えられたものでしょう。(ものみの塔聖書冊子協会発行『聖書全体は神の霊感を受けたもので、有益です』183頁)

日本聖書協会の「共同訳版」では、「結び一」「結び二」という言い方で、「長い結び」と「短い結び」の両方がそれぞれ括弧に囲まれて訳出されています。残念ながら、おそらく信者を動揺させないためでしょうが、なぜこれらが括弧に囲まれているのか、また、「結び一」と「結び二」は何なのかの説明がまったくなされていません。

このように、マルコによる福音書の最終章は信頼できないことになり、聖書が現代人の手に渡るまでの伝承過程では神の聖霊はあまりよく働かなかったことになります。



久保有政さんからのご批判

97年6月16日

 たしかに、現存する最も権威ある写本によれば、マルコ福音書一六章は八節 で終わっています。九節以降は、二世紀になってから追加された文章であるこ とが明らかです。

 しかし、一〜八節も、キリストの復活を語っている文章です。ですから、九 節以降が追加文であるからといって、キリスト復活の記事の信用性を否定する 理由にはなりません。

 一〜八節をよく読んでみると、どうみても八節で終わるのは不自然です。天 使が墓に現われて、イエスは復活されたと女たちに告げているというのに、イ エスがご自身を人々に現わされた記事にまでは及んでいません。

 この不自然な終わり方から見て、マルコの福音書の原本には、本来は九節以 降もあったと見るのが自然でしょう。しかしそれが何らかの理由で失われたの で(たとえば原本は巻き物なので端は破損しやすい)、のちに新たに九節以降 が補われたと考えることができます。  しかし、あとで補われたその九節以降も、イエスの復活の事実を実際に見聞 きして知っていた人たち、または、イエスの復活の事実を確かに把握していた 人たちによって追加されたことでしょう。

 実際、マルコ一六章九節以降の復活の記事は、マタイ、ルカ、ヨハネ福音書 の記事と何ら矛盾するところはなく、私たちはその内容に信頼を置いてよいの です。  あるいはまた、原本で失われていた九節以降がのちになって発見されたため 、以後の写本には九節以降が追加されたのだ、という場合も考えられるでしょ う。

 いずれにしても、マルコ一六章九節以降がのちの追加文ではあっても、キリ ストの復活の記事の信用性に疑義をさしはさむ理由はありません。


作者より久保有政さんへの応答

97年9月22日

確かに、マルコが16章の8節で終わるのは不自然です。9節以下が紛失したと考えるのは妥当だと思われます。しかし、そこに、聖霊の働きが疑わしいと思われる理由があります。しかも、後代に付け加えられた「長い結び」の復活の記述は、マルコの本文の流れに沿いません。マルコは、16章7節で、「白い長い衣を着た若者」が、墓の中で、おんなたちに、

さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。「あの方は、あなた方より先にガリラヤへ行かれる。かねて言われてたとおり、そこでお目にかかれる」と。
と、言い伝えるのですが、「長い結び」の著者は、このマルコのガリラヤ行きのテーマを完全に忘れ、ルカの伝承にもとづいて、エルサレムにいる弟子たちのところにイエスを顕現させています(16章12〜14)。これは、「長い結び」の著者がマルコ本文と同じ著者であるどころか、マルコ本文をよく理解していなかった、といえるでしょう。(「イエスの顕現」参照)

わたしは、マルコ16章9節以下は、当時の教団の教義にそぐわないことが書いてあったために、早い時期に、抹殺されたのではないかと想像しています。なぜなら、その直前の8節には、他の福音書からは、まったく想像できない、きわめて興味深いことが書いてあるからです。

婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
この記述は、「婦人たちは、恐れながらも、喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった」というマタイの記述(28:8)とも、ペテロやヨハネが女たちの報告を聞いて墓に駆けつけたというルカやヨハネの記述とも、うまく、かみ合いません。なにか、マルコ特殊の物語が続いていたような気がします。

