聖書は数多くの矛盾を含んでいますが、「聖書にはいかなる矛盾もなく、すべて事実である」と信じる者は、聖書における矛盾は「見かけ上の矛盾」にすぎず、実際は矛盾がないのだ、と考えざるを得ません。このような考えにしたがって、聖書の記述のつじつまを合わせる解釈作業のことを「調和化」(harmonization)と言います。すでに見たように、復活を報告する新約聖書の記録は多くの矛盾に満ちていて、聖書の記録の中でも最も信頼できないものの一つとなっています。しかも、「復活」はキリスト教にとって、なくてはならない重要な教えの一つなのです。したがって、むかしから、復活物語の調和化もさかんにおこなわれてきました。最近、福音伝道誌「月刊レムナント」の久保有政さんから、「聖書には間違いや矛盾があるという御主張ですが、私はそうは思いません」、とう内容のメールをいただきました。本論は、同封されていた、復活物語の調和化の記事と、それに関するわたしの考察です。
貴サイトを読ませて頂きました。聖書には間違いや矛盾があるという御主張 ですが、私はそうは思いません。 私は月刊レムナントという福音伝道誌を出版しており、これまで何度かこう した問題を扱ってきましたので、その幾つかをこのメールに入れてお送り致し ますので、もしよろしければお読み下さい……。
復活の記事の相違?
「イエス・キリストの復活の記事が、福音書間で異なっている。たとえばマ タイやマルコの福音書では、女たちはひとりの天使に会っているが、ルカの福 音書では女たちはふたりの天使に会っている。これは矛盾ではないか」。
回答
これは矛盾ではありません。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書にあ るイエス・キリストの復活の記事を総合すると、出来事は大体次のように起こ ったと考えられます。
週の初めの日の朝早く、二組の敬虔な女たちが、イエスに最後の葬りの油を 塗ろうとして、墓に行きました。
第一組はマグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ、サロメです。また第二組は 、ヨハンナと他の女たちであったと思われます(マコ一六・一、ルカ二四・一 〇)。
第一組の女たちは、墓石がのけてあるのを見ました。マグダラのマリヤは体 が盗まれたのだと重い、ペテロやヨハネにそれを知らせに戻りました(ヨハ二 〇・一〜二)。
残りの女たちは墓の中に入り、ひとりの天使から復活の事実を知らされ、ま た弟子たちへのメッセージを託されました(マタ二八・一〜七、マコ一六・一 〜七)。
急いで帰る途中、彼女たちは第二組の女たちに会いました。そこで皆は、も う一度墓に帰りました。そして、ふたりの天使から、再びより強い復活の保証 と指図を受けたのです(ルカ二四・一〜八)。
女たちは今度は、すぐに町へ急ぎましたが、その途上でイエスが現われまし た(マタ二八・九、一〇)。それから彼女たちは、使徒たちのところに帰り、 自分の見聞きしたことを伝えました。
その間に、マグダラのマリヤはいち早くペテロとヨハネのもとに行っていま したが、彼女の知らせを受けたペテロとヨハネは、墓に走って行き、その事実 を確かめました(ヨハ二〇・三〜一〇)。
マリヤは墓に遅れて着き、ペテロとヨハネが園を出てからも、そこに残りま した。その時、イエスは彼女にも現われたのです(ヨハ二〇・一一〜一八)。
イエスはその後、ペテロ(ルカ二四・三四、