共観福音書にの汚れた霊に取り付かれた男の数に矛盾がある、というお便りをいただきました。
00年10月22日
以前トマス・ペインの書いた「理性の時代」で見いだした聖書の間違いを投稿したように、今度は法政大学教授の高尾利数さんの書いた「イエスとは誰か」日本放送出版協会を読んで、聖書の批判的読みかたをするようになった私に格好の箇所を見付けましたので一筆書きたくなりまして筆を取りました。
新約聖書のマタイの福音書、マルコの福音書そしてルカの福音書のこの三つの福音書は共観福音書と呼ばれ、その内容が似通っていることは聖書を読んだことのある人ならば、ご存じの事とおもいます。そしてこの三つの福音書が相互に矛盾していなければ、いいのですが、そうでないないことは、佐倉さんがイエスさまの復活の記事で取り上げているように、食い違いがあります。その二番煎のようなことをこれからしてみたいと思います。
新約聖書の箇所はマルコ5:2 ルカ8:27 マタイ8:28です。では共同訳とその英語訳を書いてみます。
マルコ5:2イエスが舟から上がられるとすぐに汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。
As soon as Jesus got out of the boat he was met by a man who came out of the burial caves there.This man had an evil spirit in him.
ルカ8:27
イエスが陸に上がられると この町で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。
As Jesus stepped ashore, he was met by a man from the town who had demons in him. For a long time this man had gone without clothes and would not stay at home,but spent his time in the burial caves.
マタイ8:28
イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取りつかれた者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。
When Jesus came to the territory of Gadara on the other side of the lake, he was met by two men who came out of the burial caves there. These men had demons in them and so fierce that no one dared travel on that road.
以上平行箇所をあげて英文を併記したのは、日本語では複数の概念が曖昧で単数か複数かわからないのを、はっきりさせるためです。この平行箇所を読んでいただければ分かるように、マルコとルカは一人の男(a man)であるのに対しマタイは二人(two men)になっており数の矛盾が見られます。
このことに関して高尾利数教授は下記のように述べています。
もう一つマタイは面白い書き直しをしている。マルコでは、あの汚れた霊に憑かれた男は一人であったが、マタイでは二人になっている。なぜ二人にしたのかよくわからないが、ユダヤ教の伝承では、証人は二人以上でなければ有効ではないので、この奇跡の証人となるべき者たちも二人でなければならないと考えたのかもしれない。あるいは、霊がマルコではレギオンで大勢であるので、憑かれる人たちのほうも、一人ではなく二人にしたのかもしれない。イエスとは誰か 154頁 高尾利数著 日本放送出版協会 1996年
以上、高尾教授はマタイが書き直しと言っていますが佐倉さんの論法では間違いに、矛盾になるのではないかと、私は思いましたので、メールさせていただきました。やはり聖書はカトリックのように都合の良い場所だけ聞くのがいいのかもしれません。
00年11月5日
これはあきらかに聖書の矛盾です。マルコやルカでは悪霊に取りつかれた男はただ一人なのに、マタイではいつの間にか二人になっているからです。いろいろな可能性が考えられますが、ルカの持っていたマルコ写本とマタイの持っていたマルコ写本のあいだにすでに相違があったとも考えられます。いずれにしても、聖書が書いていることをそのまま信頼してはいけない、というのが聖書がわたしたちに教えている貴重な教訓です。
おたよりありがとうございました。