いずれにしても、マルコ16章の9節以下の問題は、聖書が正しくわたしたちの手に届くように聖霊は働かなかった、と考えざるを得ません。


長谷川順旨さんからのご意見

98年2月8日

補足的な内容になりますが・・・。

マルコ福音書が16・8で終わっていることに関して、 もう一つの有力な節があります。 ご存じかとは思いますが、「実際にそこで終わっていた」という考えです。

マルコによる福音書がはじめはこのように16・8で終わっていたということは、 今日では学者の間で広く認められている。 しかし、一部の学者は、14・28、16・7に予告されているガリラヤでの出現の記事 (ヨハネ21章参照)が8節に続いていたが、失われたのだと考えている。 なお、婦人が恐れおののいて、だれにも何も言わなかったということを述べる8節は、 福音書の結びとして適当でないといわれているが、 神秘的な事件に直面した、口に出せない宗教的感情をあらわしたもので、 この福音書に見られる一つの特徴であると言うことができる(9・6参照)
(『マルコによる福音書』フランシスコ会訳注、1962、15−16頁)。

・・・この種の〔マルコ福音書は16・8で終わってはいなかったという〕議論は、 まず、キリスト教の福音書はかくあるべきだ、と先にきめてかかって、 現在の福音書でそれにあわないものは脱落した部分があるからだと、想像する。 これでは研究の順序が逆である。福音書という文学類型を創造したご当人のマルコに あの世でこれらの近代の学者達が出会ったら、彼らはマルコに、 お前は福音書の書き方を知らない、と言って教えさとすことであろう。 もしかすると彼等は、復活者顕現の物語を書かなかったお前はキリスト教徒ではない、 と言って宣言するかもしれない。マルコは天国でくしゃみするだろう。 −−研究者としてとるべき道は、与えられた材料を説明することであって、 ないものねだりをして、自分で架空の材料を想像することではない
(田川建三『原始キリスト教史の一断面』勁草書房、1968、299頁)。

保守的な聖書学者は概して、佐倉さんのおっしゃるような不都合にもかかわらず、 マルコ福音書の末尾の欠落を想定します。おそらくですが、 「福音書は相補うものだ」と考えているのと、 他の福音書に比べてマルコ福音書をあまり重要視していないことが、 その背景にあるようです。

しかしそれでも「加えるな、除くな」の建前からすれば、 くだんの欠落は保守的立場にとって相当の不都合であるはずです。 それにもかかわらず、あえて欠落を認めようとするのはなぜでしょうか? それは、実際にあの状態で終わっていたと見なすほうが、一層の不都合をもたらすからです。

あの「恐ろしかったからである」で意図的に筆をおいたということは、 イエスの顕現を意図的に記さなかったということだからです。

キリスト教にとってその初めから、イエスの復活はその教えの大黒柱でした。 原始キリスト教の主張はもっぱら、キリストの贖罪死と復活でした。 (生身のイエスの活動は、そこからおおよそスッポリと抜け落ちていました。 それはパウロの書簡等に見られるとおりです。) その大黒柱を支えていたのが、イエスの顕現の目撃証言でした。

ですから、マルコがその目撃証言を意図的に除外したことは、 原始キリスト教の本流から見れば特異なことと言えるでしょう。 いえ、イエスの顕現を意図的に無視しただけでなく、 そもそもキリストの贖罪死や復活よりも、生身のイエスの活動を中心に据えて、 史上初めて福音書というものを創り出したのが、マルコです。 そこには、そのようなキリスト教への一種の反発心があった、と考えられます。

・・・というような方向へと話の流れていくのがおぼろげにでも見えるからこそ、 保守的聖書学者たちは、概してこの根本的可能性を否定したがるのです。

「しかしマルコは度々、イエスの復活について語っているではないか? これはイエスの復活を重視し、事実と見なしていた証拠ではないか?」 と言われるかもしれません。

ではマルコは「イエスの復活」と言って、何を意図していたのでしょうか? それを示唆していると思われる個所があります。

六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。 ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、 それほどに白くすることはできないくらいになった。 すると、エリヤがモーセと共に彼らに現れて、イエスと語り合っていた。 ペテロはイエスにむかって言った、『先生、わたしたちがここにいるのは、 すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。 一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために』。 そう言ったのは、みんなの者が非常に恐れていたので、ペテロは何を言ってよいか、 わからなかったからである。すると、雲がわき起って彼らをおおった。 そして、その雲の中から声があった、『これはわたしの愛する子である。これに聞け』。 彼らは急いで見まわしたが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが自分たちと一緒におられた。 一同が山を下って来るとき、イエスは『人の子が死人の中からよみがえるまでは、 いま見たことをだれにも話してはならない』と彼らに命じられた。彼らはこの言葉を心にとめ、 死人の中からよみがえるとはどういうことかと、互に論じ合った」(マルコ9・2−10、口語訳)。
興味深いのは、これが一連の「受難復活予告」の記事の一部であること、 そして、イエスの死とエリヤやモーセの死との類似性です。 この旧約の偉大な預言者たちは、その亡骸を地上に留めず、 神によっていずこかへ連れ去られたと、聖書には記されています。
「こうして主〔ヤハウェ〕のしもべモーセは主〔ヤハウェ〕の言葉のとおりに モアブの地で死んだ。主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、 今日までその墓を知る人はない」(申命記34・5−6)。

「彼らが進みながら語っていた時、火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。 そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。エリシャはこれを見て 『わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ』と叫んだが、 再び彼を見なかった」(列王記下2・11−12)。

福音書を閉じるにあたって、マルコは、イエスもまたそうであったと 語っているのではないでしょうか。 イエスは、モーセやエリヤのようにこの世を去り、 後に残された人に深い恐れの感情を残していったのだ、と。
・・・するとこの若者は言った、 『驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、 イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めしていた場所である。 今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。 イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。 かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と』。 女たちはおののき恐れながら、墓から出て逃げ去った。 そして、人には何も言わなかった。恐ろしかったからである」 (マルコ16・6−8)。
そのように考えれば、このような物語の結びは、 不自然であるどころか、むしろ効果的な演出であるとさえ言えます。

「ガリラヤでイエスにお会いできる、と言っているのだから、 この後に、ガリラヤでのイエスの顕現の記事があったにちがいない」 と言われるかもしれません。

しかしよく読んでみると、話の筋そのものは、 むしろその後にイエスの顕現の記事など続いていなかったことを示しています。 ガリラヤに行ったらお会いできると伝えなさい、と言われながら、 女たちはそれを弟子たちに伝えませんでした。

とすると、話の運び方からすれば、 弟子たちが復活のイエスに出会える可能性は、女たちの沈黙によって閉ざされてしまった、 ということになります。

これがマルコの虚構なのか、それとも本当に女たちがしばらく黙していたのかは 分かりません。しかしいずれにしろ、マルコのこの話ぶりは、 復活後数日間にわたる、エルサレムにおける弟子たちへの顕現に対して否定的なものです。

「なぜエルサレムに行くのか? なぜ復活したキリストを知ろうとするのか? むしろガリラヤへ行け。そこで、人々の生活の中に今なお息づくイエスの姿を見いだすだろう。」 ・・・マルコはこう言いたいのではないでしょうか。

大した根拠も示さず、雑考にすぎない内容になってしまいました。 しかもその多くは、田川建三さんの著書の受け売りです。

ということで、それではまた。

by 長谷川順旨


作者より長谷川順旨さんへ

98年2月14日

なるほど、たしかに、そういうふうにも解釈できますね。ただ、それでは、ガリラヤ行きへの言及の解釈が、少しまだ、不自然な気がしないでもありませんが・・・

マタイは、ガリラヤ行きのメッセージをそのまま受け継ぎ、弟子たちをガリラヤに行かせ、そこで復活したイエスに出会うという話にしていますので、わたしは、マタイのなかに、マルコの9節以下が失われる以前の物語が残されているのではないか、といままで単純に考えていたのですが、よく考えてみると、死んだイエスの顕現という大事件にも関わらず、マタイにおけるイエス顕現の記録はあまりにも単純で、具体性に乏しく、いかにもあとから取ってつけ加えられた、という感じがしないでもありません。そうすると、マタイがマルコを参照にしたとき、すでに、9節以下は存在しなかった、つまり、初めからマルコは8節で終わっていた可能性は十分あると思われます。

マタイは、イエスの顕現を信じなかった弟子(たち)がいたことを書き残していますから、死んだイエスの顕現のうわさが、はじめから弟子たちの間で問題視されていたことがうかがわれます。そうすると、マルコがイエスの顕現のうわさなど信じなかったことも十分可能な解釈となります。

たいへん興味深い解釈の紹介をありがとうございました。